卑弥呼の墓
卑弥呼の墓の場所については、以前の記事で、大分県宇佐市の宇佐神宮では無いかと書きました。
その時には、宇佐神宮の有る亀山の山頂部の径百余歩に相当する部分を造成して墓としたと考えれば、「魏志倭人伝」の記述とも矛盾しないと書くに留まっていました。
そこで今回は、宇佐神宮が地形的に見て、卑弥呼の墓として本当に矛盾しないのかを、もう少し詳しく考えてみたいと思います。
赤色立体地図
少し前から、色々なTV番組で、「赤色立体地図」というものを目にするようになりました。
航空レーザー測量で測定したデーターを基に、地形を立体的に表示するというものです。
レーザー測量の特性から、樹木に覆われたような土地でも、土地の部分だけ立体図が出来ます。
そのため、多くは樹木に覆われている事が多い古墳の形状を、見たりすることが出来たりします。
論より証拠に、その実力を見てもらいましょう。
引用元:地図 [赤色立体地図] | 受賞対象一覧 | Good Design Award
どうですか、古墳の元々の形状がよく判りますよね。
これを使って、宇佐神宮を見てみようという訳です。
宇佐神宮を見ると
赤色立体地図に関しては、国土地理院のサイトで見ることが出来るようになっています。
しかもなんと、日本全国がです。
先ず、航空写真で宇佐神宮の付近を見てみましょう。
出典:「地理院タイル」(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html)
ほぼ真ん中に有る森の中の白っぽく見えるのが宇佐神宮ですが、よく分かりません。
同じ部分を地図で見てみましょう。
出典:「地理院タイル」(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html)
宇佐神宮のあたりに、何本か等高線が有るので盛り上がっているようです。
さて最後に、赤色立体図です。
出典:「地理院タイル」(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html)
宇佐神宮が高いところに有るのがはっきりとわかると思います。
しかもかなりの範囲が、比較的フラットになっているようです。
この部分が墓の跡だと考えられるかどうか見てみましょう。
径百余歩
「魏志倭人伝」では、卑弥呼の墓は「卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩」となっています。
「径百余歩」については、「その径は百余歩の大きさである」という意味だと考えられています。
径というのは、直径の事だと考えられるので、卑弥呼の墓については、「円墳」だろうというのが常識的な考え方だと思われます。
次に「百余歩」についてですが、「魏志倭人伝」の記述なので、魏について調べてみると、
魏の時代には、一歩は1.447mだったようです。
余歩なので、100歩+αという事で、約150mという事になります。
上で見た赤色立体図に、大体150mの円を緑色で書き込んで見ました。
なかなかいい感じでは無いでしょうか。
チョット左(西)の部分が張り出しているように見えますが、これはどう考えれば良いでしょうか。
断面図で見ると
国土地理院のシステムでは、任意の部分の断面図も見ることが出来ます(素晴らしい!)。
そこで、緑色の円の中心を通る東西の線で切った断面図が、次の図です。
出典:「地理院タイル」(https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html)
図の左が西で、右が東です。
西側の左端から標高30メートルまで上がっている部分が、上から見た左(西)側の張り出ているように見える部分です。
標高30メートルの部分の横幅は、概ね150m近くの値となっています。
つまり、標高30メートルの部分から上を造成して円墳を作成したと考えれば、ぴったりと当てはまりそうです。
という事で、贔屓目で見れば、これはもう「卑弥呼の墓」という事で間違いなさそうです。
ではでは