「邪馬台国」関連の記事のまとめです。
私の邪馬台国論の論点
私の邪馬台国論は、以下の三つの論点からなっています。
- 「魏志倭人伝」には情報操作が有り、そのままでは邪馬台国の位置は特定出来ない。
- 邪馬台国は九州宇佐、卑弥呼の墓は宇佐神宮と考えられる。
- 邪馬台国が、4世紀に畿内に東遷して、大和政権となったと考えられる。
以下、それぞれの論点に関連する記事をまとめます。
魏志倭人伝の情報操作
なぜ、「魏志倭人伝」の作者陳寿が、その内容を操作しなければならなかったのか、またその操作内容はどういったものなのかといった内容になります。
邪馬台国と卑弥呼の墓の位置
情報操作が有る事を前提にした「魏志倭人伝」の旅程の見直し、邪馬台国建国当時の政治情勢、宇佐神宮関連の話などから、邪馬台国と卑弥呼の墓の位置について考えた内容になります。
副産物として、前方後円墳の始まりについても考えています。
邪馬台国の東遷
邪馬台国が4世紀に東遷した理由と、東遷を前提として、日本書紀を始めとした古代日本における幾つかの事柄について考えてみた内容となります。