横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

サツマイモをエネルギー源に

サツマイモをエネルギー源にすることについて考えてみた話です

 

 

吸収は木で出来るが

 温暖化対策としては、個人的には木を植える方法を推しています。

 

yokositu.hatenablog.com

 

やる事が単純明快で、その結果としての未来も想像可能で、技術的にも確立されているというのが、大きな理由です。

しかし、確かに木を植えることにより、CO2を吸収できるのは確かなんですが、さりとて、排出する方で何もせずにCO2が増え続ければ、どこかの時点でまずい事になるのは明らかなので、対策を模索する事が必要となります。

で排出側の方法として、面白いんじゃないかと思うものを見付けました。

サツマイモを使うというものです。

内容はごくシンプルで、サツマイモを作ってエネルギー源として使う、というだけです。

エネルギー源としてのサツマイモ

 サツマイモを、エネルギー源とする方法には、いくつかあります。

先ず最も分かり易いのが、乾燥して燃やすというものです。
同じ植物の木を燃やして燃料にするのと同じ事です。

次に、発酵させて利用するというのが考えられます。

サツマイモといえば、芋焼酎が思い浮かぶ人もいるでしょう。
焼酎というのは、言い換えれば、エタノールの水溶液です。

エタノールは、燃やせば発電も出来ますし、自動車などの内燃機関の燃料にもなります。

また、さらに発酵させることにより、メタンガスが生成されます。
これも、燃やすことにより発電が出来ますし、煮炊きに使うことももちろん可能です。

メタンガスによる発電に関しては、宮崎県の霧島酒造が実際に、焼酎製造時に複成される焼酎粕と芋くずをメタン発酵することにより、発電が出来ることを実証しています。

このように、サツマイモは、固体、液体、気体と多様な形態のエネルギー源として利用可能です。

サツマイモの入手可能性

 問題は、必要な量のサツマイモを生産出来るのかという点ですが、このサツマイモ利用を精力的に研究されている、近畿大学の鈴木高広教授が試算されています。

それによると、普通我々がサツマイモ栽培というと思い浮ぶ、畑での平面的な栽培ではなく、ポリ袋に必要なものを入れて棚に何段もつるす方法で立体的に栽培をします。

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引用元:芋エネルギーは日本を救う!鈴木高広教授の近未来研究所

 

こうして、単位面積当たりの収量を上げることにより、全国の休耕地、遊休地を利用することにより、計算上は、十分に必要量を確保できるという事です。

従って、現状の農作物の生産には全く影響がない事になります。

それどころか、休耕地を使って生産する訳ですから、農業の振興にもなるはずです。
農業が、食料生産だけではなく、エネルギー産業にもなる訳です。

サツマイモ利用の利点

 このように様々なエネルギー問題の解決策として利用可能なサツマイモですが、その他にも利点が多く上げられます。

・サツマイモが空気中から固定した炭素がCO2に戻るだけなので、CO2が増えることはない。

・北海道から沖縄まで、日本全国で栽培できる。

・江戸時代の飢饉時に多くの命を救った事からも分かる様に、比較的気候異常に強い。
 もしもの時には、食料としても利用可能。

・純国産エネルギーである。

・必要な技術が比較的ローテクであり、すでに存在している。

・エネルギー供給に関して、比較的狭い地域、小規模で完結できる。

もし試してみて、何か不具合が有っても、やめることは比較的簡単だと思われる(少なくとも核廃棄物のような問題はないですよね)ので、どこかの地域で実証実験をやってみるというのはありだと思うのですが。


 実験をやる時には、某自動車会社の未来都市に対抗して「イーモン・シティ」というのはどうでしょうか。


ではでは

まとめを作ってみて考えたこと

まとめを作ってみて、考えた話です。

 

 

