横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

2024-01-01から1年間の記事一覧

邪馬台国から大和へ 42 -東遷に残りし側9 白村江の戦いー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての話9、白村江の戦いについてです。 2つの国からの遣唐使 白村江の戦い 斉明天皇は九州で亡くなった 九州には別勢力が 2つの国からの遣唐使 前回は、遣唐使について考えてみました。 yokositu.hatenablog.com 唐の歴史…

邪馬台国から大和へ 41 -東遷に残りし側8 遣唐使考ー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての話8、遣唐使についてです。 前回の話 小野妹子以降も 旧唐書には2つの国が 使節に関する記述 前回の話 前回は、小野妹子について考えてみました。 yokositu.hatenablog.com 遣隋使が大和政権から派遣されたのではな…

邪馬台国から大和へ 40 -東遷に残りし側7 小野妹子考ー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての話7、小野妹子についてです。 日本書紀の遣隋使は 裴世清が来たので 小野妹子は 日本書紀の遣隋使は ここまでの話は、中国の歴史書『隋書』の記述によると遣隋使は、一般に考えられているように時の大和朝廷が派遣し…

邪馬台国から大和へ 39 -東遷に残りし側6 俀國ー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての6、俀國についてです。 前回までの話 「俀國」について 「俀國」と称していた? 「俀」の意味から考えると 前回までの話 前回までの2回の話は、遣隋使について考えてみたものでした。 yokositu.hatenablog.com yokos…

邪馬台国から大和へ 38 -東遷に残りし側5 「俀國傳」の違和感ー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての話5、「俀國傳」の違和感についてです。 遣隋使の派遣は九州王朝が 王は男性 聖徳太子が王なのか 阿蘇山も 遣隋使の派遣は九州王朝が 前回の話では、遣隋使の派遣元について考えました。 yokositu.hatenablog.com 隋…

邪馬台国から大和へ 37 -東遷に残りし側4 遣隋使ー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての話4、遣隋使についてです。 やはり大和政権ではなかった 『隋書』の記述 畿内というには無理が 九州から出ていない やはり大和政権ではなかった 前回の記事では、倭の五王について考えました。 リンク: yokositu.ha…

邪馬台国から大和へ 36 -東遷に残りし側3 倭の五王ー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての話2、倭の五王ついてです。 大和政権ではなかった 方針転換と倭の五王 倭の五王の事績 大和政権ではなかった 前回の記事で、高句麗の広開土王碑に記述のある倭について考えました。 yokositu.hatenablog.com この倭…

邪馬台国から大和へ 35 -東遷に残りし側2 広開土王碑における倭ー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての話2、広開土王碑における倭についてです。 大陸からの侵攻は無かった 朝鮮半島北部の地の奪還へ 広開土王碑における倭 大陸からの侵攻は無かった 前回の記事は、邪馬台国の東遷に与せずに九州に残った勢力が最優先で…

邪馬台国から大和へ 34 -東遷に残りし側1 侵攻への備えー

邪馬台国東遷に従わなかった側についての話1、大陸からの侵攻への備えについてです。 残った人々 伝来の土地は捨てられない 最優先事項は防衛 残った人々 前回までの記事で、邪馬台国の畿内への東遷について書いて来ました。 『日本書紀』の神武東征が、邪…

邪馬台国から大和へ 33 -神武東征と邪馬台国東遷3ー

神武東征から邪馬台国東遷を考えた話3です。 疑問と回答 吉備の時点で 熊野の軍勢がいたので 紀伊半島は回らなかった 熊野を無視は出来なかった 疑問と回答 前2回の記事で、邪馬台国東遷を基にしたと考えている『日本書紀』神武東征についてみてきました。 …

邪馬台国から大和へ 32 -神武東征と邪馬台国東遷2ー

神武東征から邪馬台国東遷を考えた話2です。 少数で吉備を目指して 神武東征経路 色々と疑問が 紀伊半島を回る 東から攻めるということであれば 少数で吉備を目指して 前回の記事では、神武東征の話から、邪馬台国東遷の規模と目的地について考えました。 y…

