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道鏡事件から考える卑弥呼

 道鏡事件の気になる点について考えたら、卑弥呼に行き着いた、という話です。

 

道鏡事件とは

 先ず、道鏡事件について、極簡単に説明すると。

奈良時代、8世紀後半に、道鏡とういう僧侶が、時の孝謙上皇の病気を治したことをきっかけに、上皇の寵愛を受け、出世します。
宇佐八幡宮の神託により、天皇になりかけるが、同宮の再度の神託で阻まれた、という事件です。

道鏡事件の気になる点は

 この話の中で、最も気になる点は、なぜ、一介の僧侶が天皇になるかどうかの重大事に関して、宇佐八幡宮の神託が、重要な役割を果たしたのかという事です。

宇佐八幡宮は、現在の大分県宇佐市に有る神社です。
なぜ、遠く九州に有る神社の神託が、と思う訳です。
もっと近くに、それこそ伊勢神宮とか有るにもかかわらずにです。

実際、再度の神託のために派遣を命じられた人物が、長旅に耐えられぬからと、その弟を替わりに派遣した、といった話も残っています。

邪馬台国時代からつづく関係と考えれば

 しかしこれも、九州に有った邪馬台国が、東遷して大和政権になったと考えている立場からすると、当然とも言えるわけです。
九州に有った時代から、関わりがあったと考えれば、納得出来ます。
しかも、天皇の継承に影響するほどの関係が。

では、東遷して、畿内に政権が移った後も、強い影響力が残る関係とは、どのようなものでしょうか。
例えば、権力構造のなかで、有力な集団だったとしましょう。
九州に残ったとすれば、そんな遠くから影響力を行使できるとは、思えません。
一緒に東遷したのならば、九州までお伺いを建てる必要はありません。

つまり、単なる力関係ではないと考えられます。

卑弥呼は、宇佐の巫女的存在だった

 その関係性は、宇佐八幡宮が関係していることからも、宗教的な背景があったと考えられます。

後に、宇佐八幡宮が建立される宇佐は、弥生時代における、ある種の宗教的中心の一つだったのでしょう。
そして、卑弥呼は、宇佐の巫女的な存在だったのではないかと思います。
その卑弥呼が、邪馬台国の女王として共立された。

そのため、奈良時代宇佐八幡宮にも、その関係性が継承され、天皇の後継問題にも影響力があったのではないでしょうか。

魏志倭人伝の記述からも

 卑弥呼が、宗教的中心の巫女的存在だったのでないかという考えは、魏志倭人伝の記述からも、ある程度類推できます。

先ず、卑弥呼は、鬼道を行ったとあります。
これは、彼女が何らかの宗教的な行為をし、それを中国からの使者が、鬼道と呼んだのだと思います。

次に、倭国で長期間の争いがあり、女子を共立して王とし、収めた点。
争いを収めるために共立するのに、武力や政治力を基準にしても、到底納得が得られる訳がありません。
宗教的中心を背景とした人物であれば、表向き中立性もあり、賛同が得られやすかったと、考えられます。


 という訳で、道鏡事件から、卑弥呼は宇佐の巫女的存在だった、という話に行き着きました。
実は、同時に、邪馬台国の位置についても、思うところはあるのですが、長くなりましたので、またいずれという事で。


  ではでは