横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

邪馬台国

中国史書にみる「倭」2

中国史書に書かれている「倭」について考えた話2です。 今回は「唐」 「唐」の正史は2種類 『旧唐書』に2つの国 「日本国」の朝貢は703年 「唐」は信用しなかった 使者が認識していたという事は 今回は「唐」 1では、「隋」の正史『隋書』にある「倭」につ…

中国史書にみる「倭」1

中国史書に書かれている倭について考えた話1です。 「倭の五王」と遣隋使は同じ国から 「倭の五王」の向かった先 遣隋使の向かった先 「倭の五王」と遣隋使は同じ国から このブログでは、「倭の五王」は、「邪馬台国」が東遷する際に九州に残った勢力が使者…

九州に残った勢力のその後

九州に残った勢力のその後について考えた話です 敗れ去った側 継体天皇が九州出身は無理筋 仲哀天皇の5世 敗れ去った側 前回は、邪馬台国東遷時に九州に残ったのは、後衛としての部隊といった性格のものでは無く、東遷に組することなく従来の生活を守るため…

東遷時に九州に残った勢力

東遷時に九州に残った勢力について考えた話です 前回の話から 全てが東遷したのか 単なる後衛部隊ではなかった 連合体が朝貢した 前回の話から 前回の話は、「倭の五王」は何処の王だったのかを考えた話でした。 yokositu.hatenablog.com 「倭の五王」につい…

「倭の五王」は誰なのか

「倭の五王」について考えた話です 名前から探る 血縁関係から探る ヤマト王朝の天皇ではなかった 名前から探る 中国の歴史書に、5世紀に朝貢をしたと記述の有る「倭の五王」は、「讃・珍・済・興・武」となります。 「倭の五王」については、昔からその正体…

広開土王の高句麗と戦ったのは誰か

公開土王碑に記された倭は、どんな勢力だったのか考えた話です。 太陽活動の図はありません 公開土王碑以前 侵攻には全国的な政権が 誰が侵攻したのか 朝鮮半島まで足掛かりが有った 太陽活動の図はありません 前回の話は、武烈天皇から継体天皇への皇位継承…

継体天皇と太陽活動

継体天皇と太陽活動の関係についての話です。 6世紀と言えば 継体天皇の即位 応仁の乱のように 倭彦王は対立候補 6世紀と言えば 前回は、古墳時代における前方後円墳の全国への普及と衰退が、中世極小期に向かう直前の比較的変動の穏やかな時期と、その後の…

謎の4世紀と太陽活動

謎の4世紀と太陽活動の関係について考えた話です。 今日は謎の4世紀 気候変動は日本全体に そして全国制覇 なぜ全国制覇 今日は謎の4世紀 前回の話では、太陽活動の変動による気候の変化が、邪馬台国の東遷を後押ししたような形になったのではないかという話…

邪馬台国東遷と太陽活動

邪馬台国東遷と太陽活動の関係について考えた話です。 今回の話 東遷の背景と太陽活動 それだけで国が東遷するのか それでも東遷を選んだ 今回の話 このブログでは、現在の九州大分県宇佐市に在った邪馬台国が、謎の4世紀に東遷して畿内のヤマト政権となった…

やはり佐渡島は巨済島だった

佐渡島と巨済島の関係について考えた話です。 佐渡島は巨済島 巨済島は沙都島 読みから佐渡島とした 日本書紀にも在った 佐渡島は巨済島 少し前の記事で、国生み神話について書きました。 yokositu.hatenablog.com 『魏志倭人伝』に最初の寄港地として出て来…

狗邪韓国について(番外編)

狗邪韓国の位置について考えた話(番外編)です 狗邪韓国も倭の国だった 「国生み」神話で気になるところ ポイントは「大八島」 狗邪韓国も倭の国だった 前回の記事で、狗邪韓国は現在の巨済島にあったのではないかという結論になりました。 yokositu.hatena…

狗邪韓国について(後編)

狗邪韓国の位置について考えた話(後編)です 厄介な問題 棚上げしていたが 対象の時点はどう異なるのか 厄介な問題 前編、中編と狗邪韓国の位置について考えて来ました。 yokositu.hatenablog.com yokositu.hatenablog.com その結果は、同じ『魏志』の一部…

狗邪韓国について(中編)

狗邪韓国の位置について考えた話(中編)です 『韓伝』の記述との関係 矛盾の内容 巨済島だと考えると 『韓伝』の記述との関係 前編では、狗邪韓国の位置について考えました。 その根拠の一つとして考えたのが、同じ『魏志』にある『韓伝』の中に、狗邪韓国…

狗邪韓国について(前編)

狗邪韓国の位置について考えた話(前編)です 狗邪韓国は倭か韓か 韓伝から考えると 北岸と言うからには 狗邪韓国は倭か韓か 狗邪韓国は、『魏志倭人伝』に記されている、邪馬台国までの旅程の中で、最初にに出て来る倭(倭人)の国です。 その部分の原文と…

「會稽東治」と「會稽東冶」

「會稽東治」と「會稽東冶」について考えた話です 見て見ぬふりをしていました ニスイかサンズイかが問題だ 一字違うと大違い 私は「會稽東治の東」派 実はどちらでもいい 見て見ぬふりをしていました 前回の記事では、『魏志倭人伝』における「會稽東冶の東…

