横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

「昔思った疑問への解答」再考

「昔思った疑問への解答」について考え直してみた話です

 

 

前回の記事から

 前回の記事は、戦国時代の大名は、天下の統一を目指して争っていたわけでは無く、自らの家の存続をかけて戦っていたのではないか、という話でした。

 

yokositu.hatenablog.com

それぞれの戦国大名が、自らの家を守るために活動していたのですが、その最終的な結果として、家康が江戸幕府を開くという形で決着したことから、全てが天下統一のためだと見えてしまったていると考えた訳です。

という記事をアップした後で、そうならば一つ考え直さないといけないかもしれない記事がある事に気づきました。

「昔思った疑問への解答」という記事です。

 

yokositu.hatenablog.com

 

昔思った疑問

 「天下統一を目指す者が、京都を目指すのはなぜか」という、中学時代の歴史の授業で思った疑問に対する、この年になってから解答してみたという記事です。

結論としては、天皇を頂点とした律令制長きに渡って続いてきていたために、それ以外の権力構造を想像できなかったのではないかと考えました。

太陽活動の変化による気候変動により経済基盤、ひいては社会システムの崩壊が起こり、そこからの回復過程が戦国時代の混乱だと考えたわけです。

その時に、どういった形に社会を立て直すかと考えた時に、当然のように天皇を頂点とした律令制だと考えたのです。

その結果、皆こぞって天皇のいる京都を目指した訳です。

天下統一を考えていなくても

 という話だったのですが、実際には天下統一を目指していなかったのでした。

であるならば、私の中学生の時の疑問は、そもそもの前提が違っていたという事になりそうです。

戦国大名たちが京都を目指したのは、天下統一するためではなく、家の存続のためだったのです。

という事で、「昔思った疑問への解答」を読み返してみたのですが、結論から言うと、それほど変更は必要が有りませんでした。

結局の所、天皇を頂点とした律令制のシステムを回復した後に、その権力構造の中でしかるべく地位に付くという目的は同じだと考えられるからです。

その先にあるのが、家の存続でも、結果としての天下統一でも同じ事なのです。

実際に、秀吉は関白になりましたし、家康は征夷大将軍になりましたしね。

信長も、家督を継いだ信忠に、官職も譲りたいと願った、という話もあるようですし。

結局、前提は違っていましたが、私の解答としては変わらず「みんなそういうものだと思ってた」という事でよさそうです。


冷静に考えれば、誰もかれも天下を目指すというのもおかしいですよね。


ではでは

戦国大名と天下統一

戦国大名と天下統一について考えた話です。

前回の記事から

 前回の記事でも書きましたが、本ブログでは家康は、最初から天下統一を考えていたわけでは無なく、結果としてそうなったんではないかと考えています。

 

yokositu.hatenablog.com

 

記事を書いた後もそのあたりを色々と考えていたのですが、この天下統一を考えていなかったという見方が、戦国大名の基本的な立場では無かったかと思えてきました。

という訳で今回は、戦国大名は基本的に天下統一なんか目指してはいなかったのでは無いかという話です。

なぜ天下統一なのか

 そもそもの話、なぜ戦国時代の大名は天下統一を目指していたという話になるかと言えば、最終的に家康が徳川幕府を開いたからという事になります。

結果がそうなのだから、それに向けてみんなが動いていたはずだという訳です。

それに加えて、家康へとつながる三英傑の残り二人、信長、秀吉も、それぞれ、信長は「天下布武」を目指していましたし、秀吉はそのものズバリ「天下人」と呼ばれていたというのもありますし。

その為、戦国時代の全国の大名は、天下を統一するために戦をしていたというイメージが強いのだと思います。

かくいう私も、少し前まではそう思っていました。

それよりも家

 しかし、改めて考えて見ると、戦国時代の話として良く知っているものは、どちらかと言えば天下を狙うと言うよりも、それぞれの家を守るための行動だったと考えると分かり易いのでは無いかと思うのです。

信長の「天下布武」にしても、最近では「天下」とは今日を中心とする地域の事だと考えられていますし。

以前の記事でも書いたように、晩年の信長は、「天下」を手に入れた後は、終活に向かっていたと思われ、決して全国を制覇する気はなかったのではないかと思われるのです。

 

yokositu.hatenablog.com

 

戦国時代は

 ところで、戦国時代の原因について以前の記事で取り上げています。

 

yokositu.hatenablog.com

 

yokositu.hatenablog.com

 

シュペーラー極小期が原因の天候不順による農業不振により、経済破綻が起き統治システムに綻びが生じたのが、戦国時代の原因だと考えました。

そして、その混乱からの回復過程が、戦国時代と聞いて思い浮かべがちな、桶狭間以降の流れだったのです。

その回復過程で、全国の戦国大名が天下統一を目指して争ったという訳です。

実際には各大名が、それぞれの家の存続をかけて争っていたのが戦国時代だったのです。


 農民から立身出世した秀吉も、最後に願ったのが豊臣家の存続だったのは皮肉ですが。


ではでは

「どうする家康」から考える

「どうする家康」から考えた話です。

 

 

