横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

第2波に備えて

 これまでの状況から、第2波への対応について考えてみた話です。

 

 

ロックアウトの効果

 前回の記事で、非常事態宣言は今回の感染者数の増減には影響が無かったと考えられ、第2波に備えるために、要因の解明をすべきだと書きました。

海外では、ロックアウトということになるのですが、当然この辺りは研究されている訳で、そのあたりの効果についての研究結果が出始めているようです。

雑誌サイトの記事なので、無くなるかもしれませんので、チョット長くなりますが、引用します。

研究チームは、欧州連合EU)の専門機関「欧州疫病予防管理センター(ECDC)」が毎日発表している各国の新型コロナウイルス感染症の感染者数および死亡者数と、休校、大規模集会の禁止、店舗の営業停止、外出禁止、マスクの着用といった各施策の各国での実施開始日をもとに、統計モデル「一般化加法混合モデル(GAMM)」で分析した。

感染拡大の抑制と最も高い相関が認められたのは休校だ。ただし、小学校、中学校、高校、大学のうち、いずれの教育機関での休校が感染抑制に最も寄与したのかは明らかになっていない。

大規模集会の禁止は、休校に次いで、感染拡大の抑制に高い効果が認められた。

(中略)

人々が集まるレストランやバー、レジャー施設、イベント会場の閉鎖も感染拡大の抑制に寄与した。その一方で、ハンター教授は「これら以外の業種における営業停止は、感染拡大の抑制にほとんど影響がなかったとみられる」と考察している。

また、外出禁止は、新型コロナウイルス感染症の発生率の減少との相関がなく、むしろ、外出禁止の日数が増えるほど、感染者数は増加した。

 引用元:ロックダウンは必要なかった? 「外出禁止は感染抑制と相関がない」と研究結果 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

これは、大まかに言うと、比較的多人数でいわゆる3密になるものを閉鎖することが、効果が大きかったという事になるでしょう。

特筆すべきは、最後に有る、外出禁止が感染者数を抑制するよりもむしろ増加させていたという分析です。

結局、一人住まいは別として、複数人の家族では、外出禁止により、むしろ3密状態を生じてしまったのではないかと想像されます。

我が国の対応

 以上の事は、わが国の対応の推移を見ても、当てはまる点がある様に思えます。

先ず、安倍首相が国内のスポーツ・文化イベントの自粛を呼び掛けたのは2月26日でした。

次に、いわゆる3密に関する勧告は、厚生労働省より2020年3月1日に出ています。

最後に、学校の閉鎖は、3月2日から始まりました。

以上のように、結果的に、記事で指摘された効果の見られた対策について、比較的早くから対応がなされていたことになります。

この辺りが、比較的抑え込みに成功した要因なのかもしれません。

かといって、第2波が到来したときに、同じことをもう一度行う事は、おそらく容認されないと思われます。
例えば、学校を、もう一度数か月に渡って休校にすることは、ほぼ不可能ですよね。

実際には、3密になることを出来る限り避け、感染者数を見ながら、現実的な解を探るという事にならざるを得ないでしょう。

少なくとも医療面は

ただ社会的な方策に関してはそういう事なんですが、少なくとも、検査を始めとする医療環境の整備に関しては、反対をするものは居ないと考えられます。

第一波に対しては、明らかに様々な面で不足、不備な面が有ったのは、否めないところだと思います。

当面はその改善に、最大限注力をすべきでしょう。

感染してしまった後の不安を、完全とは言わないまでも、ある程度限り取り除くことに拠り、社会生活をどう立て直していくかに注力できる形に成ればと思うのですが。


 結局これといった解決策は有りません。
新型コロナウィルスは、つくづく厄介な代物です。
それにしても、いまだにアベノマスクすら届かないというのは、どうしたものでしょうか。


ではでは

非常事態宣言の効果

 非常事態宣言の効果につて考えてみた話です。

 

 

日本モデル

 非常事態宣言が、全国で解除されることになりました。

安倍首相による表明のための記者会見で、次のような趣旨の発言が有りました。

「罰則を伴う強制的な外出規制などを実施できない日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができ、『日本モデル』の力を示した。」

強制力を伴わない、「接触の8割減」を目指した自粛に拠って、収束に至ったという訳です。

あるかもしれない第2波に対する準備としても、いいタイミングだと思われるので、その効果について、確認してみましょう。

新規感染者数

 PCR検査が少なすぎるので、正確な感染者数を表していないといった話も有りますが、それを言い出したら、常に無いものねだりになってしまうので、ここでは、新規感染者数で考えてみたいと思います。

テレビ等でもよく見ますが、次のグラフが、全国の新規感染者数の推移になります。

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引用元:特設サイト 新型コロナウイルス 感染者数データ|NHK

 

チョット、個別の日付が分かり難くて申し訳ないですが、ピークは4月11日の720人であり、グラフ中にもある様に、最初に7都府県に緊急事態宣言が出された4日後になります。

ところで、良くテレビなどで解説されていて耳タコになった感も有りますが、ある日の新規感染者数は、約2週間前の感染の結果を示していると考えられる訳ですから、4月11日の新規感染者数は、3月27日頃の状況を示していることになります。
という事は、感染は、3月27日頃にピークを迎えていたことになる訳です。