理系の筈なのに

 今回作ったまとめを見ると、メインコンテンツが「邪馬台国」で、その他も「源氏物語」「戦国時代」とつづくという結果になりました。

本ブログの記事で、何度も理系だと言ってきた割には、3つとも歴史の話で、全然理系じゃないじゃないかと言われそうな結果です。

「進化論」「宇宙論」が、生物と物理ということで、何とか全くの嘘でもない事を示しているという体たらくになっています。

理系のそのほかの、数学、化学、地学といった分野については、ほとんど言っていいほど出て来ません。

確かに考えてみれば、理系と言いながら、数学や化学といった科目は得意では無かったですし、今でもチョット苦手です。

地学に至っては、卒業した高校では、授業そのものが無かった事もあり、いまだにその内容自体があまり分かっていなかったりします。

まあその原因については、好き嫌いの一言で片付くといえばそれまでなんですが、チョット気が付いたことがあるので、そのあたりについて書いてみたいと思います。

ストーリーの有り無し

 それは、私の好きな歴史、物理、生物という分野には、ストーリーまたはあらすじと言った方が良いかもしれないものがあるという事では無いかと思うのです。
あくまで私の中でということですが。

歴史は、これはもう言うまでもなく、日本史では、縄文から始まって、弥生、古墳、飛鳥、奈良・・・と続くのを、ストーリーあるいはあらすじと捉える事が可能です。

物理に関しては、大まかに、ニュートン力学で一旦頂点を極めてからの相対性理論へと続くストーリーと、量子物理学の2本立てだと捉えることが出来ます。

生物に関しては、私の中では、進化論が幹のようにあり、そこから様々な枝葉のように種々の分野が有るように理解されています。

以上のような観点から、苦手な数学、化学、地学に関して考えてみると、確かにいずれの分野についても、これと言ったストーリーを思い浮かべる事が出来ません。

少なくとも、大学までに受けた授業で記憶に残っている範囲では、そのような話は出来なかったように思います。

わずかばかりの覚えていることも、それぞれ個別の内容として覚えているだけで、相互につながっていることは少ないのです。
おまけに、全体に対してどの程度理解しているのかも、良く分からなかったりします。

よく言われる、何が分からないか分からないというやつです。

学びの一助として

 こういったストーリーまたはあらすじは、学校で学ぶときにも、有用じゃないかと思うのです。

日本史で、毎時間の最初に、縄文、弥生、飛鳥、古墳…江戸、明治、大正、昭和とつながりを思い浮かべながら唱えてから、その時間の内容が、どこに当てはまるのかを考えながら学ぶと、記憶に残ると共に、理解も進むと思うのですが。

一方、宇宙論と進化論から入るというはさすがにどうかと思いますが、その他の数学、化学、そして地学も含めて、こういったストーリーまたはあらすじのようなものが出来たらよさそうじゃないですか。

一応、私なりに考えて見てはいるんですが、これがなかなか難しい。

特に苦手にしている科目は、それぞれの分野についての理解が十分でないという事もあるかと思い、ネットで少し調べているのですが、各分野における業績を並べた歴史はあるのですが、全体を貫くようなものを見つけることは出来ませんでした。

そのうち思いつくかもしれません。
そうすれば、苦手も克服できるかもしれません。
その時には報告したいと思います。


 それにしても、東日本大震災からもう十年ですか。
生きている者の務めとして、あの光景は忘れないようにしないといけないと思っています。


ではでは

防災、減災の家

防災、減災を目指した家について考えてみた話です。

 

 

国土より国民

 防災という事になると、国レベルでは「国土強靭化」という事で、その名が示すように、どうしても大掛かりな方向に行きがちですが、常識的に考えて、全国津々浦々まで防災設備を完備することは不可能でしょう。

大規模な対策が必要でないとは言いませんが、強靭化すべきは「国土」ではなく、「国民」では無いでしょうか。

個々の人々の基本的な生活基盤が守られれば、社会としての復興も早いはずです。

という訳で、これまでいくつかの記事で考えた内容を基に、防災、減災を考慮した家を考えてみようという趣向です。

ピロティの家

 先ず家本体は、下記記事で考えたピロティタイプにします。

 

yokositu.hatenablog.com

 

 

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これにより、地震、洪水等の災害が派生した後も、出来る限りそれまでの生活を継続できることを目指します。