「どうする家康」

 今年の大河ドラマはご存知のように、松潤家康による「どうする家康」です。

今作で、大河ドラマも62作目だそうです。

家康は、当然過去に何度も取り上げてられていた訳で、これまでにない家康像を描行と気合がはいっているようです。

という事で、歴史好きな私としても、期待半分心配半分の感じで、観始めたのですが。

うーん、どうなんでしょう。

個人的な感想としては、ガッツリ時代小説を読みたいと思って読み始めたら、ライトノベルでした、といった感じでしょうか。

勿論、ライトノベルが悪いという訳では無いのですが、別に大河枠でなくても良かったような気もします。

それはそれとして

 それはそれとして、観る前には、題名の「どうする家康」から、生涯の様々な場面で家康が取った選択の結果、最終的に天下統一に至ったといった話なのかなと考えていました。

まあ、そんな事を言ったら、最後が天下統一かどうかは別にして、全ての人の生涯は多かれ少なかれそういったものなんですが。

要は、家康は天下統一を目指していたわけでは無かったという話なのかなと思ったのです。

そういった意味で、タヌキ親父のイメージの強い、これまでの大河ドラマに見られた家康像を否定して行こうとしているのかなと。

そのあたりは、おいおいと分かっていくのでしょうが。

天下統一を考えていなかった

 家康が、天下統一を最初から考えていた訳では無かったというのは、このブログでも色々と記事にしてきました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

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様々な状況証拠から、豊臣家を滅亡させるかなり間際まで、西の豊臣、東の徳川の天下二分の計ともいえるものを考えていたのではないかというのが、その主旨になります。

「どうする家康」もこんな感じの話になると面白いのですが。

それにしても、松潤で家康の権謀術策をどう描くのか、楽しみでもあるのですが。


 同時期に始まった冨永愛主演の「大奥」(ただし吉宗役!)の方が、大河ドラマっぽかったような。


ではでは

3月11日(2023)

東日本大震災について考えた話です

 

 

3月11日

 今年も3月11日がやってきました。

もうなのかまだなのか、東日本大震災から今年で12年だそうです。

個人的には、直接被害を受けたという事は無かったのですが、あの時受けた衝撃はまだはっきりと思い出すことが出来ます。

まだまだ自分たちの生きている世界について、知らないことの方が多い事を、思い知らされまた。

先日も、何十年ぶりかで映画「日本沈没」を観たのですが、その地震のシーンを最初に見た時に、これはいくらなんでもやり過ぎなんじゃないかと思った記憶が有るのですが、今回はこんなものだったかなと思ってしまいました。

それ程に、我々の想像力の貧困さをまざまざと見せつけられた出来事でも有りました。

以前の記事

 そんなことも有って、このブログでも、防災関係の記事をいくつか書いて来ました。

全てでは無いですが、思いつくだけ挙げてみると。

 

yokositu.hatenablog.com

 

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といった感じで、基本的には地震などの災害に遭った時のための事前の対策、といった話が多いでしょうか。

いくら防ごうとしても

 というのも、特に地震に関して言えると思うのですが、いくら発生確率を計算しようが、巨大な防潮堤を始めとする防災施設を作ろうが、根本的に地震そのものとそれによる被害を防ぐ事は出来ないと思うからです。

例えば、南海トラフ地震については、マグニチュード8~9クラスの地震の30年以内の発生確率が70~80%という事になっていますが、これにどれほどの意味が有るのでしょう。

最近になって、この数字自体の根拠が怪しいという話もあるようですが、それ以前に確率が100%でない以上、地震が起きても、起きなくても間違っていないということですよね。

あの熊本地震の発生確率は、1%未満と見積もられていたようですし、確率に関係なく起きる時には起きると考えておくべきでしょう。

防災施設も、東日本大震災を観れば分かるように、その被害は簡単に我々の想像力を超えてきますから、超えて来た時の事を考えておくべきでしょう。

ところで、東日本大震災の後に作られた巨大な防潮堤は、南海トラフ津波被害が予想される地域には作らないんですかね。
まあ、そんなことをやっていると、日本列島の周りをぐるっと防潮堤で守らなければならないことになりますが。
あまり住みたいとは思わないですが。

という訳で、力を入れるべきは、起きてしまった後にどうするかを、みんなで考えて、みんなで共有するという事ではないでしょうか。


 あの光景は、同時代を生きていた者として、忘れないようにして、活かしていかなければいけないと思っています。


ではでは

ラドンも木の上で夢を見たのか、その後からの恐竜

ラドンは、はたして何から生まれたのか、という妄想のその後の話から恐竜について考えます。

 

 

前回の話から

 前回は、ラドンが実際にいてほしいという、昭和の子供の願望まみれの話でした。

 

yokositu.hatenablog.com

 