緊急事態宣言の効果

 ところで、3月27日がピークだったという事は、4月7日から始まった、緊急事態宣言とは関係なく増減しているという事になりそうです。

最初の4月7日の2週間後の4月21日以降、全国に拡大された4月16日の2週間後の4月30日以降、いずれも急激に感染者数が減っているようには見えません。

ピークの4月11日から、ほぼ一貫して右肩下がりの傾向を示していると言えると思います。

今後あるかもしれないと考えられている第2波までに、何が増減に影響していたのか検討を早急に行い、次回は何を対策として行うのか、考えておくべきでしょう。

今回の結果をもとに、第2波が来た時に、もう一度同じ事を行うのは、意味ないとは言いませんが、理解を得難いと思うんですよね。

明らかに、非常事態宣言は、今回の感染者数の増減には影響が無かったという事ですからね。


 加えて、あれだけ騒がれた「接触の8割減」に関しては、何だったのか、ぜひ調べてほしいです。


ではでは

 

 

 

 

邪馬台国東遷と継体天皇(後編)

 邪馬台国東遷から、継体天皇の出自について考えてみた話(後編)です。

 

 

継体天皇は九州出身

 前編で、後に継体天皇となる男大迹王は、九州の出先機関を統べる応神天皇の子孫だったのではないかと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

男大迹王が、九州で代を重ねてきた系統の子孫だと考えれば、継体天皇応神天皇の5世の孫という記述も、あながちでっち上げでは無い事になります。

こう考えると、今回の一連の継体天皇に関する最初の記事で書いたように、NHKの番組での継体天皇像を、説明出来るんじゃないかと思った訳です。

 

yokositu.hatenablog.com

 

番組での継体天皇

 ここで改めて、番組での継体天皇像を確認しておきます。(話の都合で前回とは一部順序を変えています)

  1. 武烈天皇が後嗣を定めずに亡くなったため、越前にいた応神天皇の5世の孫、男大迹王(をほどのおおきみ)を招いて、継体天皇として擁立した。
  2. 男大迹王は、越前を治め、近江、尾張とも関係が深い、有力な豪族だった。朝鮮半島との関係も深かった。
  3. 河内で即位したのち、大和に入るまで20年近くかかったのは、地方豪族の即位に反対した勢力がいたから。ただし、反対勢力に対抗できるようになるため、わざと入らなかったとも考えられる。
  4. 継体天皇が、天皇として初めて横穴式石室に葬られ、その棺は、九州で産出する阿蘇ピンク石で作られていた。始めて、大陸で行われている、国際的スタンダードを取り入れた天皇だった。
  5. 大和に入った後、すぐに磐井を叩いたのは、もう一度大和政権への求心力を高めるため。


九州出身による説明

 先ず、1.に関しては、前編で書いたように、九州にいた応神天応の5世の孫だったという事になります。

次に、2.の、越前を治め、近江、尾張とも関係が深い、有力な豪族だったというのは、正面から反旗を揚げるのではなく、裏口とも言える、日本海側、東海など、周辺の勢力と連携をしたという事では無いでしょうか。

朝鮮半島とも関係が深かったというのは、元々朝鮮半島政策の最前線を九州で担っていたのですから、当たり前という事になります。

ひょっとしたら、朝鮮半島との関係から、日本海側の勢力とつながりが出来たという事も有るかもしれません。

3.の、河内で即位したのち、大和に入るまで20年近くかかったのは、地方豪族の即位に反対した勢力がいたから、と言うのはその通りでしょう。
周辺の勢力と連携したのち、物部氏と大伴氏と共に反旗を翻したが、葛城氏らの勢力とのせめぎあいが続いたという事だと思います。

4.の、天皇として初めて横穴式石室に葬られ、その棺は、九州で産出する阿蘇ピンク石で作られていた、というのは、九州出身だと考えれば、納得し易いでしょう。
特に、横穴式石室に関しては、この頃になると、九州では支配者層が取り入れる程に、社会に受け入れられいたという事でしょう。

磐井の乱

 最後に、5.の、磐井の乱ですが、これだけは、出身母体をなぜという事になります。

これに関しては、元々男大迹王と九州の実力者磐井との思惑に違いが有ったのか、それとも、20年近くの時間の中で、考えが変質したのかは分かりませんが、大和に入ったころには、その対立が決定的になっていたという事だったのではないでしょうか。
そのため、大和に入るとすぐに口実を作って、磐井を討ってしまったという事なのだと思います。

そのことを示すかのように、『古事記』では、磐井の乱に関して、「命に従わず、無礼が多かったので討った」程度の記述しかなく、乱というほどのものでは無く、言いがかりとも言えるものだったとも思えるものになっています。


 という訳で、これまで継体天皇で王朝が変わったのではないかと思っていたのですが、応神朝の中での勢力争いだったという事になりそうです。


 ではでは

 

 

 

邪馬台国東遷と継体天皇(前編)

 邪馬台国東遷から、継体天皇の出自について考えてみた話(前編)です。

 

 

邪馬台国東遷

 前回の記事で、大和政権は、九州に有った邪馬台国が、畿内に東遷し、それを指導した応神天皇から始まった、というのが現状での私の仮説だという事を書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

そもそも、邪馬台国の東遷については、中国における、西晋が滅亡した後に出現した、五胡十六国と呼ばれる大動乱時代の影響を避けるべく、大陸から離れた畿内に移ったのが原因と考えた訳です。

 

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ここで改めて、東遷について、確認しておきたいことが有ります。

それは、邪馬台国畿内に移動したとはいっても、江戸時代の藩の国替えのように、一族郎党うち揃って移り住んだのでは無いという事です。

東遷と九州

 ここで、その東遷によって、出発地の九州はどうなったかを考えてみたいと思います

まあ、邪馬台国は、元々九州を拠点としており、敵地に攻め込んでいたのでは無いので、退き戦というのでは無い訳です。
それでも、東遷している途中で、大陸から攻め込まれ、追撃を受けるような事態になるのは避けなければなりませんから、九州に後備えを残しておいた筈です。