邪馬台国から大和へ 31 -神武東征と邪馬台国東遷1ー

神武東征から邪馬台国東遷を考えた話1です。 神武東征は邪馬台国東遷 東遷の規模 吉備に3年 どこへ向かっていたのか 吉備の対応 神武東征は邪馬台国東遷 前回の記事で、『日本書紀』の神武東征が邪馬台国東遷を基にした話ではないかと考えました。 yokositu…

邪馬台国から大和へ 30 -邪馬台国東遷と日本書紀ー

邪馬台国東遷と日本書紀について考えた話です。 邪馬台国東遷なのだが なぜ出てこないのか 天孫降臨と神武東征 邪馬台国東遷なのだが 前回は、『魏志倭人伝』以降の邪馬台国について考えてみました。 yokositu.hatenablog.com 『魏志倭人伝』に登場して以降…

邪馬台国から大和へ 29 -    邪馬台国のその後ー

『魏志倭人伝』以降の邪馬台国について考えた話です。 歴史の流れの中へ 背景には中国の状況が 朝鮮半島にも影響が それでも心配事が 謎の4世紀 歴史の流れの中へ 前回までで、邪馬台国の位置については現在の宇佐市、卑弥呼の墓は宇佐神宮という事で、一応…

邪馬台国から大和へ 28 -邪馬台の読み方からー

邪馬台の読み方から考えた話です。 邪馬台はヤマト 「ヤマト」とは 「水門」は「ミナト」 山門郡を見てみると 宇佐は「ヤマト」か 邪馬台はヤマト 私は、「邪馬台国」の読み方は、「ヤマタイコク」ではなく「ヤマトコク」だと考えています。 前にも少し書き…

邪馬台国から大和へ 27 -卑弥呼の墓と前方後円墳ー

卑弥呼の墓と前方後円墳について考えた話です。 卑弥呼の墓は宇佐神宮 地形的特徴 前方後円墳ではないが 卑弥呼の墓は宇佐神宮 前回の話では、その地形的な特徴から宇佐神宮が卑弥呼の墓だと考えても、『魏志倭人伝』の内容に対して大きな矛盾が無いことを確…

邪馬台国から大和へ 26 -卑弥呼の墓と宇佐神宮ー

卑弥呼の墓と宇佐神宮について考えた話です。 邪馬台国は宇佐 径百余歩 赤色立体地図で宇佐神宮 邪馬台国は宇佐 前回の記事は、宇佐を邪馬台国としても、『魏志倭人伝』の旅程からは致命的な矛盾は無さそうだという話でした。 yokositu.hatenablog.com 今回…

邪馬台国から大和へ 25 -宇佐への旅程ー

邪馬台国への旅程から宇佐について考えた話です。 候補地は宇佐 これまでの結論 結論と宇佐 候補地は宇佐 前回の記事は、『魏志倭人伝』から離れて、道鏡事件から邪馬台国を考えるという話でした。 yokositu.hatenablog.com 道鏡事件で、その神託が重要視さ…

邪馬台国から大和へ 24 -別角度から邪馬台国ー

邪馬台国の場所について別角度から考えた話です。 『魏志倭人伝』では確定できなかった 道鏡事件とは 道鏡事件の気になる点は 天皇、皇后が祀られているから? 比売大神 宇佐八幡宮は古墳 『魏志倭人伝』では確定できなかった 前回まで、『魏志倭人伝』の記…

邪馬台国から大和へ 23 -邪馬台国への旅程14 残る旅程ー

邪馬台国までの残る旅程について考えた話です。 不弥国までは辿り着いた 投馬国、邪馬台国への旅程 それ程遠くない 不弥国までは辿り着いた 前回まで13回に渡って、『魏志倭人伝』に描かれた、帯方郡から邪馬台国までの旅程と、関連する記述に関して考えて…