恐竜以前の時代に。滑空する能力を持った爬虫類がいたという話から、恐竜の中にも同じようなものがいたのではないかと推測しました。

そうであれば、そういったものから進化したと考えられるラドンも、と考えられる訳です。

やっぱり怪獣には、実在してほしいのです。

収斂進化

 滑空する能力を持った爬虫類から、恐竜の同様な機能を持ったものを考えた背景には、収斂進化という考え方が有ります。

収斂進化は、前回の記事でも触れましたが、異なった系統の生物が、似た環境に置かれた時に、同じような形態になるというものです。

恐竜関連では、根強い人気のあるトリケラトプスとサイのよく似た姿などが、その代表例という事になります。

それならば、モモンガのような恐竜がいたとしても可笑しくないでしょう。

適応放散

 ところで、生物の進化という事でいうと、収斂進化と良く対で出て来る考え方に、適応放散というものが有ります。

一つの祖先から、様々な環境に適応するように、様々な種へと分化していく事を言います。

その中で、それぞれの環境に適応して似た形態になる事を収斂進化と読んでいる訳です。

適応放散の例として良く取り上げられるのが、オーストラリアの有袋類です。

その他の大陸から分離されていたために、オーストラリアでは、ほかの大陸の哺乳類である有胎盤類がおらず、その代わりに有袋類が占める事になりました。

その中には、フクロオオカミフクロネコ、フクロモモンガなどの収斂進化の見本のような者達もいたりします。

過去には、フクロライオンなんていうのもいたらしいです。

恐竜も適応放散と収斂進化

 適応放散と収斂進化は、当然恐竜にも当てはまるはずです。

それは、様々な形態の恐竜の化石が発掘されていることからも売らずけられます。

ジュラシックパークにも色々な恐竜が飼われていましたよね。

とはいうものの、現在考えられている恐竜像というのは、現代に生きている爬虫類に引っ張られ過ぎているんじゃないかと思うのです。

現代は、多くの環境が哺乳類に占められているために、爬虫類にさほどバリエーションが無いとも言えるわけです。

しかし恐竜が跋扈していた時代には、そのほとんどの環境を恐竜が占めていたと考えられます。

という事は、恐竜にも現在の哺乳類に見られるようなバリエーションが有ったとのではないでしょうか。

ウサギのように耳が長かったり、ゾウのように鼻の長い恐竜や、シマウマのような模様の恐竜も居たのかもしれません。

こういった形態は、骨格からは分かりずらいですから、化石では分からない可能性は高いと思われます。

本当のジュラシックパークは、かなり違う印象のものなのかもしれません。


 勿論、ラドンのようなのもいたと思いたい。


ではでは

ラドンも木の上で夢を見たのか、その後

 ラドンは、はたして何から生まれたのか、という妄想のその後です。

 

 

ラドンは恐竜?

 ラドンとは、温泉なんかのラドンではなく、空の大怪獣ラドンです。

ただし、今世紀になってから海の向こうで暴れているバタ臭いやつでは無く、昭和の時代に飛び回っていた方のラドンです。

 

引用元:怪獣総進撃中! | 路地裏の散歩者

そのラドンについては以前記事に書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

今回の記事を書く前に確認したら、3年も前に書いていました。

全く時の流れは、容赦有りませんね。

その記事では、その翼に指があることから、ラドンが一般に考えられているプテラノドンのような翼竜から生まれたものではなく、鳥でもないと考えました。

さらに、直立二足歩行していることから恐竜だとしました。

その上で、これまでのところその存在は確認されていないが、現在のムササビやモモンガのように、腕から足にかけて膜状の部位を持つ種類が恐竜にも存在し、それから生じたのだと言うのが結論でした。

存在が確認された?

 ところが、一瞬そんな恐竜が発見されたのかと思わせる記事を見つけました。

nazology.net

だったのですが、よく読むと発見されたのは、恐竜が生まれる前のペルム紀に生きていた爬虫類の一種が滑空する能力を獲得した理由に関する話でした。

残念ながら、ラドンへと繋がるものではなさそうです。

繋がるものでは無いが

 ただ、確かにラドンへとつながるものでは無いのですが、興味深い点もあるのです。

この爬虫類が滑空する能力を獲得した理由というのが、生息していた森の木の間隔が開いた事に対応するためだという事でした。

遠い所に飛び移るためだという訳です。

となると、当然のことながらこういった環境はペルム紀特有の物ではなく、恐竜の生きていた時代にも有り得る話だという事になります。

そうなると、生物進化の世界では有名な「収斂進化」の出番です。

同じような環境が有ったのならば、同じように滑空の能力を持った恐竜が生まれる可能性は高かったはずです。

事実、翼竜という形態のものも生まれていたわけですから。

何処かに、化石が発見されるのを待っているはずです。


 昭和の怪獣と共に子供時代を過ごしたものとしては、色々と夢を見たいのです。


ではでは

柔軟性と老化

柔軟性と老化について考えた話です

 

 

柔軟性と体調

 TVで身体の柔軟性が低い(いわゆる体が硬いというやつです)と、体調に様々な悪影響が有りますよといった感じの番組を見ました。

hicbc.com

体が硬いという事で、足が上がり難くなったり歩幅が狭くなったりして躓き易くなり、とっさの時に体が動かなかったりして転びやすくなり、骨折などに繋がるというのは想像がつく話でした。

体が硬い人は、血管も硬い事が多く、様々な病気のリスクが上がるというのは、チョット意外でしたね。
体が硬いというのは筋肉の話で、血管とは関係がないと思っていましたから。