最低限として、もう一度家を再建しなければならないという状況を避けることを目指します。

防水対策

 ピロティの家は、一階部分が水没しても、生活出来なくなることを避けることが出来るというのが基本的なアイデアだった訳です。

静岡の「一条工務店」というところが、完全防水にすることで水害に対応する住宅を開発したようです。

www.ichijo.co.jp

開発された住宅は、最終的には水位が高くなると、船のように水に浮くようになっています。

さらに、流れていかないように、四隅のポールにバネを使って繋がっており、水が引いた時には、元の位置に戻るという事のようです。

よく考えたなという気はするのですが、泥や流木が下に入り込んだ時は、チョット困った事になると思うのですが、どうなんでしょう。
調べた限りでは、良く分かりませんでした。

それはそれとして、この技術を利用して、ピロティの2階より上の部分を防水仕様にすれば、より防災性能を高く出来そうです。

火災対策

火事にならないように、また他所で発生した火事の延焼を防ぐ事も期待して、すべての部屋に、熱または衝撃により作動するタイプの消火器を設置します。

 

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これは、災害発生時だけでなく、日常の失火防止にも役立つはずです。

ライフライン対策

 災害の発生時のライフライン途絶を前提に、準備をしておくことにします。

水については、一部は、ペットボトルでローリングストックも行いますが、備蓄用のタンクも設置します。

 

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火力については、カセットコンロを利用します。

出来るだけ日常的に使うようにし、ボンベをローリングストックで備蓄します。

電気は、ソーラーパネルを利用することになるでしょう。
出来れば、バッテリーを使った蓄電システムも欲しいところです。

食料対策

 家そのものではありませんが、当然食料の備蓄も必要になります。

食料に関しては、ローリングストックによって準備しておきます。

 

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 以上の内容で、必要な設備を標準として規格化し、大量生産をして安価に供給する、というのはダメですかねえ。

個性が欲しいという声には、オプションで対応すればいいと思うのですが。


ではでは

 

餅を非常食に

餅を非常食としてはどうかという話です。

 

 

餅といえば、昔は

 餅というと、私がまだご幼少のみぎりには、年末になると、近所のそこかしこで餅つきが行われたものでした。

我が家でも、父方の実家で餅つきが行われ、つきたてをたらふく食べた後に、正月用の餅を貰ってくるというのが、毎年の行事でした。

祖父母が亡くなったあたりから餅つきは行われなくなり、近所でも同じように、餅つきは無くなっていきました。

その代わりに、和菓子屋などに頼むようになり、年末になると、板状になった餅が配達され、それを切って、正月用にするようになりました。

その後、スーパーに餅が並ぶようになり、この習慣も次第に無くなりました。

餅は正月に食べるもの

 何れにしても、餅は、年末に入手して、年が明けてから食べ始めて、1月中くらいに食べきるという感じのものでした。

現在では、餅は一年を通じて店頭に並ぶようになっていますが、私にとって餅は、今でも正月に食べるものという感覚が強い物です。

というか、昔は、早く食べないとカビてしまう危険が多分に有り、その印象が強く残っているせいで、とにかく早く食べきらないとと思ってしまうのです。

まあ、多少カビても食べてはいたんですけどね。(本当は、熱ではカビ毒は無くならないので、止めた方が無難らしいです。)

賞味期限

 という事で、今年も、昨年末にスーパーで買って、正月から食べていたんですが、焼こうと袋から取り出し、個装を破ろうとして、そこに賞味期限が印刷されていることに気付きました。

2022.08とあって、へえ8月まで大丈夫なんだ、昔はよくカビたのに、どうなっているんだろう、と思ったのです。

で、なにか違和感を感じて、もう一度よく見ると、2022じゃないですか。

今年の夏どころか、来年の夏まで大丈夫という事ですよね。

何がどうなっているのか分かりませんが、便利になったものです。

非常食として使える

 来年の夏まで大丈夫という事は、その前の来年の正月までは全然大丈夫という事になります。

という訳で、この思いのほか長期間持つ切り餅を、非常食にしたらいいんじゃないかと思ったのです。

これから、来年の正月用の分を買っておけば良いわけです。

そして、今年の年末に、これまで通りに正月用の分、ただし再来年分を買います。

来年の正月には、今買った分を食べる事にします。

後は、毎年年末に餅を買い、正月には前の前の年の年末に買ったものを食べることにすれば、切り餅が常備されている事になります。

要は、年単位のローリングストックを行う事にするのです。

餅を非常食にすると

 毎年正月には食べる訳ですから、忘れて期限切れになり、無駄にすることはあり得ません。
正月に餅を食べ忘れることは無いでしょう。

毎年食べているので、どのくらいあれば、どれぐらい食べられるかという計算も出来るはずです。
ちなみに、カロリー的には、切り餅2個でお茶碗一杯のごはん相当だそうです。

