『日本書紀』創られた日本 74 聖徳太子についての話1です。
聖徳太子
今回以降何回かに渡って、日本古代史上最も著名な人物でないかと考える、聖徳太子について取り上げたいと思います。
聖徳太子に関しては様々な話が有りますが、その業績としては代表的なものとして、推古天皇の皇太子兼摂政として行った次の4つが挙げられるでしょう。
1.十七条憲法
2.冠位十二階
3.遣隋使派遣
4.仏教の振興
これだけでも超人的な業績ですが、さらに『日本書紀』だけでも
1.生まれた時から話すことが出来た
2.聖人の知恵が在った
3.1度に10人の訴えを聞いて、間違えないで、理解できた
4.未然(未来のこと)を知っていた
と、とても常人とは思えないエピソードが書かれています。
虚構の人物?
その業績が一人で成したものとは考えられないことや、常人とは思えないエピソードから、聖徳太子は後世に作られた虚構の人物ではないかという考え方が有ります。
確かに、特に生れた時から話せたり、10人の話を聞き分けたといったエピソードだけでも、眉に唾つけたくなる気持ちはよくわかります。
ところで聖徳太子というのは、以上のような業績、エピソードに対して、死後に呼ばれるようになった名称であり、『日本書紀』ではその名前では出て来ません。
用明天皇の皇子に厩戸豊聡耳皇子という人物がおり、この人が聖徳太子です。
推古天皇の皇太子兼摂政になったという記述が有ることから、全く架空の人物だということではないようです。
こういったことを受けてか、近年の教科書では厩戸王(聖徳太子)と記載されているようです。
しかし、『古事記』では用明天皇の皇子としては記述が有りますが、推古天皇の摂政はおろか、皇太子になったという記述すらありません。
つまり、厩戸王という用明天皇の皇子は確かに実存したようだが、『日本書紀』に書かれているような、推古天皇の皇太子兼摂政としての様々な業績をあげ、常人とは思えないエピソードを持った人物という部分は後世に造られた話、というところでしょうか。
なぜ虚構が
どうしてこのような虚構の人物が造り上げられたのかという点については、天武天皇が、壬申の乱での皇位継承権争いで失墜した天皇の権威を再度示すためではないかという説が有ります。
聖徳太子のような超人的な人物が、天皇家にはいたというわけです。
しかし、この説にも疑問は有ります。
聖徳太子前後の系図を見てみましょう。

引用元:舒明天皇 - Wikipedia
欽明天皇の後、兄弟姉妹間で皇位が継がれています。
その最後推古天皇の皇太子が聖徳太子だったのですから、皇位は聖徳太子、山背大兄王と継ぐのが普通でしょう。
しかし実際には、聖徳太子の血筋は絶え、敏達天皇の血統が継いでいくことになり、その先に『日本書紀』を編纂させたとされる天武天皇がいるのです。
この流れで、聖徳太子を超人的な人物だと祭り上げるというのはどうなんでしょうか。
次回は、回答編として以上のような疑問点について考えながら、『日本書紀』における聖徳太子の記述について考えます。
ではでは