また、硬い部分の筋肉が使いにくい事から、その他の筋肉に負担がかかり疲れやすくなるとの事。
疲労にも関係があるとは。
歳を取ったから疲れやすくなるという事だけではないようです。

同番組ではその対策として、上のリンク先にも有るような3種類のストレッチが紹介されていました。
時間的にも短くて済みそうなので、チョット良さげでした。

そんな番組を見ながら、硬さと老化の関係について考えたので、今日はその話です。

身体の硬さと老化

 体の硬さと老化の関係は、比較的納得できるのではないでしょうか。

究極の若さである赤ん坊は、ビックリするほど柔軟性が有りますよね。

こじつけ気味ですが、生まれてすぐは、首も座らないほどですし。

その後、歳を取るとともに次第に体が硬くなっていくのは、誰しも経験が有るのではないでしょうか。

前屈しても床に手が届かなくなったり、背中で手をつなぐ事が出来なくなったりするようになりますよね。

上でも触れましたが、足が上がらなくなり、何にもない所でつまずくようになったりする訳です。

身体そのものでも、動脈硬化や肝硬変は、文字通り「硬く」なる事ですし、血管の石化なんてのも、石のように「硬く」なるということですよね。

究極の老化ともいえる死を迎えると「死後硬直」が起きるというのは、無理矢理すぎるでしょうか。

思考の硬さと老化

 身体と来れば思考(心と言っても良いかもしれません)という事になりますが、こちらはどうでしょうか。

これも、誰しも我が身を振り返ってみれば、子供の頃の好奇心にあふれた柔軟なものから、年を経て経験を積むに従って硬直して行くことに、思い当たることが有るのではないでしょうか。

いつの間にか、柔軟な発想や好奇心は影を潜め、毎日同じような生活を続けるようになる。
その結果、1年があッという間に過ぎてしまう。

ついつい、昔の話が多くなり、新たな事をしようなどとはついぞ考えない。

「石頭」という、まさに「硬い」呼び方もあるじゃないですか。

多少無理は有りますが、認知症は、新たな記憶をすることが出来ずに、過去の記憶に固定されてしまうと考えると、究極の「硬直」という事が出来るのかもしれません。

身体も思考も、次第に「硬く」なっていくのが老化と言えなくもないのでは。

まあ、そんなに簡単なことではないのでしょうが。


 身体の硬さはまだ何とかなりそうですが、思考の硬さはどうしたものですかね。


ではでは

思いがけず花粉症と油

花粉症と油について思いがけず考えた話です

 

 

前回までの話

 前回まで2回に渡って、花粉症と油について考えてきました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

 

yokositu.hatenablog.com

 

花粉症の原因として、オメガ3とオメガ6の摂取量の比が怪しいのではないかという話でした。

オメガ3に対してオメガ6を摂り過ぎているのが問題という結論でした。

その為、後は摂りすぎのオメガ6を減らしオメガ3を増やして比率を正しくするぞ、
という事で話は終わりました。

それで話は一旦終わるはずだったのですが、これが意外と大変だという事が発覚したので、今回はその話です。

大さじ一、二杯の筈が

 比率を正しくするためには、先ず適正な摂取量が分からないことには話になりません。

それについては、前回までの2回の記事を書くために調べていた時に、一日に大さじ一、二杯だというのを見掛けていたわけです。

料理している時の事を思い出すと、炒め物などに油を使う時に、大さじ一、二杯などはすぐに使ってしまっているの明らかです。

炒め物などに使うサラダ油やごま油はオメガ6なので、その使用量を大さじ一、二杯未満い押さえ、その分オメガ3をえごま油などで摂れば良いかなと。

油を減らした分は、テフロンに頑張ってもらえば何とかなるだろうと。

そんな風に考えていた時が、私にも有りました。

一日40~60グラム?

 ところが、油の摂取量としては、一日40~60グラムが適正という情報も有る事に気が付きました。

油大さじ一、二杯で40~60グラムという事は有り得ません、せいぜい30グラムというところでしょう。

どちらが正しいのでしょうか。

結論から言えば、どちらも正しかったです。

一日40~60グラムというのが、必要な油脂の量で有り、大さじ一、二杯というのは、そのうちで料理に使う油の量という事のようです。

料理に使う油以外は何かというと、食品に含まれている油という事です。

確かに、冷静になって考えると、オメガ3の含まれているものにサバなどの魚というのが有った訳で、食品に含まれる油というの考慮しなければならない訳です。

食品は食材だけでは無い

 ここで、さらなる情報「見えない油」がとどめを刺します。

「見えない油」とは、料理に使う油のように見て分かるものでは無く、食品に含まれている見ただけでは分からない油の事です。

先ほどのサバに含まれる油も「見えない油」なのですが、それよりも問題なのは、サバなどの食材に含まれる物よりも、すでに食べられる形になっているものに含まれる油です。

分かり易いのは「揚げ物」でしょうか、油で揚げて有る訳ですから、たっぷりと油を含んでいます。

それだけでなく、最近はほとんどの食品に油が含まれていると言っても過言では無い状況にあります。

この事が分かってから、スーパーで食品に表示されている油の量を確認する癖がついてしまいました。

なかなか油を使っていないものが無いのが驚きです。

特にお菓子なども曲者で、手焼きのせんべいなどの伝統的なものの一部にしか、油を使っていないものを見つける事が出来ません。

しばらくは、「見えない油」との格闘が続きそうです。


 この辺りが、オメガ6の過剰摂取を招き、結果として花粉症患者を増やしている原因なのかもしれません。


ではでは

引き続き花粉症と油

花粉症と油についてもう少し考えた話です

 