毎年のように、余った餅の消化法を考えるので、食べ方も色々とレパートリーが有るはずです。

値段も、最近はかなりリーズナブルになっています。

ただし、ライフラインが全て止まった時の事を考えて、カセットコンロと焼き網は用意しておきましょう。
火さえあれば、人間何とかなります。

という訳で、鏡開きも早々に、来年の正月分の切り餅を買ってきました。        

                                         
 というような内容で書こうと考えながら、昨日床に就いたのですが、今日起きたら、福島沖で大きな地震東日本大震災の余震!?)が起きていたという事で、さすがにチョット、あまりのタイミングにドキッとしました。

被害に遭われました方には、お見舞い申し上げます。


ではでは

日本人の宗教観と豊かな自然

日本人の宗教観と日本列島の豊かな自然の関係について考えた話です

 

 

日本人は無宗教

 外国人から見た日本人の特徴として、無宗教に見えるという点が取り上げられることがあります。

洗礼を受けたわけでもないのに教会で結婚式を挙げ、葬式はお寺で行い、大みそかにはお寺で除夜の鐘を突き、正月になると一転して神社に初詣に行く。

宗教を全く無視しているようで、訳が分からないという訳です。

私自身は、理系人間で、理屈が先に来がちなので、特に信心しているものは有りません。

宗教は何かと質問された時には、「不可知論者」だと答えることにしています。

まあ、神様も、仏様も、いずれも存在するとも言えないし、存在しないとも言えないという立場という事です。

それはともかく、日本人がお寺や神社に、宗旨に関係なく行ったりするのは、無宗教というよりも、生活の中で宗教を意識することが少ないと言った方が良いのでは無いかと思います。

自然の豊かな生産力が原因?

 日本人がなぜそうなのかについては、神仏習合の過去があったからだとか、江戸時代の檀家制度が一因だとか色々その理由について言われます。

その理由についても、前回の記事で日本人を日本人たらしめた理由として挙げた、日本の自然の豊かな生産力だったという事が言えるのでは無いかと思うのです。

 

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その記事中でも書きましたが、日本列島においては、自然は敵対して征服していくものでは無く、共生し恵みを与えてくれるものでした。

その結果、全てのものには、八百万とも言われる神々が宿ると考えるようになりました。

信じるか信じないかといったものでは無く、ごく自然な身近なものだったのです。

それは文字通り、自然発生的なもので、共通の教義のようなものは無かったと考えられます。

そういった意味では、宗教だという意識も少なかったと思います。

そこに、仏教、キリスト教のような、教義のしっかりとした宗教が入って来ても、八百万の神と同じように捉えることに拠り、特に問題は生じなかったのだと思います。

争いは有ったが

 とは言っても、仏教伝来時の争いや、キリスト教の弾圧、廃仏毀釈などが有ったじゃないかと言われそうです。

そういった争いは確かにありましたが、よく考えると、これらはいずれも権力側が宗教を利用しようとした結果だと考える事が出来そうです。

仏教伝来時の争いは、蘇我氏が、仏教を利用して旧来勢力に対抗しようしたものと考えられます。

キリスト教の弾圧は、戦国時代から江戸時代へと全国統一政権を作る中で、唯一絶対の神を主とする教義は不都合だったという事や、背後にスペインなどの影がちらついていたことも原因と言えるでしょう。