さらに、東遷が完了した後には、現代でいうところの縦深防御の最前線の防御を担当することになる訳で、間違っても、大陸からの勢力と呼応するようなことが有ってはなりませんから、信頼できる者を残しておく必要があります。

もっとも考え易いのは、東遷の指導者応神天皇の子息という事になるでしょう。

そう、九州には、邪馬台国が東遷して大和政権が成立してからも、応神天皇の子孫を歴代のトップとする、出先機関とも言えるものが存在したのではないかと考えられのです。

九州の出先機関と大和政権

 その後、大和政権は、広開土王碑の記述にみられるように、朝鮮半島への関与を強めた後に、高句麗に敗れることになります。

そして、倭の五王による朝貢に見られるように、一転して、中国との関係の中で、政権の正当性の確立と朝鮮半島南部での権益を守る方向に、方針転換をしました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

この間、九州の出先機関は、当然当初は、朝鮮半島に対して最前線で関与していたはずです。
しかし、方針転換後は、脇に追いやられた格好になったと考えられます。

当然不満があったはずで、そんな中、大和政権が弱体化したのを機に、政権の奪取を画策したのではないでしょうか。

そうした時に、当然行動の旗頭は、九州の出先機関の中でトップとして引き継がれてきた、応神天皇の子孫という事になります。
ちなみに、後に「磐井の乱」で登場する磐井は、トップを支える有力者だったと考えられます。

そして、該当する子孫が、応神天皇5世の孫である男大迹王だったという訳です。


 以上のように考えると、継体天皇に関する話について、色々と説明出来るんじゃないかと思っているんですが、そのあたりを後編で検討したいと思います。


 ではでは

 

 

邪馬台国東遷と応神天皇

 邪馬台国東遷と応神天皇の関係についての話です。
話としては独立していますが、一応前回の話の続きになります。

 

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宇佐神宮卑弥呼

 以前の記事で、卑弥呼の墓は、宇佐神宮じゃないかという話を書きました。

 

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宇佐神宮には、比売大神、神功皇后応神天皇、の三神が祀られています。
前記の記事では、このうちの比売大神が、卑弥呼ではないかと考えました。

そして、日本書紀の成立が720年である事、さらに三柱の神がそれぞれ祀られている三御殿の造営時期が、725年以降であることを考え合わせて、宇佐神宮は、比売大神即ち卑弥呼への信仰を基に、日本書紀中の人物を加える形で、現在の形に成ったと書きました。

神功皇后応神天皇が選ばれたのは、九州に関係する人物だからだというのを、理由として考えました。

宇佐神宮神功皇后

 しかし、その後、邪馬台国東遷説と日本書紀の記述の関係を考える中で、神功皇后に関しては、もう少し別の理由が有るのではないかと考えるようになりました。

 

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それは、神功皇后が、卑弥呼の存在を日本書記から消すために、作り出された人物だったのではないかという事です。
ただし、存在を消すためと言うならば、その後継の台与のことも包含していると、考えるべきかもしれないと、最近は考えています。

神功皇后が以上のような存在であるならば、神功皇后と比売大神即ち卑弥呼宇佐神宮に祀られているのはうなずけます。

宇佐神宮応神天皇

 となると、残る応神天皇はどう考えれば良いでしょうか。

前述の記事では、神功皇后の息子で、九州生まれだからという事にしたんですが、これについては、書いた時から、説得力が無いに等しいなとは思ってたんですけどね。

神功皇后が、卑弥呼と台与という事であるならば、その息子とされる応神天皇は、その後継者という事になります。

世代的には、邪馬台国が東遷したと考えている時期に当てはまります。

という事は、応神天皇の正体は、邪馬台国の東遷を指導した人物ということではないでしょうか。

こう考えると、応神天皇が九州生まれであることや、宇佐神宮に祀られている事も、何ら不思議では無いことになります。

さらに、その事績には、彼の軍事的能力を示すような話がほぼ無いに等しいにも関わらず、武神八幡神として祀られていることも、東遷における役割を考えると、納得がいくものとなります。

応神天皇以降が実在

 ところで、応神天皇に関しては、その事績に関して、仁徳天皇と記述の重複・混乱が見られることから、両者を同一人物と考える説もあります。

これに関しては、日本が中国の周と同時代から続く正当な王朝で有ることを示すために、応神天皇以前の系図を付け加えたと考える事で、解釈出来ると思います。
その上で、東遷の事実を、初代とした神武天皇の東征という形にし、応神天皇には、次の仁徳天皇の事績の一部をあてたという事では無いでしょうか。

つまり、応神天皇以降が、実在の天皇なのではないかと、考えられるのです。
この事は、『古事記』において、応神天皇以降に、死没年の干支が記載されるようになっていることとも符合します。

大和政権は、九州に有った邪馬台国が、畿内に東遷し、それを指導した応神天皇から始まった、というのが、今のところの私の仮説という事になります。


 次回は、応神天皇が東遷を指導したことと、継体天皇の出自との関係について考えてみたいと思います。


 ではでは。

 

 

継体天皇は何処から来たのか

 継体天皇の出自に関して考えた話です

 

 

継体天皇の番組

 BSプレミアの番組「英雄たちの選択」で継体天皇の話をやっていました。

概ね、以下のような内容だったと思います。

  • 武烈天皇が後嗣を定めずに亡くなったため、越前にいた応神天皇の5世の孫、男大迹王(をほどのおおきみ)を招いて、継体天皇として擁立した。
  • 男大迹王は、越前を治め、近江、尾張とも関係が深い、有力な豪族だった。朝鮮半島との関係も深かった。
  • 河内で即位したのち、大和に入るまで20年近くかかったのは、地方豪族の即位に反対した勢力がいたから。ただし、反対勢力に対抗できるようになるため、わざと入らなかったとも考えられる。
  • 大和に入った後、すぐに磐井を叩いたのは、もう一度大和政権への求心力を高めるため。
  • 継体天皇が、天皇として初めて横穴式石室に葬られ、その棺は、九州で産出する阿蘇ピンク石で作られていた。始めて、大陸で行われている、国際的スタンダードを取り入れた天皇だった。