 

前回の話

 前回は、花粉症と日頃食べている油の関係について考えた話でした。

 

yokositu.hatenablog.com

 

食用の油の成分の種類である、オメガ3とオメガ6の摂取の比率が花粉症と関係しているのではないかというものでした。

オメガ6が、花粉症に伴う炎症の原因になる物質を体内で作る際の原料となっており、オメガ3が炎症を抑える効果が有るという事でした。

その為、いくらオメガ3を食べて炎症を抑え込んでも、それ以上にオメガ6を食べていれば、炎症を引き起こす物質が多過ぎて焼け石に水になってしまうのです

そこで対策として、オメガ6を減らしつつオメガ3を増やして、理想的な比率である2:1にしてやればよさそうだという訳です。

コップ理論

 花粉症の発症の機構に関しては、完全には解明されていないようですが、よく聞く説明に「コップ理論」というものが有ります。

花粉症は、ある日突然発症するのですが(私も、てっきり最初は風邪をひいたと思ったんですよね)、それを説明するために花粉にするアレルギーのコップのようなものを想定する事で説明しようというものです。

花粉に対するアレルギーの何かが(これが正確にはよく分かっていない訳です)コップに溜まっていき、有る時にコップからあふれる事で突然発症するという事になります。

コップの中身が分からないので、それを減らす方法も分からず、一度発症した花粉症は直せないということになっています。

従って、医者で貰う花粉症の薬というのは、炎症を起こす物質に対する対症療法という事になります。

結構いい線行っているのでは

 以上の事を踏まえると、オメガ6の過剰摂取による花粉症の発症という仮説は、結構いい線を行っているんじゃないかと思うのですが。

コップという概念は、オメガ3とオメガ6による炎症を引き起こす力と抑える力の差と考えればよさそうです。

オメガ6が過剰になり、オメガ3との差が付いた時に症状があらわれて発症したと認識されるという事になります。

従って、オメガ3とオメガ6の比率を正常にすることにより、対症療法ではなく、症状の発生そのものを抑えることが出来るかもしれません。

他の原因についても

 ところで、花粉症の原因については、他にも色々と挙げられています。

戦後の成長期に大量に植樹された杉が成長し、大量の花粉が作られるようになったから。

車の排気ガス等に含まれる、いわゆるPM2.5などの微粒子物質が影響している。

等が代表的なところでしょうか。

何れも、免疫系を刺激するのは確かなようです。

しかしながら、それだけが原因で花粉症になるのであれば、多かれ少なかれ全ての人に影響があるはずです。

現実には、花粉症になる人もいれば、全く影響のない人も存在します。

その原因が、各人の食生活の違いによるオメガ3とオメガ6の摂取比の違いと考える事も出来そうです。


 色々と理屈をこねて来ましたが、油の取り方を変えるだけなので、体に悪いという事はなさそうですし、やってみるしかなさそうです。
密かに、体重も減らないかなと期待しているのですが。


ではでは

花粉症と油

花粉症と油について考えた話です

 

 

オメガ3

 健康情報番組でオメガ3という油について取り上げられることが有ります。

健康オタクの私としても、最近気になっているものの一つだったりします。

オメガ3ですが、ご存知のように食用に使う油の一種という事になります。

青魚、亜麻仁油、えごま油などに多く含まれているようで、健康のためにこれらを食べるのが良いという訳です、

で、その効果はと言うと、動脈硬化の防止、具体的には中性脂肪や悪玉コレステロールを減らすということだと認識していました。

アレルギーにも

 オメガ3に関しては、概ね上に書いたような認識だったのですが、有る番組でアレルギーにも効果が有るという話をしていたのが気になって調べてみました。

長年に渡って苦しめられてきた花粉症にも良いという話もあったからです。

調べてみると、確かにオメガ3が炎症を抑制する効果を持っているようです。

花粉症による炎症にも効果が有るという事のようです。

ただ、取敢えずオメガ3を食べれば良いという訳では無いようです。
(番組の内容としては、オメガ3を食べましょうというものでしたが)