廃仏毀釈は、明治政府による神道国家神道化による結果だと言えます。

つまりいずれも、権力側の都合の結果とも言えるわけで、社会レベルで特定の宗教を排斥するようなことが有った訳では無いのです。

どこへお参りしようが

 という事で、各宗教側がどう考えるかというのは別にして、日本人にとって、神社仏閣教会の何れに行くことも、特に宗教という意識も、違和感も無いのだと考えられます。

様々な神社にお参りするように、寺院や、教会に行くと捉えれば、誰がどこへお参りしようが、人ぞれぞれで問題は無いわけです。

加えて、現代の日本人が、宗教についての体系的な知識という点で、あまり強くないという事も相まって、外国から見ると、極めて無宗教的に見えるという事なのだと思います。

 

と、書きながら、不可知論者の私としては、存在されているものなら、そのお姿なりをお見せいただけないものかと思っているのです。


ではでは

日本人を作ったもの

現在の日本人を形成したものについて考えた話です

 

 

驚きの日本製品

 よくTVの番組で、日本製品を、海外の人に見せたり使わせたりして、その驚く反応を見るといったものがあります。

よく見るのが、温水自動洗浄便座でしょうか。

あれなどは、日本人の私でも、初めて見た時には、トイレにここまでするかと思ったものですが。

最近では、ガチャや食品サンプルなども、その作りこみと種類の多さで驚かれ、且つ人気になっているようです。

また、面白いところでは、お菓子類の種類の多さも驚かれているようです。

昔からあった

 こういった現象は、今に始まった事では無いようです。

エドワード・モースという、アメリカの動物学者で、明治時代にお雇い教授として東京大学で教鞭を取った人物がいました。

歴史や考古学の好きな人には、大森貝塚を発見した人物という方が分かり易いでしょうか。

その、モースが、日本の民具に興味を持ち、収集していたという番組を見ました。

民具に関しては、単なる生活道具にも関わらず、細部に渡る作りこみがあることや、様々な種類、意匠が有る事に興味を持ったようです。

また、動物学者という職業柄か、動植物を意匠に取り入れているのも興味深かったようです。

明治時代から、日本人の作るものには、日用品でも、海外の人を驚かすような特徴が有ったのです。

と言っても、これらをもって、日本人が優れているとかそういった事を、言いたいわけでは有りません。

単に、日本人が、そういったものを良しとしてきた人々だと言っているだけです。

どうして日本人はそうなのでしょうか。

日本に住んでいるから

 そもそも、アフリカを発した人類の中でユーラシア大陸の東端に達した人々の一部が、様々な方角や、時期に日本列島にやって来て、今の日本人がいるわけです。

日本人を形作った様々な人々が、全て現在の日本人のような性質を持った人間だったとは思われません。

その後の時間の中で、現在のような日本人が形作られてきたはずです。

元は同じ出自なのに、違いが生じたのだとすれば、住み着いた日本という場所に要因が有るということになりそうです。

豊かな自然

 動植物の意匠が多いというのは、豊かな自然から来ているのではないかと思います。

以前の記事で、農耕が本格的に行われる以前の縄文時代から定住が行われていたのは、日本列島の自然の生産能力が高かったことに拠ると考えました。

 

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日本列島においては、自然は敵対して征服していくものでは無く、共生し恵みを与えてくれるものだったのです。

だからこそ、全てのものには神が宿るのです。

農耕の導入と島国

 その豊かな自然に加えて、農耕が導入された結果、投入された人員以上の人間を養える食料の生産がされるようになりました。

その結果、生命維持に特に必要ではない事を行うことに拠って、生活をする人々が増えていくことになりました。

多くの人間が、同じような事を行う事になります。

彼らの行う事の内容が評価され、その評価によって食料その他を手に入れる事になります。

当然、生活が懸かっているので、同種の事柄の間での競争は激しくなります。

さらに、日本が島国であったことが、条件を厳しくします。
大陸とは違って、簡単に出ていくことは出来ない訳ですから。

このような条件の下で、全てのものに対する作りこみや、種類の多さ、こった意匠などの、日本のお家芸ともいえる文化が生まれて来たのだと思います。

常に、過剰なまでの品質の、同じようでチョット違うものが評価されることに拠り、種類が多くなるのです。

 

