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「魏志倭人伝」の作者は、なぜ旅程を改ざんしたのか

 今回は、「魏志倭人伝」の作者は、なぜ旅程を改ざんしたのか、についての話です。
これは、以前の話の続きとなります。

yokositu.hatenablog.com

 

 

魏志倭人伝」とは。作者とは。

 改ざんしたと疑われているのは、西晋陳寿という人物です。

西晋は、ご存知三国志の三つの国、魏、蜀、呉のうちの、魏の後を継いだ王朝の名前です。

そうです、魏です。
魏志倭人伝」の魏です。
つまり、陳寿は、一つ前の王朝の歴史書を書いた訳です。

魏志倭人伝」とは
 「魏志倭人伝」は、魏志の中の倭人に関する項目といった意味です。
魏志は、上にもあるように、魏の国の歴史をまとめたものです。
中国で、正史と呼ばれているものの1つです。

 正史は、時の王朝が、一つ前の王朝の歴史についてまとめたものになります。
なぜ、一つ前の王朝の歴史をまとめるのか。
これには、中国の世界観が関係しています。

正史をまとめる背景

 中国では、天に居る天帝が、全てを治めていると考えます。
その天帝が、人間の中からのある人物を選び、地上を治めるように命じます。これを、天命といいます。
天命を受けたものが、その正当性を持って、王朝を開き統治します。

最初の代は、天命を受けるほど徳があっても、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉もあるように、代を経るにつれ徳を失っていきます。
すると、天帝は、再び徳のある人物を選び直し、あらためて(革めて)命を下します。
これを、革命といいます。
この革命により、王朝が交代すると考えます。

正史は、いかに前王朝が徳をなくし、新たに命を受けた現王朝が取って代わったかを、その歴史を通して示し、それにより、現王朝の正当性を知らしめるために、書かれます。

なぜ改ざんしたのか

 という訳で、現王朝西晋の正当性を示すために、陳寿魏志を書きました。

ところで、西晋を開いた司馬氏は、前王朝の魏時代に、中国東北部及び朝鮮半島北部を治める立場にありました。
そのため、陳寿は、司馬氏の徳あることを示すために、司馬氏が治める地域に隣接する、倭人邪馬台国朝貢を行ってきたことを、魏志の中に、倭人伝として記述したのです。

さらに、邪馬台国が、西方の大月氏等の朝貢国と同等の、中国東方の国だと見せかけるために、旅程を改ざんし、実際よりも南に存在するようにしたのだと思います。
これは、もちろん、司馬氏の徳が、それほどの国を朝貢に来させるほど、高いと見せるためです。


 以上が、「魏志倭人伝」における、邪馬台国への最後の旅程、南に水行10日、陸行1月が、改ざんされていると考える理由です。

 

 ではでは。