オメガ6との比率

 オメガ3という名前に、3という数字が有る事から予想出来るように、ほかの数字のものも有ります。

その中で、重要なのはオメガ6という油になります。

食用としては、いわゆるサラダ油、ゴマ油ですね。

このオメガ6とオメガ3の摂取比率が重要なようなのです。

理想的な比率はオメガ6とオメガ3が2:1という事だそうです。

日本人の現状はおよそ5:1という比率 で、オメガ6の食べ過ぎです。

まあ、料理で油と言えば、普通はサラダ油、ゴマ油ですからね。

どうして比率が

 さて、花粉症の炎症を抑えるためならば、炎症に効果が有るオメガ3を摂取すればよさそうですが、なぜオメガ6との比率が問題になるのでしょう。

この辺りを調べていくと、興味深い事が分かってきました。

そもそも花粉症というのは、人体に入って来た花粉に対して、免疫機構が過剰に反応することにより引き起こされます。

具体的には、過剰に反応することにより、有害物質と判断した花粉を排除するために様々な物質が放出されます。

それらの物質の中に炎症を引き起こす物が有り、それらによって引き起こされた症状を花粉症と呼んでいるわけです。

で、それと比率との関係ですが、どうも、オメガ6が炎症を引き起こす物質の原料になっているようなのです。

なので、いくらオメガ3を食べて炎症を抑え込んでも、それ以上にオメガ6を食べていれば、炎症を引き起こす物質が多過ぎて焼け石に水になってしまうのです。

ならばどうするか

 比率が問題ならば、対策は明確です。

オメガ6を減らしつつオメガ3を増やして、比率を2:1にしてやればよさそうです。(オメガ3だけを増やしていくと、メタボまっしぐらになりそうですから)

という事で、今年の花粉症の季節に向けて、オメガ6を減らしてオメガ3を増やす対策を取り入れる事にしようと思います。

これで、長年苦しめられている花粉症が何とかなればいいのですが。

ところでこれで効果が有れば、花粉症の原因の一つは、オメガ6の取り過ぎという事になるのですが、どうなんでしょう。


 やはりTVでは、スポンサーの関係で、オメガ3を食べましょうとは言えても、オメガ6を減らしましょうとは言い難いのでしょうね。


ではでは

太陽と文明レベルの関係から考えると

太陽と文明レベルの関係から考えて見た話です。

 

 

前回の話

 前回の話は、太陽と文明レベルの関係についてでした。

 

yokositu.hatenablog.com

 

人類の文明のレベルが、太陽エネルギーとの関係で説明出来るのではないかというものでした。

先ず、太陽活動の変動による気候変動に対応する、言うなれば能動的な文明レベルが有ったと考えます。

次に、石炭、石油などの太陽エネルギーを濃縮したとも言える資源を活用し始めます。

受動的な文明から、能動的な文明のレベルに入った訳です。

これで、太陽活動の変動による影響を、ある程度相対的に小さなものに出来ました。

しかし、これら資源が有限な事と、気候への影響が問題視されるようになります。

石炭、石油などの使用が、濃縮された太陽エネルギーを解放することと考えれば、気候への影響も当然と考える事が出来るかもしれません。

それに対応するために、太陽光発電風力発電などの継続的なエネルギー源を利用しようとしているのが、現在の状況と言えます。

その先には核融合発電が有り、太陽を自ら作り出すレベルという事になります。

当面の方策は

 核融合発電は、残念ながら実用化までにまだ30年とも50年ともいえる期間が必要なようです。

それまでは、太陽光発電風力発電でという事になりますが、発電量が一定でないという大きな問題が有ります。

太陽光は昼間しかないですし、風力も何時も有る訳ではありません。

これでは全面的に切り替える事が出来ません。

そのために、現実には火力発電や原子力発電に頼らざるを得ない事になっています。

火力発電は、結局石炭、石油などの資源を利用するので問題はそのままです。

原子力発電は、福島の状況から明らかなように、技術的に不完全で問題が多いものだと言わざるを得ないでしょう。

最近になって、新型の原子炉を作るとか作らないとの議論が有りますが、東京に作る事が出来るかどうか考えれば、どういう技術なのかは明らかでしょう。

どこを目指すのか

 ではどうするのかという事になりますが、基本的にはやはり太陽光発電風力発電のような継続的なエネルギー源を使う事になると考えられます。

しかし、上でも書いたように定常的に発電出来ないという根本的な問題が残ります。

その為、発電出来ないときにも電気が供給できる手段が必要となります。(現在は、火力発電や原子力発電を使っているわけです)

それは、現在でも一部で使われている「電池」という事になるでしょう。

もっとも、現在全てがそうなっていないのは、その性能、価格が十分ではないからです。

という訳で、当面の目標は高性能で安価な電池の開発という事になります。

温暖化対策やSDGSといった議論が行われていますが、単純に高性能で安価な電池の開発という目標に世界的な力を傾注する方が、分かり易いし合意も形成し易いと思うのですが。


 欧州の天然ガスへの依存が無ければ、ウクライナの状況も違ったものになった筈ですよね。


ではでは

太陽と文明レベルの関係

太陽との関係で文明レベルについて考えた話です。

太陽活動と歴史

 このブログでは、いくつかの記事で、耐油活動と歴史の関係について考えてきました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

