邪馬台国に関する最大の問題は、何と言ってもその場所が特定できないということだと思います。
そこで、色々と見聞きしてきたものの中で、私が納得できた説を基にした、ここじゃないかなあ、という話です。
なぜ場所が特定できないのか
先ず、話の前提として、なぜ場所が特定できないのかを、簡単に説明させてもらいます。
邪馬台国は、3世紀に日本にあった国です。
中国の歴史書「魏志倭人伝」に、その朝貢の事実、至るまでの旅程、風俗等が記載されています。
ならば、場所もすぐにわかりそうなものなのですが、その「魏志倭人伝」に書かれている邪馬台国までの旅程に問題があるのです。
中国からの使者の報告の記録を基にしたと思われる、その旅程によると。
先ず、朝鮮半島から、壱岐対馬を経由して、福岡周辺の北部九州に上陸します。
いくつかの国を経由して、最後に邪馬台国に到着する訳ですが。
問題は、その最後の行程が、南に水行10日、陸行1月となっているということなのです。
これ、素直に考えれば、九州を縦断して、さらに南方の洋上に、邪馬台国があることになってしまうわけです。
どこだと考えられているのか
現状、場所にかんしては、九州説と畿内説が二大勢力と言っていいでしょう。
主に、旅程中の距離などを色々と考察して九州内に収まるとするのが、九州説。
最後の行程の南にというのが、東の書き間違いだとして、瀬戸内海を通って大阪付近に至ると考える、畿内説。
ちなみに、南方洋上を素直に考えて、邪馬台国は、琉球や台湾、はてはフィリピンにあったという説もあるみたいです。
南に水行10日、陸行1月は変
以上の話のなかで、私が問題にしたいのは、最後の行程が、南に水行10日、陸行1月となっているという点です。
これ、変だと思いませんか。
「魏志倭人伝」によれば、多くの国の間での争い(倭国大乱)を収めるために、卑弥呼を邪馬台国の女王として共立したとなっています。
その国が、往復で3か月近くもかかる場所に有るというのは、おかしいと思いません?
まあ、百歩譲って、遠くに有ったとしましょう。
そうすると今度は、邪馬台国までの間のことが何も触れられていないのは、変じゃないですか。
荒野と海しか無かったとは考えにくいですよね。
「邪馬台国の場所は
最後の行程の部分は、「魏志倭人伝」を書いた人物が、改ざんしたんじゃないですかね。
基になった記録には、最寄りの国からの、方角とそれなりの距離が書いてあったと思います。
それを、「魏志倭人伝」を書くときに、南に水行10日、陸行1月と改ざんした。
それによって、邪馬台国の場所が南方洋上という変なことになってしまった。
実際には最寄りの国の周辺に有ったと考えられるので、邪馬台国の場所は、九州の何処か、概ね北部か中部じゃないかと思うんですが、どうでしょうか。
まあ、唐突に、作者が改ざんと言われても、都合よすぎて、にわかには納得できないとは思いますが。
「魏志倭人伝」の作者が、なぜ改ざんしたのか、については長くなるので、また今度ということで。
ではでは。