まとめると、地方からスカウトされて大和政権を立て直した、開明天皇という事でしょうか。

継体天皇の記事

 継体天皇に関しては、実際にはそこで王朝の交代があったのではないかと言う話を、以前書きました。

 

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武烈天皇から継体天皇への継承の話が、中国の正史にみられる、王朝交代のフォーマットによく当てはまることから、単なる代替わりではなく、実質的に王朝が交代したのではないかと考えました。

また、古事記の奇妙な記述内容も、継体王朝への交代が有ったと考えると、説明出来るとも書きました。

 

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継体天皇の出自

 ただし、継体天皇本人に関しては、応神天皇5世の孫というのは、いかにも怪しいということ以外は、その出自に関して、特にこれといった考えは有りませんでした。

まあ、漠然と、番組で紹介された上記のようなものだったのだろうと、考えていました。

しかし、今回の番組を見ていて、継体天皇の出自に関して、邪馬台国東遷説との関係で、違った解釈も出来ることに気が付きました。

それは、継体天皇は九州からやって来たのではないかというものです。
加えて、応神天皇5代の孫というのも、あながち出鱈目では無いかもしれないというおまけつきです。

その詳細を、さっそく説明したいところですが、そのためには、先ず、応神天皇に関して、東遷説との関係を説明する必要があるので、稿を改めたいと思います。
本日はこれまで。


 出来の悪い講談のような終わり方になってしまいましたが、実は、元々、最近になって応神天皇と東遷説の関係を考えていたのですが、タイミング良く、継体天皇の番組が放送され、今回のような記事になりました。
という訳で、次回は、邪馬台国東遷説と応神天皇の関係についてです。


 ではでは

 

やはり、教育は動画ベースで

 教育を動画ベースで行ってはどうかという話です。

 

 

コロナとオンライン授業

 非常事態宣言が延長されることになって、さらに1か月続くことになってしまいました。

学校も、今のところ5月末まで休校というところが多いようです。

そうなると、ニュースなどでも、オンラインでの授業に関するものが見られるようになって来ました。

その形態も、新たに動画を作成して発信したり、民間のものを活用したりと、試行錯誤が続いているようです。

しかしながら、こういった事を行っているのは、自治体レベルで、導入割合は10%にとどまっているようです(4月16日時点。文部科学省調べ)。
特に、双方向型の授業を行っているのは、わずかに5%だそうです(同調査)。

まあ、これまでそんなこと考えた事が無かったところからと考えれば、頑張っているとも言えるのかもしれません。

次の機会に備えて

 残念ながら、現状を一気に改善するような、アイデアは今のところ思いつきません。

そこで、将来起こるであろう同様の状況にも対処する方法を、考えてみました。

以前の記事で2度、教育に動画を取り入れたらと言う話を書きました。

 

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一つ目の話は、放送大学のようなものを、小中高向けにも出来ないかという話でしたが、放送は動画と考えても問題ないでしょう。

これらの流れで、学校での教育のベースに、全面的に動画を取り入れてはどうかと思うんですが。

動画の取り入れ方

 動画を取り入れる基本的な考え方としては、二つ目の記事で書いた、英語の授業に動画を取り入れる方法をベースに考えます。

1週間で習う内容を一本の動画に纏めるようにします。
細かいところまですべて詰め込むのではなく、全体像の説明を中心とします。
長さとしては、一回の授業に収まるように作ります。

そして、授業の流れとしては、各週の最初の授業で、その週の分の動画を視聴させ、残りの授業で、必要ならば細部への展開と、問題演習等により、内容の定着を図るという形を基本とします

こうすることに拠り、授業内容の最低限のレベルが、動画の内容という形で保障されることになります。

動画については、オンラインまたはDVD等のメディアにより、常に家庭で参照できるようにしておきます

こうすることに拠り、通常の予習、復習に活用出来ることになります。

教える側からしても、ベースとなる部分は動画に任すことが出来るので、その他の部分に注力出来る事になり、いいと思うんですが。

長期休校時には

 今回のような感染症だけでなく、地震等の他の災害による長期休校時においても、その休校期間中に学ぶはずであった動画を視聴することに拠り、最低限の教育を、それまでの授業に継続する形で、提供出来ることになります。

避難所等で、集合的な学習の場を考える時にも、何を勉強させればいいかという問題が、どの動画を視聴させればいいかという問題に置き換えられるので、取り組み易くなると考えられます。

親としても、各時点で学習すべき内容が明確になっている訳ですから、何をやらせたらいいのか分からないと言った、心配は無くなることになります。
もっとも、それをチャンとやらせるというのは、また別の問題ですけどね。
そのあたりを、教師がサポートするのが良いのかもしれません。


 以前の記事でも書きましたが、1セット作れば、全国で使える訳ですから、良いと思うんですけど。


ではでは

 

 

マスク!マスク!マスク!2

 マスク不足について再び考えてみた話です。

 

 

相変わらず有りませんねぇ

 以前、マスクの不足について記事を書きました。

 

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その時に比べても、見事なまでに、相変わらずマスク有りませんね。

