『仮名手本忠臣蔵』について考えた話です。
季節外れですが
若干というか、かなり季節外れでうだるような暑さの中で、忠臣蔵です。
BSで関連の番組をやっていたので(日本の歴史を時代順に紹介しているといった感じの番組で、今回の順番が偶々そうだったという事のようです。)、それを見ていて思いついた話です。
忠臣蔵と言えば、劇や映画などでよく知られていますが、これはあくまでの実際の事件を基に、虚実織り交ぜて造られた話を指します。
それに対して、話の基となった事件については、学問的には「赤穂事件」と呼ばれています。
番組としては、「赤穂事件」を取り上げたものでしたが、今回の話は忠臣蔵のほう、それも忠臣蔵という呼び方の基となった『仮名手本忠臣蔵』についてです。
仮名手本忠臣蔵
さて、その『仮名手本忠臣蔵』ですが、よく知られているように歌舞伎や文楽の演目です。
討ち入りの35年後に初演されました。
当時、実際に起こった事件をそのまま本や劇とすることは幕府から禁止されていたため、時代や登場人物を変えて創作することが行われていました。
『仮名手本忠臣蔵』では、時代を室町時代に移し、主君の仇討のために打ち入った大石内蔵助を大星由良助、打ち取られた吉良上野介を高師直としています。
というような話が、番組の初めに忠臣蔵と赤穂事件の違いとして説明されました。
勿論、その内容自体は全く問題はないのですが、ちょっと引っ掛かったのです。
どうして高師直なのかなと。
大星由良助と高師直
大星由良助は、名前を変えつつ、大石内蔵助を彷彿とさせる名前と言っていいでしょう。
ところが高師直は、吉良上野介にかすりもしない上に、実在の人物なのです。
しかも室町幕府を開いた足利尊氏の側近で、初代および第三代執事という人物でした。
最初は、当時の幕閣の誰かを暗に批判するものなのかともかんがえましたが、どうもそれらしい人物は見当たりません。
なぜこんな、『太平記』にも出てくるような人物をもって来たのでしょう。
でもよく考えたら、答えはその名前と『太平記』に在ったのです。
高師直と高家
『仮名手本忠臣蔵』は3人の合作とされているようですが、そのうちの一人が、または複数人で話し合っている時に、次のようなことを思いついたのではないかと。
先ず、幕府との関係で、時代と登場人物名を変えることは大前提です。
どの時代にするかという事で、平安、鎌倉、室町と様々考えたと思います。
その中で、吉良上野介が儀式や典礼を司る役職の「高家」であることから、室町時代の高師直が連想されたのではないでしょうか。
太平記から
そうなると後は芋づる式です。
『太平記』の中で高師直は、神仏をも畏れぬ悪漢とされ、出雲国守護の塩冶高貞の妻に横恋慕したとされています。
塩冶という名は、大石内蔵助の主君である浅野内匠頭が治める、塩で有名な赤穂藩を想起させます。
これで、事件の発端である刃傷事件を起こした塩谷判官も決定です。
作者は、これはいけると思ったのではないでしょうか。
浅野内匠頭が刃傷に至った理由は、その当時でもよくわかっておらず、様々な説がありました。
そこで、『仮名手本忠臣蔵』では、塩冶高貞の妻に横恋慕という話をそのまま取り入れたのです。
ただ、史実の高師直は仇討されたわけでは無いので、当然都合よく大石内蔵助に相当する人物はおらず、大星由良助といういかにもな名前となったのでしょう。
当時は現代よりも『太平記』は身近だったはずで、観客は名前ですぐにピンと来て、しゃれが効いていると思ったかも。
ではでは