自然の生産力の豊かな島国という条件が、日本人を日本人たらしめているという事でしょうか。


ではでは

 

ベーシックインカムで基本的な生活を

ベーシックインカムと基本的な生活について館得た話です

 

 

ベーシックインカムはだめか

 ベーシックインカムについて考えてみたいと思います。

基本的な生活の保証について考え始めた記事で、ベーシックインカムについては、それでもって基本的な生活を保証するのは難しいのではと考えました。

 

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加えて、結局お金を分離出来ていないのも、問題としました。

それに、ベーシックインカムの話になると、常に問題となるのが、労働意欲を削ぐのでは無いかという点です。
確かに、ただ飯が食べられるのであれば、働かないでもいいかと考える人も出て来そうです。

基本的な生活を行うのに必要な活動と、ベーシックインカムを結び付けるのはどうでしょうか。

全員で支える

 現在は、農業を筆頭に、世の活動のすべては、それに携わる一部の人間でのみ行われ、その成果を全ての人間に行き渡らせるという形になっています。

それを行うのに使われているのが、貨幣ということになります。

その貨幣を稼がなければならないのが、現在の生きにくさの原因だと考えたわけです。

ところで、この話は、元々農耕文明で、関係する全員が生活出来るはずなのに、現状が生き難にくいのはどうしてかという疑問から始まっています。

以前考えたように、狩猟採集による生活から、農耕による生活に移行したのは、狩猟採集により生活が出来なくなったからだと考えられます。

 

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その時には、共同体の構成員全員により、生きていくための活動が行われたはずです。

その後、支配者層や専門職層などが、農耕の生産力の高さを背景に、農耕をしない層として成り立っていったものと考えられます。

その、農耕生産に関係しなくなった層も含めて、生活が出来るようにするために使われるようになったのが、貨幣と考えられます。

であるならば、農耕文明が始まった時に立ち戻ってみるれば良いのでは。

構成員全員で、基本的な生活を保証することにするのです。

代価としてのベーシックインカム

 その代価として、ベーシックインカムを受け取る事にするのはどうでしょうか。

こうすれば、働いたことに拠る対価がベーシックインカムとなるので、労働意欲云々の話は関係なくなります。

農耕が始まったころとは違って、機械化の進んだ現代では、全ての人間が基本的な生活をするのに必要なものを作り出すのに、すべての人間のすべての労働力を必要とはしないと考えられます。

全員で、ローテーションすることに拠り、必要な労働を行えばよさそうです。

残った時間は、各自自由に使えばいい事になります。

こうすることに拠り、基本的な生活の部分と、経済活動の部分を切り分けつつ両立出来そうなのですが。

 
 チョット考えても、労働の割り当てが公平に出来るかとか、どこまでを対象の労働とするかとか、そもそも財源はどうなるのかとか、色々と考えるべき部分は有りますが、全員で全員の基本的な生活を支える事に立ち返るというのは、考えてみる価値がありそうです。


ではでは

基本的な生活が保証されれば

基本的な生活が保障されることについて考えた話です。

 

基本的な生活

 

 前回の記事で、結局他力本願に頼ってしまった形の、「基本的な生活を保証を目標に」ですが、折に触れ、色々と考えてはいるんです。

 

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例えば、何をもって「基本的な生活」と考えるかという問題があります。

基本的な生活とは、衣食住という事になるかと思いますが、これが現代においてはなかなかに難しいのです。

弥生時代とまでは言わなくても、江戸時代位のまでの機械化されていない生活なら、衣食住を充足する範囲と言うのは想像できるものが有ります。

まあ、その頃の生活は、みんなでやればなんとかなりそうなところは有る訳です。

現代で考えるのは難しい

 しかし、これが現代となると、衣食住を充足すると言っても、どこまでを考えればいいのか難しいものが有ります。

当然電気は必要でしょうし、それで使う電化製品は何処までにするのかとか、その部品の製造はどうするのかとか。

家を建てるにしても、コンクリートはどうするのか、金属部品はどうするのか、太陽電池は?

