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「魏志倭人伝」の正式名称から分かること

 「魏志倭人伝」の正式名称について考えると、陳寿の改ざん疑惑に対する、状況証拠が見えてくる、という話です。
yokositu.hatenablog.com

 

 

魏志倭人伝」の正式名称

 「魏志倭人伝」は、正式には魏志」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人といいます。

魏の正史である、「魏志」の第30巻の、烏丸鮮卑東夷伝の中の倭人の条(項目といった意味です)を、「魏志倭人伝」と通称している訳です。


烏丸鮮卑東夷伝倭人条とは

 烏丸鮮卑東夷伝倭人条の内、烏丸、鮮卑は、北方の民族名です。
東夷伝は、東方の民族について記述したもので、夫餘・高句麗・東沃沮・挹婁・濊・韓・倭が含まれます。
その中の倭に関する部分が、倭人条となります。

東夷伝の東夷とは、単に東方を指しているわけではなく、古代中国において、東西南北4方位の異民族を蔑称して、東夷(とうい),西戎(せいじゅう),南蛮(なんばん),北狄(ほくてき)と呼んだことによるものです。

つまり、烏丸鮮卑東夷伝で、魏の北狄、および東夷の国に関して、纏められているという事になります。


西戎,南蛮についての記述は

 では、西戎,南蛮の国に関しては、どのように纏められているのかというと。

なにも無いのです。
西戎伝,南蛮伝といったものは、「魏志」には存在すらしていません

西晋王朝を開いた、司馬氏に徳があることを示すために、陳寿は「魏志」を書きました。
その司馬氏は、前王朝の魏時代に、中国東北部及び朝鮮半島北部を治める立場にありました。
そのため、司馬氏と関係の深かった、北方と東方の国に関する記述のみで、西方と南蛮に関しては、書くことすらしなかったと思われます。


これは、かなり見え見えですよね。
もうちょっと、上手に糊塗しても良かったんじゃないかと、思うんですが。
まあ、正史とはそういうものだ、とも言えるんですけどね。


 ではでは