近所のドラッグストアでは、入荷がほぼなくなり、毎日開店前に有った行列すらなくなってから久しいです。

中国からの輸入も少しづつ回復してきているようですが、絶対数は相変わらず足らないようです。

それに加えて、全世界の人がマスクを使う日が来ようとは、文字通り、「事実は小説より奇なり」でしょうか。

その結果、世界中でマスクの争奪戦が起き、中国はマスクを外交の道具として使い始めるといった有様となっています。

再利用可能なマスク

 前述の記事では、使い捨てのマスクを必要量揃えることが、現実的ではないことから、再使用可能なマスクを考えてはどうかという話をしました。

ところが、現実には、多くの人や企業が、手作りの布マスクを作るようになる、という事になりました。

その極め付きとも言えるのが、「アベノマスク」でしょう。
まさか、全家庭に再利用できる布マスクを(でも2枚って!?)、配布するとは思いませんでした。
それにしても、形はもうチョットどうにかならなかったですかね。
昭和の時代の給食当番じゃないんだから。

布マスクの効果

 とはいっても、前の記事でも書いたんですが、使い捨ての不織布マスクにしても、再使用可能な布マスクにしても、いずれも、他の人にうつさないようには出来ても、自らの予防にはあまりならないという問題があります。

しかし、ここにきて面白い情報が出て来ました。

それは、異種素材を重ねた布マスクは、飛沫粒子の80%~99%をカットするというものです。
これは、医療現場で使われている、N95マスクと同様の効果という事になります。
もっとも効果の高かったのは、綿とシフォンを重ねたものだった様です。

nazology.net

これが本当ならば

 これが本当ならば(疑っている訳ではないですが、確認の必要はあるでしょう)、官民総力で、素材、デザイン、製造手順などを開発すべきでしょう。

特にデザインに関しては、布を二種類重ねることで性能が出るといっても、それだけでは、装着時の性能が保証される訳では無いので、いかに密着度を上げるか、検討の余地があると思われます。

そのあたりがクリアされれば、素材は布なので、特別な設備は必要なく、通常の衣服の製造と同様の設備でいいはずです。
これは、現在、色々な場所で布マスクが作られていることからも、裏付けられます。
そのため、ある程度緊急であっても、生産量を確保することは可能でしょうし、平時になって、需要が減っても、過剰設備を抱える事にはならないと思われます。

当然、複数回洗って使える事が想定できるので、使い捨てのマスクを使う必要が無くなるとともに、必要数も抑えられ、全国民にいきわたらせることも出来るはずです。
新しい種類の衣服が、一種類増えると考えれば良いわけです。

現状のマスク不足対策のみならず、流行の第二波対策にも有効でしょうし、常備することを、将来の新たな感染症に対する備えとしても考えるべきでしょう。

何よりも、国内で供給可能と考えられるところが最大の利点でしょう。


 アメリカでの死者は6万人!?を超えて、とうとうベトナム戦争での戦死者よりも多くなってしまいました。
当時ブレトンウッズ体制が終わりを迎えたように、我々は今、時代の転換点を生きているのかもしれません。


 ではでは

 

古墳の形状

 古墳の形状について考えてみた話です。

 

 

色々な種類が

  前回の話を読んだ知り合いから、埋葬方式についてはそうかもしれないが、古墳の形も色々ある、それはどうなんだという趣旨の事を聞かれました。

確かに、古墳に関しては前方後円墳が圧倒的に有名ですが、実際には、下記の図のような、実に多様な形状が存在します。

 

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引用元:古墳の形(墳形)

 

横穴式石室の伝播が、朝鮮半島からの亡命者によるものと考えるならば、これらの多様性はどう考えれば良いのかという訳です。

墓の形に正解は無い

 私としては、そもそも以前から、墓の外形的なものと、葬送形式は別々に考えるべきものではないかと考えていました。

例えば、古代エジプトで考えると、初期には、三大ピラミッドに代表されるように、ピラミッドの形態を取っていたものが、時代を下るにつれて、王家の谷に代表されるように、地下に墓を作るようになりました。
世界観、死生観としては、一部例外を除き、一貫してエジプト神話をもとにしており、ミイラを葬るというように、変化は無かったと思われるのにです。

現代の我が国で考えても、墓の形は多様性に富んでいると言っていいでしょう(一応、仏教系の墓を対象にします)。
墓石ひとつとっても、一般的な直方体だけでなく、昔から宝塔とか五輪塔とかの形のものもありますし、最近では、本人の意思、生前の業績、趣味嗜好などにより、さらに様々な形態の墓石が作られています。
例えば、お酒が好きだった父親のために、缶ビールの形にしたと言う話を聞いた記憶があります。

現代とはチョット違うかもしれませんが、日光東照宮も、徳川家康の墓といえば墓な訳です。

極論を言えば、何かを墓だと言えば、それが墓になると言っても良いかと思います。

古墳も同じ

 古墳の形状に関しても、同じような事だったのではないでしょうか。

ある時点で、誰かが、またはある集団が、墓を作る時に様々な理由で、ある形状を考えたというだけの事ではないか。
勿論、考えた側にとっては、それなりの理由があったとは思いますが、それらに共通する背景のようなものは無かったのではないかという事です。

例えば、古墳時代の代表的な前方後円墳に関しては、最初に誰かが作って、はっきりとした理由は分かりませんが、天皇家でも採用したことに拠り、各地の支配者層が取り入れたという事ではないでしょうか。
それ以外の地位の人には、ある意味忖度したために、前方後円墳以外の古墳も作られたという事だと思います。

まあ、そこに世界観、死生観といったものはあまり関係なく、一種の流行だったのではなかったかと思うのです。 

それを裏付けるかのように、6世紀末の第31代用明天皇以降は、現代にいたるまで、天皇の陵墓としての前方後円墳は、作られていません(の筈です)。


 以上、色々と考えてきましたが、前方後円墳に関しては、結局のところ、あのデザインそのもののインパクトが大きかったのではないかと思っています。


ではでは

 