といった具合に、どこまでを基本とするのか、線引きが難しいです。

こうやって考えると、結局のところ、かつてのソビエト連邦のような計画経済まで行き着いてしまいそうです。

しかしながら、計画経済については、ご存知のように、歴史的に上手くいかない事が証明された格好になっています。

という訳で、基本的な生活を保障するという事に関しては、なかなかこれはといったアイデアが降りて来ません。

もし生活が保障されたら

 という事なんですが、難しい事だけを強調するだけでは先へ進まないので、その解決方法についてははひとまず置いておいて、「基本的な生活を保証」することに拠る利点を考えてみたいと思います。

よく考えると、衣食住の心配が無いという事になれば、現在社会的に問題となっているかなりの事が、改善されそうなのです。

先ず直ぐに思いつくのが、仕事を生活のためにしなくても良いので、各々やりたい事を追求出来る社会になりそうだという事です。
例えば、スポーツをやりたい人は、思う存分打ち込むことが出来るようになるはずです。

引きこもりの問題も、大まかに言うと仕事もせずにということが問題となっている訳ですが、生活は出来ることになるので、そういった意味では問題ない事になりそうです。
勿論、精神衛生的な面での問題は残るとは思いますが。

ブラック企業や、セクハラ、パワハラなどの問題も起こりにくくなるはずです。
極論を言えば、嫌ならば、そんな状況と関係を持たなくても、生きていけるわけですから。
当然、安い労働力を前提とする経営というのものも、存続できなくなるでしょう。

基本的に貧困から来る生活苦ということも無くなるので、犯罪も減少することが期待されます。

更に政治の面でも、変化することが考えられます。
この、基本的な生活を保障するという事を、政治の最低限守るべきベースとするのです。
そうすることに拠り、政治がシンプルになると思うのです。
政策の可否を判断する場合に、この基本的な生活の保障をベースに、その良し悪しを判断すれば良い事になりそうです。

男女平等の問題に関しても、自動的にかなりの部分が解決するのではないでしょうか。
例えば、生活の心配はないわけですから、不平等な条件で働く必要は無くなりますよね。

少し考えてもこんな感じです、なかなかよさそうに思えるのですが、どうでしょうか。


 農耕文明なのに、なぜ食べていくのが難しいのか、という疑問から始まった話ですが、
今回は、新年らしく、多少夢の有る話にしてみました。


ではでは

社会の均質化と時代

社会の均質化という捉え方で、時代の変化を考えてみた話です。

 

 

社会の均質化という捉え方

 前回の話で、前回と今回の2回の東京オリンピックの間の時代は、「物質、技術の面での量的な拡大と、全国的な社会の均質化」と見る事が出来るのではないかと考えました。

 

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この中で、「物質、技術の面での量的な拡大」に関しては、科学技術の発展という時代背景が大きいのかなとは思います。

対して、もう一方の「全国的な社会の均質化」については、思い付きで書いたのですが、その後色々と考えてみると、この「社会の均質化」というキーワードで時代の移り変わりを、説明出来そうな気がしてきました。

という訳で今回は、「社会の均質化」で時代の移り変わりをかんがえてみようの回です。

戦国時代まで

 室町時代までに、天皇を中心とする律令制に基づく権力体制は、荘園公領や武士の台頭により、制度的な疲労を示していたと考えていいでしょう。

何しろ、天皇のお膝元の京都で、応仁の乱のような大動乱が起きても、それをどうにもできなかったのですから。

律令制という制度で、全国的な社会を均質化し、その後にほころびを見せていく家庭だったとも言えるでしょう。

そんな中、太陽活動の低下を原因とする天候不順による農業不振により、経済システムが崩壊したことが、とどめを刺し、戦国時代の原因になったではないかと、以前の記事で考えました。

リンク:

 

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江戸時代

 その戦国時代を、最終的に勝ち抜いたのは、ご存知徳川家康です。

その家康が開いた江戸幕府は、その後264年に渡って、日本を支配することになります。

江戸時代は、幕藩体制という制度で、全国が均質化し、成熟の後に、制度的疲労を見せていく過程だったと考えられます。

第11代家斉の大御所時代に、幕府財政の破綻・幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行し、大塩平八郎の乱などが起こるようになりました。