太陽活動の変化が歴史を動かしているのではないかという立場から、歴史上の出来事を考えています。

太陽活動の変動が地球の気候に影響を与え、それに対応することが歴史上の出来事のきっかけになっているのではないかという訳です。

受動から能動へ

 先ず気候の変動が有り、それに対するリアクションが起こされる訳です。

その有り方は、太陽からのエネルギーに対して受動的だという事が出来そうです。

その後文明は、石炭、石油や、天然ガスを利用する段階へと入っていくことになります。

石炭、石油などははるか昔の時代に生きていた植物などの生物資源化から、長い時間をかけて生成されたと考えられています。

それを採掘し、利用する訳ですから、太陽からのエネルギーを能動的に利用していると言えるでしょう。

有限から持続へ

 受動的から能動的への移行により、太陽活動の変動による気候の変動による社会への影響が、相対的に小さなものになることになりました。

しかし、石炭、石油などは、長い時間をかけて生成されたものであり、残念ながらその埋蔵量は有限で、何れ枯渇することになります。

更に皮肉なことに、その使用量が莫大に膨れ上がったために、一旦その影響から逃れたかに見えた気候の変動を、自らが引き起こしつあるかもしれないという状況になりました。

それに対して現状は、太陽電池風力発電、波力発電などの持続可能なエネルギーで乗り越えようとしています。

これらの特徴は、全て基は太陽エネルギーだという事です。

自ら作り出す

 現状は、以上のような地点に有る訳ですが、ここまではどのように太陽エネルギーに対応していくかというものだと言えるでしょう。

つまり、太陽が有る事が前提になる訳です。

そう考えると、次の段階が見えてきます。

その太陽そのものを作り出せば、太陽の有無に関係なくなります。

太陽を作り出すというのは、核融合ということになります。

核融合が出来た時が、次の文明の始まりと言えるのかもしれません。


 原子力については、福島の事故を見ても、色々な面で袋小路ではないかと思っているので、あえて取り上げていません。


ではでは

窓の寒さ対策

窓の寒さ対策について思いついた話です

 

 

窓の寒さ

 この冬は、結構な寒波が何度もやって来て、結構寒かったなという印象です。

もっとも、前回の冬に比べてどうだったかと言われると、よく分からなかったりするので、いい加減なものですが。

その何度か在った寒波に合わせて、TVで様々な特集をやっていました。

その中に窓の寒さに関するものがありました。

住宅から熱が逃げていく時に、窓からの割合が高いというのは知っていました。

特に日本の場合、窓枠としてアルミサッシが使われているのが問題だという事も。

金属の熱伝導率が高いのが原因ですね。

確かに、冬に窓枠を触ると冷たいですよね。

欧米では、プラスチック製窓枠が使われているようで、日本はどうしてそうならないのか不思議なんですが(大人の事情というやつかもしれません)。

窓枠の話では無かった

 そんな内容かと思ったのですが、番組の内容は窓枠の話では全然ありませんでした。

カーテンの下の端から寒気が入って来るので、それに対処する方法といった感じのものでした。

カーテンの下の端から寒気が入って来ると言っても、勿論窓が開いているわけでは無く、窓とカーテンの間の空気が冷やされて下の端から出て来るという話でした。

これまでそんなところに注意したことも無いので、取敢えず部屋の窓のカーテンの下に手を出してみた訳です。

そうしたら、確かに冷たい空気の流れが有りました。

しかも、その時は外気温が氷点下だった事もあってか、結構冷たい流れが。

気にしたことも無かったが

 これまでカーテンの下からの冷気なんて全く気付いていなかったのですが、知ってしまうとどうにも気になる訳で。

番組で紹介されていた対処法は、大きく分けて2種類でした。

一つは、割れ物の梱包などに使われるプチプチ等の断熱性の物を窓に貼るというもの。

もう一つは、段ボールなどの板状のものを置いて、冷気をせき止めるようにするもの。

 

引用元:窓の防寒対策してみました。|のりパパのブログ|のりパパ R スピリット! - みんカラ

 

どちらも今ひとつ

 どちらの方法も効果はありそうなんですが、取り入れるかと言うと今一つなんですよね。

窓に貼るのはうまく貼れるか心配ですし、冬が終われば外すのも面倒そうで。

冷気の堰止めは、上の写真のような出窓タイプだとそうでも無いでしょうが、普通の窓だと床に置くので邪魔になりそうです。

と、気にはなるけどもどうしょうかなと思っていたんですが、急転直下それなりの解決策を思いつきました。

それは、単純に床まで届く長いカーテンを使うというものです。

床まで有るタイプの窓では難しいですが(それよりも長いカーテンが手に入れば可能ですが)、床からある程度上に有る窓で有れば、床までの窓用のカーテンを使えば床まで届いて余ることになります(我が家ではそうでした)。

この程度でも結構防げるようで、私的には満足しています。


 特に、冬のために特別に何もしなくて良い所が気に入っています。


ではでは

不断の品質と機能の追求

日本人と「不断の品質と機能の追求」について考えた話です。

 

 

前回の話

 前回は、「縮み」志向と日本人について考えた話でした。

 

yokositu.hatenablog.com

 

『「縮み」志向の日本人』という本の内容を基に、日本の高度成長の背景に「小さいものに美を認め、あらゆるものを<縮める>」という日本文化の特徴が有るのではないかという説について考えました。