横穴式石室の伝播と普及

 横穴式石室の伝播と普及について考えた話です。

 

 
竪穴式と横穴式

 前方後円墳というのは、お墓な訳ですが、その埋葬方式には、勿論細かな違いや例外はありますが、大きく分けて、竪穴式と横穴式の二つの形式があります。

竪穴式は、後円部の頂上部に埋葬を行うもので、再利用は出来ません。
それに対して、横穴式は、棺を納める玄室まで、文字通り横から通路を作る形式のもので、構造から分かるように、後から別の棺を入れること、すなわち追葬が可能という事になります。

これら二つの形式は、先ず土着的な竪穴式から始まって、そののち横穴式が広まったと考えられています。

その横穴式は、中国から、朝鮮半島を経由して、日本に伝播したとされ、地理的にも近い九州北部で、4世紀後半から作り始められたとされています。

埋葬方式は葬送儀式の一部

 一般的には、北九州の豪族が、朝鮮半島で行われているのを、取り入れて始まったと考えられています。

それに対しては、チョット疑問があります。

先にも書いたように、そもそも葬送儀式の一部である、埋葬の形式を、交流があるからと言って、そんなに簡単に取り入れるとは思えないんですよね。

大体、葬送儀式の形式は、その社会の世界観、死生観、そして宗教観を色濃く反映しているものの筈で、いくら近隣の先進地域で行われているからといって、自分の親を葬る時に、祖父母とは違う形式のもので行おうとはならないと思うんですよね。

では、4世紀後半の北九州で何があったのでしょうか。

横穴式石室の伝播

 以前の記事で、中国での動乱から逃れてきた朝鮮半島からの亡命者の影響で、邪馬台国畿内に東遷したのでは無いかと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

この朝鮮半島からの亡命者が、葬られるときに、彼らの習慣に従って横穴式を取り入れたと考えれば、納得がいきます。

中国での動乱、すなわち西晋の滅亡による五胡十六国時代の始まりは309年です。
当然、その後に亡命が起こった訳で、亡命後に古墳に葬られるほどの地位になった後に亡くなったと考えられるので、それなりの年月があったと考えられます。

そうすると、九州北部で4世紀後半から作られ始めたという事実に合う事になります。

横穴式石室の普及

 その後、邪馬台国の東遷に従って、それに同道した亡命者の一族を中心に、横穴式が東にも広がっていったという事ではないでしょうか。

という事で、初めの頃にみられる横穴式の古墳は、亡命者関連の権力者の墓で有り、支配者の墓では無かったという事になります。

初めて天皇で横穴式の墓に葬られたのは、継体天皇だそうです。
継体天皇が亡くなったのは、531年となっているので、大和政権の支配者層が取り入れるほど社会的に受け入れられるのに、約二百年程かかった事になります。


 以上、横穴式石室の伝播と普及を、邪馬台国東遷論で説明してみた話でした。


 ではでは

 

木登りンガルーと2足歩行

 木登りカンガルーから、2足歩行について考えた話です。

 

 

2足歩行は収斂進化

 以前の記事で、恐竜、人間共に、樹上で二足歩行を始めたのではないかと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

 

yokositu.hatenablog.com

 

最近、2足歩行の獲得という進化は、樹上という環境に対する、一種の収斂進化なのではないかと考えるようになって来ました。

つまり、樹上に進出することにより、条件が揃えば現れる形態(機能?)なのではないかという事です。

まあ、どういう条件かと言われても、今のところ分からないんですけど。

そんなことを考え始めたのは、テレビで木登りカンガルーの映像を見てからです。
そういえば、カンガルーも2足歩行だなと思ったのです。

木登りカンガルー 

 木登りカンガルーというのは、ニューギニアと一部のオーストラリア(クイーンズランド州)に生息している有袋類です。

いわゆる私たちが良く知っているカンガルーと同じカンガルー科の属の一つで、10種類ほどが知られているようです。

カンガルー科といっても、名前から分かるように、樹上で生活することに適応しています。

 

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引用元:キノボリカンガルー属 - Wikipedia

 

移動方法に関しても、地上性のカンガルーと同じように、左右の足を同時に使うものもいますが、地上性のカンガルーには出来ない、左右の足を別々に使う事の出来るものもいるようです。

これまでのところ、木登りカンガルーは、小型のカンガルーが木に登るようになって、生まれたと考えられているようです。

カンガルーの進化

 そうではなく、カンガルーの進化も、恐竜やヒトと同様の過程をたどったと考えられないでしょうか。

先ず、全てのカンガルーの祖先にあたる有袋類が、樹上に進出します。
その中から、2足歩行を始め、前足が手に進化するものが出て来ます。
この時、左右の足を同時に使う移動方法も獲得します。

その一部が、地上に再度進出し、現在の地上性のカンガルーになったと考えます。

そして、樹上にそのまま残ったのが、現在の木登りカンガルーに繋がっているという訳です。

カンガルーも、木の上で夢を見たのです。


 以上牽強付会なところも多々有りますが、この「2足歩行は、樹上生活での収斂進化という仮説、結構気に入っています。


 ではでは

 

ひょっとしてコキンちゃんは

 コキンちゃんについて思いついた話です

 

 

アンパンマン

 ここ最近、朝のテレビは、ほとんどコロナ一色という感じで、いい加減食傷気味なんですよね。

そこで、チョット前から、ちょくちょくBSでアンパンマンを見るようになりました。

そんな中で、へえーと思ったのが、ばいきんまん(公式には、全てひらがなだそうです。知らなかった。)側に「コキンちゃん」というキャラクターが増えていたことでした。

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引用元:なかまのしょうかい|アンパンマンについて|アンパンマンポータルサイト

