魏志倭人伝に出て来る「国」について考えた話です。
前回までの話
前回まで何回かに渡って、農耕の始まりから、権力の発生をへ経て、国家(都市国家レベルですが)の形成までを考えてきました。
特に国家の形成については、単に農耕を背景とした権力の発生だけでは不十分で、金属のような貨幣の機能を持ったものの普及が必要だという話でした。
今回は、以上の話を基に、魏志倭人伝に出て来る「国」について考えて見たいと思います。
魏志倭人伝の「国」
魏志倭人伝には、多くの「国」が出て来ます。
使者の最終的な目的地である、卑弥呼の居る邪馬台国や、それに至るまでの旅程上の国々や、使者がいけなかった数々の国々の名前が挙げられています。
そもそも「邪馬台国」自体が、いわゆる「倭国大乱」と呼ばれる、倭の多くの国による争いを収めるために、卑弥呼を共立して建てられた国と書かれています。
つまり、当時の倭国は、邪馬台国を中止とした多くの「国」の連合体だったのです。
さらには、その連合体に敵対する「国」についても記述が見られます。
当時の倭には、非常に多くの「国」があった事になります。
どんな「国」だったのか
これらの「国」が有った当時の倭の社会について考えて見ます。
先ず、弥生時代の末期にあたりますので、当然農耕は始まっています。
従って、農耕による生産物を背景とした権力が発生していたはずです。
前回までの話からすると、この状態で農耕に打撃を与える気候変動が発生すると、争いが起こると考えられます。
これが、いわゆる「倭国大乱」の原因となったと思われます。
鏡を貰っていますので、当然金属は入って来ていたはずです。
ただし、金属が貨幣機能を持っていたという証拠は発掘されていないようですし、それ以外の代替品も見つかっていないよです。
そこまで経済システムは発展していなかったのでしょう。
以上の点を考えると、当時の「国」は、我々が考える国家というようなものでは無く、農耕を背景とした権力が存在する村落共同体といった感じのものだったと思われます。
卑弥呼は
ということですので、卑弥呼は名称こそ女王となっていますが、どちらかといえば、それぞれの村落共同体の権力層による合議体の対外的な代表のような立場だったのではないかと思います。
決して、卑弥呼を頂点とした強固な国家を形成していたのではないのです。
それにしても暑いですね。気温と体温を比べる日が連続することになるとは思いませんでした。
ではでは