2024-01-01から1年間の記事一覧
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話9、白村江の戦いについてです。 2つの国からの遣唐使 白村江の戦い 斉明天皇は九州で亡くなった 九州には別勢力が 2つの国からの遣唐使 前回は、遣唐使について考えてみました。 yokositu.hatenablog.com 唐の歴史…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話8、遣唐使についてです。 前回の話 小野妹子以降も 旧唐書には2つの国が 使節に関する記述 前回の話 前回は、小野妹子について考えてみました。 yokositu.hatenablog.com 遣隋使が大和政権から派遣されたのではな…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話7、小野妹子についてです。 日本書紀の遣隋使は 裴世清が来たので 小野妹子は 日本書紀の遣隋使は ここまでの話は、中国の歴史書『隋書』の記述によると遣隋使は、一般に考えられているように時の大和朝廷が派遣し…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての6、俀國についてです。 前回までの話 「俀國」について 「俀國」と称していた? 「俀」の意味から考えると 前回までの話 前回までの2回の話は、遣隋使について考えてみたものでした。 yokositu.hatenablog.com yokos…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話5、「俀國傳」の違和感についてです。 遣隋使の派遣は九州王朝が 王は男性 聖徳太子が王なのか 阿蘇山も 遣隋使の派遣は九州王朝が 前回の話では、遣隋使の派遣元について考えました。 yokositu.hatenablog.com 隋…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話4、遣隋使についてです。 やはり大和政権ではなかった 『隋書』の記述 畿内というには無理が 九州から出ていない やはり大和政権ではなかった 前回の記事では、倭の五王について考えました。 リンク: yokositu.ha…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話2、倭の五王ついてです。 大和政権ではなかった 方針転換と倭の五王 倭の五王の事績 大和政権ではなかった 前回の記事で、高句麗の広開土王碑に記述のある倭について考えました。 yokositu.hatenablog.com この倭…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話2、広開土王碑における倭についてです。 大陸からの侵攻は無かった 朝鮮半島北部の地の奪還へ 広開土王碑における倭 大陸からの侵攻は無かった 前回の記事は、邪馬台国の東遷に与せずに九州に残った勢力が最優先で…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話1、大陸からの侵攻への備えについてです。 残った人々 伝来の土地は捨てられない 最優先事項は防衛 残った人々 前回までの記事で、邪馬台国の畿内への東遷について書いて来ました。 『日本書紀』の神武東征が、邪…
神武東征から邪馬台国東遷を考えた話3です。 疑問と回答 吉備の時点で 熊野の軍勢がいたので 紀伊半島は回らなかった 熊野を無視は出来なかった 疑問と回答 前2回の記事で、邪馬台国東遷を基にしたと考えている『日本書紀』神武東征についてみてきました。 …
神武東征から邪馬台国東遷を考えた話2です。 少数で吉備を目指して 神武東征経路 色々と疑問が 紀伊半島を回る 東から攻めるということであれば 少数で吉備を目指して 前回の記事では、神武東征の話から、邪馬台国東遷の規模と目的地について考えました。 y…
神武東征から邪馬台国東遷を考えた話1です。 神武東征は邪馬台国東遷 東遷の規模 吉備に3年 どこへ向かっていたのか 吉備の対応 神武東征は邪馬台国東遷 前回の記事で、『日本書紀』の神武東征が邪馬台国東遷を基にした話ではないかと考えました。 yokositu…
邪馬台国東遷と日本書紀について考えた話です。 邪馬台国東遷なのだが なぜ出てこないのか 天孫降臨と神武東征 邪馬台国東遷なのだが 前回は、『魏志倭人伝』以降の邪馬台国について考えてみました。 yokositu.hatenablog.com 『魏志倭人伝』に登場して以降…
『魏志倭人伝』以降の邪馬台国について考えた話です。 歴史の流れの中へ 背景には中国の状況が 朝鮮半島にも影響が それでも心配事が 謎の4世紀 歴史の流れの中へ 前回までで、邪馬台国の位置については現在の宇佐市、卑弥呼の墓は宇佐神宮という事で、一応…