時代がずれていたので、それほど熱心に見ていたわけでは無いんですが、昔は居なかったと思って調べてみたら、テレビでは2007年に登場したようです。

ドキンちゃんの事を、「ドキンお姉ちゃん」と呼んでいるので、てっきり妹だと思ったら、公式HPによると妹分だそうです。

ウソ泣きの名人で、その青い涙がかかると、悲しくないのに涙が止まらなくなってしまうという特徴(特技?)が有ります。

なんていう設定を見ていたら、どうしてこんな設定になったのか、思いつきました。

それは、小金治が関係しているんじゃ無いかという事です。

小金治

 小金治というのは、桂小金治師匠の事です。

最近は、知らない人もいるかと思いますので、簡単に説明させてもらいます。

名前から分かるように落語家ですが、昭和30年代から、映画、テレビドラマ、バラエティ番組で活躍されました。

特に、1975年から始まった、『それは秘密です!!』での司会が有名でした。

その『それは秘密です!!』に、「ご対面コーナー」という人気コーナーが有りました。
視聴者が、何らかの理由で長年会う事の出来ないでいる肉親などを、番組で探して対面させるというものでした。

その中で、桂小金治師匠が、感動のあまりもらい泣きする姿が有名になり、「泣きの小金治」と呼ばれるようになりました。

コキンちゃん

 やなせたかし氏が、ドキンちゃんの妹分のキャラクターを考えた時に、その名前として、ドキンちゃんより小さいから「コキンちゃん」とするのは、自然な成り行きと言っても良いでしょう。

そして、その「コキンちゃん」の特徴を考える時に、「コキン」という名前の響きから、同時代を生きてきた(7歳差)やなせたかし氏が、桂小金治師匠を思い浮かべたのは、考えられることだと思います。

そして、その小金治師匠から、「泣きの小金治」への連想で、「泣く」という特徴を思いついたのです。

ただ、「泣く」だけでは子供向けのキャラクターとして弱いと考えたのか、「ウソ泣き」として、さらにその涙に触れると、悲しくないのに涙が流れてしまうという、ひとひねりを加えたのではないでしょうか。

ネットで調べた限りでは、そんなエピソードは見当たらないようですし、やなせたかし氏が亡くなった今となっては、確認のしようも無いのですが、スタッフか誰か、ご存知ないでしょうかね。


 ちなみに、現在の私の推しは、「ポッポちゃん」です。

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引用元:なかまのしょうかい|アンパンマンについて|アンパンマンポータルサイト



 ではでは

 

 

手と同時にメガネも

 手と同時に、メガネもきれいにした方がいいんじゃないかと言う話です。

 

 

花粉症

 私、ずっと花粉症なんですが、その程度が、若い頃に比べて軽くなってきているんですよね。

花粉症は、免疫系が花粉に過剰反応を起こすという病気なので、年と共に免疫系が弱くなったということかなと思っているんですが。

とにかく、ここ何年かは、外出時のマスクと、かゆみ止めの目薬でなんとか乗り切れるようになっています。

ところが、ワンシーズンに何回か、私は爆発と呼んでいるんですが、くしゃみ、鼻水が止まらなくなる時が有るんですね。
若い頃は、それが通常で、薬で抑えていたんですけど、最近は、たまにそうなるようになった訳です。

爆発対策

 有る時、その原因の一つではないかと言うものに思い至り、対処してから、かなり爆発の頻度が少なくなりました。

それは、外出から帰ったら、メガネを洗うという事です。

外から帰ったら、マスクは当然処分しますし、服ははたき、手を洗ったり、うがいしたりして、なるべく花粉を持ち込まないようにしているわけですが、意外とメガネが盲点でした。

メガネは、中学のころから使っていて、ほぼ存在を忘れているので、考えもしなかったんですね。

そのメガネについた花粉が、何かの拍子に取り込まれて、爆発を起こすと考えたわけです。

対処をし始めてから、明らかに爆発の回数が減っているので、間違ってはいなかったと思っています。

コロナ対策でも

 と、ここまでが長い前振りで、本論はここからです。

今回の感染対策として、マスク、手洗いが言われ始めた時に、花粉症対策で、日頃やってる事と変わらないなと思ったんですよね。
でも、その時にメガネに関しては、あまりにもルーチン化していて、気にもしませんでした。

ところで、今回の新型コロナは、目の粘膜からも感染する可能性が高いと言われています。

医療現場でも、ゴーグルや、フェイスプレートなどが必須になっているようですし、その不足も伝えられています。
メガネにより、完全ではないまでも、ある程度飛沫を防ぐ事が期待できる訳です。

しかし、防ぐという事は、メガネに飛沫が付着することも有ることになります。

そうなると、今回のコロナウィルスは、プラスチックや金属の表面に付着すると、しばらくは生きているようなので、メガネに触れることで、手にウィルスが付いてしまう事になる可能性も考えられます。

という事で、花粉症対策で行っているように、手を洗う前に、先ずメガネをきれいにすることも大事ではないかと。

結果的に意味が無いという事になっても、特に困ることも無いですしね。

注:私の場合は、金属フレームという事も有って、手を洗う洗剤で、そのまま洗っていますが、メガネの材質によっては気を付けた方がいいものも有るかと思いますので、方法については、ご注意下さい。


 ひょっとして、花粉症対策をしている人間がそれなりに居るというベースが有る事も、これまでで感染が爆発的な状態になっていないことの、原因のひとつだということは無いでしょうか。
もっとも、それだけで防げるわけで無いのは、勿論ですけど。


 ではでは

 

 

 

ジャケ買いした本

 昔、思わずジャケ買いした本があったという話です。

 

 