結論的には、そういった面も無くはないが、それよりも「不断の品質と機能の追求」を行う点に有るのではないかとしました。

少し補足させていただくと、ここで言う「機能」には「意匠」といったものも含まれていると考えて下さい。

そうしないと一部のもの、例えば「庭園」等、の「機能」の追求とはなんだという事になりますから。

それも含めて、今回はなぜ日本人が「不断の品質と機能の追求」をするようになったのか考えて見たいと思います。

環境の影響

 結論から言うと、我々日本人が住んでいる日本列島の環境がその背景にあるのではと考えています。

以前の記事で、日本列島での農耕の始まりについて考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

日本列島で独自に農耕社会が発展することはなく、外部からの導入による弥生時代の始まりを待たなければなりませんでした。

この背景には、日本列島の事前の豊かさが有ると考えました。

完全に農耕に移行せずとも、狩猟採集で十分だったのです。

そのような自然環境に農耕が導入された訳です。

農耕による生産性も高かったと考えられます。

この事が、日本人の「不断の品質と機能の追求」という傾向と関係しているのではないかと思うのです。

高い生産性により

 別の記事で、農耕と権力の関係についても書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

農耕に必要な人員よりも、その生産物で養える人数うが多くなった結果、余剰な人員が生産物をコントロールすることにより権力が発生したと考えました。

しかし余剰な人員が全て権力側になるわけでは当然なく、残りの人々は何らかの仕事をすることになります。(例えば土器の製作とか。)

上でも考えたように、日本列島の生産性は高かったわけですから、これらの権力以外の仕事に就く人々も多かったと考えられます。

仕事に就く人が多いと

 多くの人が農耕以外の仕事に就くと、当然同じ仕事に就く人も多くなります。

そうなると、社会はすでに狩猟採集時代のような平等社会ではないので、よりよい生活のために、競争をすることになります。

同じ生産物であれば、品質が良い方が選ばれるでしょうし、機能的にも良いものが選ばれることになります。

それがあらゆる仕事で要求されることになります。

その結果、日本文化に「不断の品質と機能の追求」という底流が形成されることになったのではないでしょうか。


 日本列島という豊かな環境に住んでいるのに、今の状況はどうなんでしょう。


ではでは

「縮み」志向なのか

日本人と「縮み」志向について考えた話です。

 

 

「縮み」志向の日本人

 ネットをさまよっていたら、「縮みの文化」という言葉に行き当たりました。

「縮み」という事に着目した日本人論のひとつで、昔話題になったのを思い出しました。

たしか、書籍が話題になり、本屋で斜め読みした記憶が有ります。

調べてみると『「縮み』志向の日本人』という本でした。

幾つかの版が有るようですが、最初の出版は何と1982年で、40年以上も前でした。

いつも思う事ですが、何時の間にそんな時間がと驚くばかりです。

「縮み」志向

 しっかりと当該の本を読んだわけでは無いので、ネットで調べた内容が中心になりますが、主張としては次のようなものです。

1982年出版という事で、それまでの高度成長期を通り抜けて来た日本の発展の理由について考察したものになります。

その高度成長を支えたものが、日本人の意識の底にに共通して流れている「「縮み」志向」だという訳です。

その「「縮み」志向」ですが、「小さいものに美を認め、あらゆるものを<縮める>ところに日本文化の特徴がある」という事のようです。

どんなものが「縮み」志向なのか

  扇子、庭、トランジスタ、折詰め弁当等に「縮み」志向が見られるという事らしいです。

それらを、入れ子型、扇子型、姉さま人形型、折詰め弁当型、能面型、紋章型という6つの型に分類して説明されます。

例えばトランジスタを始めとする半導体を使って、高機能化をしつつ小型化をして行く。

世界を席巻したウォークマンなどが、この代表でしょうか。

これは畳み込むという事で、扇子型という事だそうです。

折詰め弁当型の代表である、折詰め弁当はどうか。

膳で供される食事を縮めて、可動的なものにつくりあげるところに発想の原点がある、と考えます。

「縮み」も有るが

 確かに「縮み」という捉え方で説明出来るものもあるのかもしれません。

しかしそれを志向しているとまで考えるのはどうなんでしょうか。

折詰め弁当は、別に膳で供される食事を縮めて、可動的なものを作り上げているわけでは無いと思うのですが。

それに基となる膳も、どんどんコンパクトになっているという事も無いですしね。

最近では、全国的に巨大な仏像や観音像が作られていますが、どうなんですかね。

これについては、これまでも奈良の大仏を始めとして少なくないものが作られていいますから、昔からそうだったようですし。

「縮み」一本でというのはどうなんでしょう。

ではどう考えるか

 というような事をかんがえていたら、これらのものを支える背景のようなものに気が付きました。

それは、「不断の品質と機能の追求」という事です。

我が国においては、全てのものが対象と言っていいほどに,、常に商品の品質と機能の改善が行われています。

トヨタの「改善」が「KAIZEN」という英単語になったのが象徴的ではないでしょか。

「不断の品質と機能の追求」の結果がウオークマンなのです。

折詰め弁当も、持ち運べるものを追求した結果であり、単に縮めたわけでは無いのです。

結果で有って、それを志向した訳では無いという事です

時に機能の追求が過ぎて、機能てんこ盛りでかえって使い難いという皮肉な事も起こるのですが。


 次回は、なぜ日本人が「不断の品質と機能の追求」をするようになったのか考えてみたいと思います。


ではでは