邪馬台の読み方から考えた話です。 邪馬台はヤマト 「ヤマト」とは 「水門」は「ミナト」 山門郡を見てみると 宇佐は「ヤマト」か 邪馬台はヤマト 私は、「邪馬台国」の読み方は、「ヤマタイコク」ではなく「ヤマトコク」だと考えています。 前にも少し書き…
卑弥呼の墓と前方後円墳について考えた話です。 卑弥呼の墓は宇佐神宮 地形的特徴 前方後円墳ではないが 卑弥呼の墓は宇佐神宮 前回の話では、その地形的な特徴から宇佐神宮が卑弥呼の墓だと考えても、『魏志倭人伝』の内容に対して大きな矛盾が無いことを確…
卑弥呼の墓と宇佐神宮について考えた話です。 邪馬台国は宇佐 径百余歩 赤色立体地図で宇佐神宮 邪馬台国は宇佐 前回の記事は、宇佐を邪馬台国としても、『魏志倭人伝』の旅程からは致命的な矛盾は無さそうだという話でした。 yokositu.hatenablog.com 今回…
邪馬台国への旅程から宇佐について考えた話です。 候補地は宇佐 これまでの結論 結論と宇佐 候補地は宇佐 前回の記事は、『魏志倭人伝』から離れて、道鏡事件から邪馬台国を考えるという話でした。 yokositu.hatenablog.com 道鏡事件で、その神託が重要視さ…
邪馬台国の場所について別角度から考えた話です。 『魏志倭人伝』では確定できなかった 道鏡事件とは 道鏡事件の気になる点は 天皇、皇后が祀られているから? 比売大神 宇佐八幡宮は古墳 『魏志倭人伝』では確定できなかった 前回まで、『魏志倭人伝』の記…
邪馬台国までの残る旅程について考えた話です。 不弥国までは辿り着いた 投馬国、邪馬台国への旅程 それ程遠くない 不弥国までは辿り着いた 前回まで13回に渡って、『魏志倭人伝』に描かれた、帯方郡から邪馬台国までの旅程と、関連する記述に関して考えて…
邪馬台国の位置に関する記述「會稽東冶の東」について考えた話です。 邪馬台国は大月氏に比肩する大国 ただし方位は曖昧 風俗の記述の中に 「會稽東冶の東」を思いつく 邪馬台国は大月氏に比肩する大国 前回までの記事で、陳寿は、旅程を情報操作することに…
邪馬台国の戸数、七万余戸について考えた話です。 距離に続いて戸数 七万余戸は多すぎるのでは これも大月氏に合わせた 距離に続いて戸数 前回は、『魏志倭人伝』にある、邪馬台国までの距離一万二千余里について考えました。 yokositu.hatenablog.com この…
邪馬台国までの距離一万二千余里について考えた話です。 一万二千余里は陳寿が付け加えた 目的は一貫している 大月氏 大月氏まで-万二、三千里 一万二千余里は陳寿が付け加えた 前回の記事では、『魏志倭人伝』に「自郡至女王國 萬二千餘里」とある、邪馬台…
邪馬台国までの距離について考えた話です。 不弥国までは辿り着いたが これ以上は手詰まりか と考えられてきたが 不弥国までは辿り着いたが 前回の記事で、九州上陸後の旅程を不弥国まで考えました。 yokositu.hatenablog.com 結論的には、不弥国は周防灘に…
末廬国から不弥国までの旅程について考えた話です。 末廬国から不弥国まで 先ずは結論 末廬国は福津 末廬国から伊都国 伊都国から奴国 奴国から不弥国 末廬国から不弥国まで 前回の記事で、一大国から海を渡った末廬国が、従来考えられて来た松浦ではなく、…
末廬国の場所について考えた話です。 松浦は違う 出発地に何かかが 壱岐と一大国 使者の出発した場所は湾 距離的にも問題ない 松浦は違う 前回の記事では、一大国から末廬国への旅程と、従来到着地と考えられている松浦について考えました。 yokositu.hatena…
一大国から末廬国への旅程と松浦についての話です。 末廬国に渡る 方角が無い 末廬国に渡る 前回の記事では、対馬国から一大国への旅程と、海を渡る記述における方角の有り無しについて考えました。 yokositu.hatenablog.com 方角の有り無しについては、「出…
対馬国から一大国への旅程と方位についての話です。 一大国に渡る なぜ「南へ」が付くのか 到着するのに必要なもの 一大国に渡る 前回は、狗邪韓国から対馬国への旅程と、『魏志倭人伝』で使われている「里」の長さについて考えました。 yokositu.hatenablog…
狗邪韓国から対馬国への旅程と短里に土江の話です。 対馬に渡る 1000余里 巨済島と対馬の距離から 対馬に渡る 前回までで、帯方郡から邪馬台国までの旅程のうち、最初に記述のある狗邪韓国が、現在の巨済島にあったと結論されました。 今回は、次の目的…
狗邪韓國と大八島についての話です。 巨済島は沙都島 大八島 佐渡は沙都島 巨済島は沙都島 狗邪韓國と大八島という事ですが、先ずは狗邪韓國から。 ここまでの記事で、狗邪韓国は倭の勢力圏の国で、現在の巨済島にあったのではないかという結論になりました…