横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

歴史

朝貢について

朝貢について考えた話です。 奇妙なシステム 周辺国との関係 手段が目的化した 奇妙なシステム このブログのメインコンテンツだと思っている邪馬台国ですが、ご存知のようにその存在は中国の『魏志倭人伝』の記述に拠っています。 その『魏志倭人伝』は、邪…

『吾妻鏡』と「元寇」

『吾妻鏡』と「元寇」について考えた話の補足です。 前回の記事 問題点とは 「元寇」後の状況 将軍は傀儡だった 前回の記事 前回の記事で『吾妻鏡』は、「元寇」後の生じた御家人たちの不満に対応する形で、北条貞時による執権政治の正当性を示すために作ら…

『吾妻鏡』はなぜ作られたのか

『吾妻鏡』が作られた目的について考えた話です。 今年の大河の影響で 正史は権力者によって作られた 貞時の父は 若さだけではない理由 今年の大河の影響で 今年の大河ドラマが鎌倉時代を扱ったものという事で、鎌倉時代についての情報が増えてきたように思…

「會稽東治」と「會稽東冶」

「會稽東治」と「會稽東冶」について考えた話です 見て見ぬふりをしていました ニスイかサンズイかが問題だ 一字違うと大違い 私は「會稽東治の東」派 実はどちらでもいい 見て見ぬふりをしていました 前回の記事では、『魏志倭人伝』における「會稽東冶の東…

「會稽東冶の東」も情報操作だ

「會稽東冶の東」について考えた話です 邪馬台国は大月氏に比肩する大国 ただし方位は曖昧 風俗の記述の中に 「會稽東冶の東」を思いつく 邪馬台国は大月氏に比肩する大国 以前の記事で、陳寿は、旅程を情報操作することにより、西の大国大月氏と同程度の東…

刻彫尺八

刻彫尺八についての話です 刻彫尺八 全面に彫刻 アップに感じた違和感 天皇向けとしては雑 では何なのか 刻彫尺八 刻彫尺八(こくちょうのしゃくはち)というのは、正倉院宝物の一つで、竹製の尺八です。 今年の「正倉院展」で展示されました。 左:全体像 …

家康は開国派?

家康の対外政策について考えた話です。 家康は”開国派”? 軍事的進出 国際情勢を的確に把握 東西二分策から 朝廷を押さえた 禁教令で圧力を 家康は”開国派”? このブログの記事で、TV番組が基になるのは、ありがちな事なんですが、今回もそのひとつで、NH…

古墳時代にやって来た人たち

古墳時代に日本にやって来た人たちについて考えた話です 古墳時代に大陸から集団が 日本は蛮族の地 動乱を逃れた? 邪馬台国東遷説との関係 古墳時代に大陸から集団が 日本人の由来に関しては、最初に定住していた縄文人と、その後に稲作と共にやって来た弥…

末廬国と松浦

末廬国と松浦について考えた話です。 末廬国と松浦が気になる 気になる背景 背景には東遷が 沿岸の防衛 末廬国と松浦が気になる 本ブログでは、邪馬台国の位置として宇佐説を採っているわけですが、その前提のひとつとして、壱岐(一大国)からの行程を、通…

邪馬台国までは一万二千里(その3)

邪馬台国までの距離について考えた話(その3)です 今回の話 陳寿の情報操作 大月氏は遠い 一万二千里の正体 そして東方の大国に 今回の話 さて今回は、その2で思わせぶりに終わった、邪馬台国までの距離がなぜ一万二千里とされたのかという話になります。…

邪馬台国までは一万二千里(その2)

邪馬台国までの距離について考えた話(その2)です 一万二千里が問題 一万二千里の距離 一万二千里の矛盾 一万二千里のなぜ 一万二千里が問題 その1は、魏志倭人伝に記述が有る様に邪馬台国までの距離が一万二千里だとすると、宇佐説だと距離的に足らなく…

邪馬台国までは一万二千里(その1)

邪馬台国までの距離について考えた話(その1)です 2つの懸案事項 九州への上陸地点 邪馬台国までの距離 距離が足らない 2つの懸案事項 本ブログでは、邪馬台国の位置として、現在の大分県宇佐市の宇佐神宮付近だという立場を採っています。 実は、その説を…

邪馬台国までは一万二千里(その1)

邪馬台国までの距離について考えた話(その1)です 2つの懸案事項 九州への上陸地点 邪馬台国までの距離 距離が足らない 2つの懸案事項 本ブログでは、邪馬台国の位置として、現在の大分県宇佐市の宇佐神宮付近だという立場を採っています。 実は、その説を…

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その3

『魏志倭人伝』中の末廬国までの海路について考えた話(その3)です 前回の記事 壱岐と一支国 使者の到着した場所 使者の出発した場所 距離的にも問題ない まとめると 前回の記事 前回の記事で、『魏志倭人伝』に記述が有る、邪馬台国までの旅程の中で、特…

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その2

『魏志倭人伝』中の末廬国までの海路について考えた話(その2)です 前回の記事 もう一か所の方位の無い部分 答えを見つけた ネットで調べてみた 前回の記事 前回の記事は、本ブログの邪馬台国論のポイントの一つである、一支国からに渡る部分の記述に方位…