邪馬台国から大和へ 22 -邪馬台国への旅程13 會稽東冶の東ー

邪馬台国の位置に関する記述「會稽東冶の東」について考えた話です。 邪馬台国は大月氏に比肩する大国 ただし方位は曖昧 風俗の記述の中に 「會稽東冶の東」を思いつく 邪馬台国は大月氏に比肩する大国 前回までの記事で、陳寿は、旅程を情報操作することに…

邪馬台国から大和へ 21 -邪馬台国への旅程12 七万余戸ー

邪馬台国の戸数、七万余戸について考えた話です。 距離に続いて戸数 七万余戸は多すぎるのでは これも大月氏に合わせた 距離に続いて戸数 前回は、『魏志倭人伝』にある、邪馬台国までの距離一万二千余里について考えました。 yokositu.hatenablog.com この…

邪馬台国から大和へ 20 -邪馬台国への旅程11 一万二千余里ー

邪馬台国までの距離一万二千余里について考えた話です。 一万二千余里は陳寿が付け加えた 目的は一貫している 大月氏 大月氏まで-万二、三千里 一万二千余里は陳寿が付け加えた 前回の記事では、『魏志倭人伝』に「自郡至女王國 萬二千餘里」とある、邪馬台…

邪馬台国から大和へ 19 -邪馬台国への旅程10 邪馬台国までの距離ー

邪馬台国までの距離について考えた話です。 不弥国までは辿り着いたが これ以上は手詰まりか と考えられてきたが 不弥国までは辿り着いたが 前回の記事で、九州上陸後の旅程を不弥国まで考えました。 yokositu.hatenablog.com 結論的には、不弥国は周防灘に…

邪馬台国から大和へ 18 -邪馬台国への旅程9 末廬国から不弥国までー

末廬国から不弥国までの旅程について考えた話です。 末廬国から不弥国まで 先ずは結論 末廬国は福津 末廬国から伊都国 伊都国から奴国 奴国から不弥国 末廬国から不弥国まで 前回の記事で、一大国から海を渡った末廬国が、従来考えられて来た松浦ではなく、…

邪馬台国から大和へ 17 -邪馬台国への旅程8 末廬国への航路ー

末廬国の場所について考えた話です。 松浦は違う 出発地に何かかが 壱岐と一大国 使者の出発した場所は湾 距離的にも問題ない 松浦は違う 前回の記事では、一大国から末廬国への旅程と、従来到着地と考えられている松浦について考えました。 yokositu.hatena…

邪馬台国から大和へ 16 -邪馬台国への旅程7 末廬国への旅程と松浦ー

一大国から末廬国への旅程と松浦についての話です。 末廬国に渡る 方角が無い 末廬国に渡る 前回の記事では、対馬国から一大国への旅程と、海を渡る記述における方角の有り無しについて考えました。 yokositu.hatenablog.com 方角の有り無しについては、「出…

邪馬台国から大和へ 15 -邪馬台国への旅程6 一大国への旅程と方位ー

対馬国から一大国への旅程と方位についての話です。 一大国に渡る なぜ「南へ」が付くのか 到着するのに必要なもの 一大国に渡る 前回は、狗邪韓国から対馬国への旅程と、『魏志倭人伝』で使われている「里」の長さについて考えました。 yokositu.hatenablog…

邪馬台国から大和へ 14 -邪馬台国への旅程5 対馬国への旅程と短里ー

狗邪韓国から対馬国への旅程と短里に土江の話です。 対馬に渡る 1000余里 巨済島と対馬の距離から 対馬に渡る 前回までで、帯方郡から邪馬台国までの旅程のうち、最初に記述のある狗邪韓国が、現在の巨済島にあったと結論されました。 今回は、次の目的…

邪馬台国から大和へ 13 -邪馬台国への旅程4 狗邪韓國と大八島ー

狗邪韓國と大八島についての話です。 巨済島は沙都島 大八島 佐渡は沙都島 巨済島は沙都島 狗邪韓國と大八島という事ですが、先ずは狗邪韓國から。 ここまでの記事で、狗邪韓国は倭の勢力圏の国で、現在の巨済島にあったのではないかという結論になりました…