押入れの奥から

 とうとう、緊急事態宣言が出される(公式には、発出と言うんですね、こういう時は)事態になってしまいました。

とは言っても、私の場合、もう通勤はしないので、頑張ってる方々には申し訳ないほどの、現状なんですけどね。

それでも、さすがに買い物以外の外出をほとんどしなくなり、時間が出来がちなので、これまでやろうと思っていて後回しにしていた、部屋の片づけなんぞをする事にしたのです。

そうしたら、押入れの奥から、思わぬものが出て来ました。
その昔、若かりし頃に読んでいた本が出てきたのです。
てっきり、処分してしまったと思っていたので、嬉しい驚きでした。

ジャケ買いした本

 私の好きな小説のジャンルは、SFなんですが、出て来た本の一冊は、そのきっかけとなった本です。

それは、E・R・バローズの「金星の海賊」という作品です。

どのような状況で、この本を手に取ったかは、もう忘却の彼方となってしまいましたが、なぜ買ったのかというのは、今でもはっきりと覚えています。
それは、カバーの絵柄の虜になったからです。
いわゆるジャケ買い(本もこれで良いんでしたっけ)をしたわけです。

そのカバー絵がこれです。

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引用元:武部本一郎(Motoichiro Takebe)

この絵を描いたのは、SFファンタジーの挿絵に関しては、いまだに右に出る者は居ないと思っている武部本一郎氏だったのですが、当時はまだそんなことは全く知らずに、彼の描く美女に魅入られてしまった訳です。

色々知り過ぎてしまった今見ても、というかそれだからこそ却ってとも言えますが、なかなか魅力的な絵柄だと思うんですけど。

で、買って帰って、読み始めたら止まらなくなって、その週末ずっと読んでいた記憶が有ります。
その後、E・R・バローズ、E・E・スミスエドモント・ハミルトン辺りを読み漁ってSFにどっぷりとはまり、今に至るという事になります。

他の出版社からも

 ところで、この「金星の海賊」は創元推理文庫から出ているのですが、後に、同時期に角川文庫からも「金星の大海賊」という名前で出ていたことを知りました。
そのカバー絵がこれです。

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引用元:Pirates of Venus(1934)

もしあの時に、手に取ったのがこちらだったとしたら、今SFにそれほど入れ込んでいないかもしれないですね。

最近のSF本の表紙は、メカニカル系のかっこいいのは増えているんですが、武部本一郎氏のような、情感も含めてセンスオブワンダーを感じさせるようなものが、少ないような気がするんですよね。
まあ、それだけ武部本一郎氏が凄かった、という事も言えるんですけども。

結局それ以降、ジャケ買いするようなカバー絵には、これまでのところ出会っていないですね。

 


 金星シリーズ全5巻、火星シリーズ全11巻が出て来たので、私の緊急事態宣言対策は、当面これらの再読で行こうと思っています。
それで足らなかったら、レンズマン、スカイラーク、そしてキャプテンフューチャーも一緒に発掘されたので、困ることは無いでしょう。
という事で、部屋の片づけは、再びお預けということになりそうです。

 


 ではでは

 

なぜヒトはがんになるのか

 がんとヒトの関係について考えてみた話です。

 

 

最初の記事

 このブログの最初の記事は、TV番組「NHKスペシャル シリーズ 人体II遺伝子」を見て、その内容からDNAについて考えた話でした。

 

yokositu.hatenablog.com

 

先日、その番組を再編集したものを、BSで見ました。

このシリーズで話の中心となる話題は、最初の記事でも触れているように、DNAにはまるで「スイッチ」のような仕組みがあり、その切り替えによって遺伝子の働きがコントロールされているというものです。

がんを抑える遺伝子とスイッチ

 その例として、「がんを抑える遺伝子」というものが出て来ます。

その働きは、その情報をもとに「がんの増殖を抑える物質」が作り出され、がんが抑え込まれるというものです。

そして、この遺伝子に対する「スイッチ」に相当するものも、有ることが分かっているらしいのです。

がん患者のDNAスイッチの状態を調べたところ、そのスイッチがOFFになっている人が多くいることが分かったという事でした。

OFFになる必要はあるのか

 この話に、チョット引っ掛かったんですよ。

そもそも、がんは、正確には解明されていませんが、何らかの原因によって細胞が異常な増殖をするようになり、最終的には、その個体を死に至らしめてしまうものです。

それに対して、その個体を死から守るために、「がんを抑える遺伝子」が進化したというのは理解が出来ます。

しかし、その「がんを抑える遺伝子」の働きをON、OFF出来るスイッチが有るというのは、どういう事なのでしょうか。

常に、ONの状態でいいじゃないですか。
OFFに出来るという事は、有る条件下では、がんが容認されているとも考えることが出来るわけです。

スイッチの条件

現状研究途上ではあるようですが、食事や運動などによって、スイッチが切り替わることが分かって来ているようです。
必要以上の食事と、少なすぎる運動が、スイッチをOFFにしているようなのです。

この事を、狩猟採集をしていた、ご先祖様の生活で考えてみると、どうなるでしょう。

一言で言うと、「働かざる者食うべからず」でしょうか。
運動、すなわち狩猟採集を行わなず、必要以上の食料を消費する者は、種の存続にとって不都合なわけです。
その為、がんを抑える事を止めることで、そういった個体を最終的には排除するように進化したということではないでしょうか。

とは言っても、現在がんで闘病している人たちが、そうだと言っているわけではありません。
これは、ひとえに現代の生活が、必要以上のカロリー摂取と運動不足をもたらしているために、スイッチがOFFになり易くなっていることを示しているのではないでしょうか。


 結局、やはり適度な食事と運動が大事だということでしょうか。
がんは速攻性ではないので、改善する猶予が与えられているとも、考えられる訳ですから。


 ではでは