「會稽東冶の東」も情報操作だ

「會稽東冶の東」について考えた話です 邪馬台国は大月氏に比肩する大国 ただし方位は曖昧 風俗の記述の中に 「會稽東冶の東」を思いつく 邪馬台国は大月氏に比肩する大国 以前の記事で、陳寿は、旅程を情報操作することにより、西の大国大月氏と同程度の東…

古墳時代にやって来た人たち

古墳時代に日本にやって来た人たちについて考えた話です 古墳時代に大陸から集団が 日本は蛮族の地 動乱を逃れた? 邪馬台国東遷説との関係 古墳時代に大陸から集団が 日本人の由来に関しては、最初に定住していた縄文人と、その後に稲作と共にやって来た弥…

末廬国と松浦

末廬国と松浦について考えた話です。 末廬国と松浦が気になる 気になる背景 背景には東遷が 沿岸の防衛 末廬国と松浦が気になる 本ブログでは、邪馬台国の位置として宇佐説を採っているわけですが、その前提のひとつとして、壱岐(一大国)からの行程を、通…

邪馬台国までは一万二千里(その3)

邪馬台国までの距離について考えた話(その3)です 今回の話 陳寿の情報操作 大月氏は遠い 一万二千里の正体 そして東方の大国に 今回の話 さて今回は、その2で思わせぶりに終わった、邪馬台国までの距離がなぜ一万二千里とされたのかという話になります。…

邪馬台国までは一万二千里(その2)

邪馬台国までの距離について考えた話(その2)です 一万二千里が問題 一万二千里の距離 一万二千里の矛盾 一万二千里のなぜ 一万二千里が問題 その1は、魏志倭人伝に記述が有る様に邪馬台国までの距離が一万二千里だとすると、宇佐説だと距離的に足らなく…

邪馬台国までは一万二千里(その1)

邪馬台国までの距離について考えた話(その1)です 2つの懸案事項 九州への上陸地点 邪馬台国までの距離 距離が足らない 2つの懸案事項 本ブログでは、邪馬台国の位置として、現在の大分県宇佐市の宇佐神宮付近だという立場を採っています。 実は、その説を…

邪馬台国までは一万二千里(その1)

邪馬台国までの距離について考えた話(その1)です 2つの懸案事項 九州への上陸地点 邪馬台国までの距離 距離が足らない 2つの懸案事項 本ブログでは、邪馬台国の位置として、現在の大分県宇佐市の宇佐神宮付近だという立場を採っています。 実は、その説を…

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その3

『魏志倭人伝』中の末廬国までの海路について考えた話(その3)です 前回の記事 壱岐と一支国 使者の到着した場所 使者の出発した場所 距離的にも問題ない まとめると 前回の記事 前回の記事で、『魏志倭人伝』に記述が有る、邪馬台国までの旅程の中で、特…

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その2

『魏志倭人伝』中の末廬国までの海路について考えた話(その2)です 前回の記事 もう一か所の方位の無い部分 答えを見つけた ネットで調べてみた 前回の記事 前回の記事は、本ブログの邪馬台国論のポイントの一つである、一支国からに渡る部分の記述に方位…

海を渡る、1000余里、末廬国に至る その1

『魏志倭人伝』中の末廬国までの旅程について考えた話(その1)です 宇佐説の根拠の一つ これも陳寿の情報操作か 報告として大丈夫か 宇佐説の根拠の一つ このブログのメインコンテンツだと思っている邪馬台国論ですが、要約すると、その場所は現在の大分県…

邪馬台国サミット2021覚書

「邪馬台国サミット2021」で出た話の覚え書きです。 覚え書き 旅程 会稽東冶の東 鯨面文身 大人皆四五婦 下戸或二三婦 覚え書き NHKBSで元旦に放送された「邪馬台国サミット2021」については、そのの内容を基に、二つの記事を書きました。 yokositu.hatenabl…

前方後円墳の始まり

前方後円墳のあの形状が、どのように始まったのか考えた話です 前方後円墳 なぜ前方で後円なのか 邪馬台国の人々が見ていたもの 卑弥呼の墓の有る情景 前方後円墳の始まり 前方後円墳 前方後円墳の形に関しては、以前の記事でも一度考えたのですが、その時に…

卑弥呼の墓と邪馬台国の位置

卑弥呼の墓と邪馬台国の位置の関係を考えてみた話です 邪馬台国の位置 卑弥呼の墓の位置 墓は見下ろす位置に 広さから考えると 邪馬台国の位置 邪馬台国に位置に関しては、以前の記事で、大分県宇佐市辺りに有ると考えました。 yokositu.hatenablog.com ただ…

卑弥呼の墓と宇佐神宮

卑弥呼の墓と宇佐神宮について考えてみた話です 卑弥呼の墓 赤色立体地図 宇佐神宮を見ると 径百余歩 断面図で見ると 卑弥呼の墓 卑弥呼の墓の場所については、以前の記事で、大分県宇佐市の宇佐神宮では無いかと書きました。 yokositu.hatenablog.com その…

吉備と邪馬台国

前回に続き、「邪馬台国サミット2021」を見て考えた話です。 畿内と間に吉備が有った 吉備という一大勢力 東進説から見ると 神武東征 同盟だったのか 畿内と間に吉備が有った 前回は、NHKBSで元旦に放送された「邪馬台国サミット2021」の内容を基に、三国志…