浅野内匠頭が刃傷を起こした理由について考えた話です。
前回の話
前回は、『仮名手本忠臣蔵』の登場人物の名前について考えて見ました。
実際の事件の当事者の一人吉良上野介が、高家という役職だったことから、先ず敵役として『太平記』にも登場する実在の人物高師直が連想されます。
その『太平記』の中で高師直は、神仏をも畏れぬ悪漢とされ、出雲国守護の塩冶高貞の妻に横恋慕したとされています。
塩冶という名は、大石内蔵助の主君である浅野内匠頭が治める、塩で有名な赤穂藩を想起させることから、刃傷事件を起こすが塩谷判官が決まります。
はっきりしない理由
ところで、前回の記事でも触れましたが実際の事件(赤穂事件)では、浅野内匠頭が刃傷に及んだ理由については事件直後から様々な説が唱えられていますが、いまだにはっきりとしたことは分かっていません。
どうも事件後に取り調べがあったかどうかも、正式な記録は無いようです。
そのため『仮名手本忠臣蔵』では、『太平記』の話をそのままとり入れて、塩谷判官の妻に対する横恋慕という筋書きになっています。
やはりいじめか
理由が分からないことをいいことに、様々な説が出てくることになりますが、我々が『忠臣蔵』としてよく見聞きする話としては、吉良上野介の陰湿ないじめに耐えかねて、というものが一番ポピュラーでしょう。
その中でも有名なのが、増上寺の畳替えの話でしょうか。
京からの勅使の饗応役だった内匠頭ですが、その指導役の上野介から、勅使参詣に際しての畳替えは不要と言われていたが、前日になって必要と分かり、夜を徹して取り換えるという話です。
この時の畳職人と一丸となってやり遂げるところが、見どころとなっています。
この時に上野介が、「あらゆることに、吝嗇では御馳走は勤まらない」と返答した、と言う話もあるようです。
私の記憶に残っているのは、勅使登城の日の服装をわざと間違えて伝えられてあわやという事になったのですが、家臣が正しい衣装も念のため用意していたので事なきを得た、というものです。
否定されている
これ以外にも幾つかあるのですが、上のものも含めて、そんなせこい事するかなという気がしないではありません。
そういったこととは関係なく、これらの話は、実際にはあり得ないと考えられています。
そのわけは、浅野内匠頭が、この事件の18年前にも饗応役を行っているという事実があるからです。
饗応役の仕事の中で行うようなことに関しては、この18年前の時の記録が事細かに残っていないわけがないのです。
これまで見て来たような、間違ったことを教えられて困ると言うシチュエーションは、基本的にあり得ないという事になります。
一度やったからこそ
という事で間違っではいないのですが、この一度饗応役を行っていた、という事がやはり刃傷事件の背景にあったのではないかと思うのです。
いじめの理由として、上野介への付け届けが少なかった、または無かったからだというものがあります。
当時、高家が付け届けを受け取ることは、幕府からも黙認されていたようで、当然のことと考えられていたようです。
という事で、さすがに付け届けをしなかったという事は無かったと思いますが、その額はどうだったでしょう。
当然、18年前の記録を参考にしたと思われます。
一方、元禄の当時、貨幣の海中などもあり経済はインフレ傾向にありました。
結果として、付け届けの額が、特に上野介が当然と考えている額よりも少なくなったのかもしれません。
それによって、さすがに嘘を教えるという事は無かったにしても、上野介の内匠頭へのあたりが強くなったのです。
殿様は知事と違って投げ出すことが出来ないのが、内匠頭の辛いところだったのかもしれません。
ではでは