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「邪馬台国」関連まとめ

 

邪馬台国」関連の記事のまとめです。

 

 

私の邪馬台国論の論点

 私の邪馬台国論は、以下の三つの論点からなっています。

  1. 魏志倭人伝」には情報操作が有り、そのままでは邪馬台国の位置は特定出来ない。
  2. 邪馬台国は九州宇佐、卑弥呼の墓は宇佐神宮と考えられる。
  3. 邪馬台国が、4世紀に畿内に東遷して、大和政権となったと考えられる。

以下、それぞれの論点に関連する記事をまとめます。

魏志倭人伝の情報操作

 なぜ、「魏志倭人伝」の作者陳寿が、その内容を操作しなければならなかったのか、またその操作内容はどういったものなのかといった内容になります。

邪馬台国の場所は、〇〇の何処かだ

「魏志倭人伝」の作者は、なぜ旅程を改ざんしたのか

邪馬台国が7万戸は、いくらなんでも多すぎないか

「魏志倭人伝」の正式名称から分かること

やはり魏志倭人伝は改竄されたのか

邪馬台国サミット2021覚書

邪馬台国卑弥呼の墓の位置

 情報操作が有る事を前提にした「魏志倭人伝」の旅程の見直し、邪馬台国建国当時の政治情勢、宇佐神宮関連の話などから、邪馬台国卑弥呼の墓の位置について考えた内容になります。
副産物として、前方後円墳の始まりについても考えています。

邪馬台国への旅程改ざんの詳細

道鏡事件から考える卑弥呼

邪馬台国はここに建てられた

魏志倭人伝の里程

卑弥呼の墓はここだ

卑弥呼の墓と宇佐神宮

卑弥呼の墓と邪馬台国の位置

前方後円墳の始まり

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その1 

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その2 

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その3 

末廬国と松浦 

邪馬台国までは一万二千里(その1) 

邪馬台国までは一万二千里(その2) 

邪馬台国までは一万二千里(その3) 

「會稽東冶の東」も情報操作だ 

「會稽東治」と「會稽東冶」

邪馬台国の東遷

 邪馬台国が4世紀に東遷した理由と、東遷を前提として、日本書紀を始めとした古代日本における幾つかの事柄について考えてみた内容となります。

邪馬台国はどうなってしまったのか

纏向遺跡は邪馬台国か

広開土王碑における倭と、倭の五王の事績

邪馬台国東遷説と日本書紀(前編)

邪馬台国東遷説と日本書紀(中編)

邪馬台国東遷説と日本書紀(後編)

継体天皇は何処から来たのか

邪馬台国東遷と応神天皇

邪馬台国東遷と継体天皇(前編)

邪馬台国東遷と継体天皇(後編)

吉備と邪馬台国