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その1

『魏志倭人伝』中の末廬国までの旅程について考えた話(その1)です 宇佐説の根拠の一つ これも陳寿の情報操作か 報告として大丈夫か 宇佐説の根拠の一つ このブログのメインコンテンツだと思っている邪馬台国論ですが、要約すると、その場所は現在の大分県…

中国王朝との戦い

中国王朝との戦いについて考えた話です 目次 歴史上の戦い 歴史的に見ると、中国王朝の軍と戦った事は、それ程多くありません 有名な白村江の戦いでは、唐と新羅の連合軍と戦いました。 中国王朝の軍隊と戦ったという事になるのですが、実際には百済の援護と…

日本と中国との差

日本と中国の差について考えた話です 中国との関係 シンクロニシティ 長平の戦い 彼我の差 中国との関係 以前の記事で、日本で長きに渡って、天皇を中心とするシステムが機能してきた背景には、その元となった中国で、皇帝による支配という形態が変わること…

日中の歴史上の統治体制

日本と中国の歴史上の統治体制について考えた話です 律令制は中国のみ? 日本の律令制の特徴 江戸時代まで続くことに 中国も続いていた 律令制は中国のみ? 日本の律令制ですが、勿論中国のそれを手本としてます。 具体的には、唐の時代の制度を参考とした様…

昔思った疑問への解答

昔思った疑問に対する解答を考えた話です 昔思った疑問 長く続いた藤原時代 権力は移っても 問題の戦国時代は 結局システムの踏襲だった 昔思った疑問 中学生の頃だと思うのですが、日本史で戦国時代の授業を受けていた時に、ある事を疑問に思ったのです。そ…

日本の時代区分

日本の時代区分について考えた話です 日本の時代区分 権力との関係が見えにくい 学術的区分 中国は明解 氏族名を使って 日本の時代区分 日本の時代区分というと、一般的には、奈良時代、平安時代、鎌倉時代などと、大まかに言って、その当時の政治的な中心の…

なぜ『六国史』で終わったのか

『六国史』以降に「正史」が作られなかった理由について考えた話です。 疑問 結論とさらなる疑問 律令制の時代だった 官職の独占 疑問 わが国には、天帝による「革命」により王朝が交代するといったような世界観は有りません。 そのため、その「革命」の必然…

港と湊とヤマト

港と湊からヤマトについて考えた話です 港と湊 山の門 ヤマト=邪馬台 山門郡 宇佐はヤマトか 港と湊 久しぶりの邪馬台国がらみの話です。 ふと、「港」と「湊」に違いは有るのか無いのか気になって調べていたんですが、Wikipediaで、次のような記述を見付け…

思いもかけず中国大返し

思いもかけず中国大返しについて考えた話です 大坂冬の陣図屏風 秀忠も候補者 今回の眼目は より具体的な例が 大坂冬の陣図屏風 TVで歴史関連の番組が有る時には、基本的に録画しておいて見ることにしています。 いつものように、溜まったバックログを消化し…

『日本三代実録』

『日本三代実録』について考えた話です 『日本三代実録』 宇多天皇自らが望んだ 三代の天皇 皇統の移動と『日本三代実録』 『日本三代実録』 六国史の最後となりました。 これも名称から判る様に、清和、陽成、光孝の56代から58代の3代の天皇について纏めら…

『日本文徳天皇実録』

『日本文徳天皇実録』について考えた話です 『日本文徳天皇実録』 仲が悪かった 決定的な対立では無かった 仁明天皇の死により 特に問題はなさそうだが 年齢が問題だった 『日本文徳天皇実録』 六国史5冊目ですが、名称を見て一目瞭然、『続日本後紀』に続い…

もう一度中国大返し

「中国大返し」について、もう一度考えてみた話です 以前の記事 TVで見た説 記録が無いのが原因で証拠 もし本当に有ったとしたら 記録が残った、はずだ 以前の記事 秀吉を語る上では、外すことの出来ない「中国大返し」については、以前の記事で考えてみまし…

『続日本後紀』

『続日本後紀』について考えた話です 『続日本後紀』 承和の変 そこまでは考えていなかった 策を弄した訳ではない 『続日本後紀』 六国史の4番目にあたる『続日本後紀』ですが、これまでの国史と異なり、仁明天皇の一代記となっています。 ひとつ前の正史で…

『日本後紀』

『日本後紀』について考えた話です 目次 『日本後紀』 『日本後紀』は、桓武天皇の治世の途中までを記録した形の『続日本紀』の後を受ける形で、桓武天皇の残りの治世と、平城、嵯峨、淳和の、三代の天皇の治世について纏めたものとなります。 淳和天皇の後…

『続日本紀』その3

『続日本紀』について考えた話その3です 前回の記事の続き 桓武天皇は在位中だった 何が目的だったのか 平安遷都までに何があったのか 相良親王の件の記述はない 前回の記事の続き 前回の記事その2は、桓武天皇が編纂させたと考えられる『続日本紀』が、桓…