それに対して、水野忠邦天保の改革により、体制の維持を図ることになります。

そんな中、ペリーが浦賀に現れ、その後の幕府の崩壊の引き金を引くことになります。

明治維新から終戦まで

 最終的に薩長土肥を中心として倒幕がなされ、明治政府が樹立されることになります。

明治政府が目指したのは、西洋に倣った、近代化と帝国主義だったと言えるでしょう。

その近代化と帝国主義による、全国の社会の均質化の過程が、明治、大正と戦前の昭和だったのだと思います。

戦前の軍国主義化は、制度的な疲労とほころびの結果と言えるのではないでしょうか。

明治以降の帝国主義は、最終的に敗戦という形で終わることになりました。

戦後

戦後の日本が目指したものをどう考えるかについては、色々と考えられるところですが、さしずめ経済立国というところでしょうか。

経済発展による豊かな生活という均質化が、全国的に起こったのが、戦後の日本だったのです。
このあたりは、前回の記事で考えた所でもあります。

それが制度的に疲労し、ほころびを見せたのが、バブルだったのだと思います。

その後、世界的にもリーマンショックのように、経済発展モデルにほころびが見えてきたとも言えそうです。

そんな中で、新型コロナのパンデミックが発生してしまいました。

バブルやリーマンショックに比べても、社会システムに対する影響ははるかに大きくなりそうです。

これが戦後から続く時代の終わりの始まりかもしれない、というのはどんなものでしょうか。


 まあ、ワクチンが効果的で、日常が戻ってくる事も考えられますが、そういった形で予想が外れるのならば、それはそれで大歓迎ですけどね。


ではでは

二つのオリンピックの間の時代

前回の五輪と今回の五輪の間の時代について考えた話です。

 

 

半世紀以上も経ってしまった

 今年のメインイベントの筈だった東京五輪は、まさかのコロナの影響で、来年に延期されてしまいました。

私の個人的な考えは、以前に一度記事に書いたように、現状のあまりにも利権がらみになってしまった五輪大会は、一度リセットした方が良いんじゃないかというものです。

 

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まあ、さすがにここまで深入りしてしまうと、止めるに止めれないというところでしょうか。

やるからには、上手くいってほしいものです。

それにしても、前回の東京五輪から半世紀以上も経ってしまった訳です。

年を取る訳です。

半世紀以上たったが

 半世紀以上たったのですが、ある日朝起きたら半世紀たっていたわけではなく、日々の積み重ねが半世紀になったという事になります。

そのせいもあってか、振り返ってみると、それ程世の中が変わったとは思えないのです。

特に物的な面では、そう思えるのです。

モータリゼーションも、すでに始まっていました。
我が国最初の高速道路である「名神高速道路」は、東京オリンピックの前年に開通しています。

勿論新幹線も、オリンピック直前に「東海道新幹線」が開通しています。

テレビ放送も、全ての家庭に行き渡っていたわけでは無いですが、カラー放送自体は1960年から始まっています。

パソコンこそまだありませんでしたが、コンピューターそのものは第二次大戦中に開発されているので、無かった訳ではありません。
もっとも、ここまで個人に普及するとは思っても見ませんでしたが。

携帯電話が出て来たのは、違いと言えば違いで、便利になった事は確かなんですが、これも無線技術そのものはそれ以前からあったし、科学特捜隊は映像付きの通信装置を使っていたりして、想像出来ない程のものでは無かったという感じです。

前回のオリンピック開催時には、今使っているものの多くに、概ねその萌芽が有り、それが半世紀を掛けて、発展してきたという感じなのです。

大きさとか、性能とかいった、量ることが出来るという意味での量的な変化は有っても、根本的に変化したという感じは少ないのです。

その中で、数少ない革新的なものと言えるのが、インターネットでしょうか。
これに関しては、量的ではなく、質的に変化したという感じが強いです。

違う面で変化が

 と思っていたのですが、最近になって、違った面でも変化が有ったのだと思い至りました。

植木等主演の「大冒険」という1965年製作のコメディ映画を、先日見る機会が有りました。

オリンピックの翌年に作られたという事になります。

植木等扮する主人公が、偽札偽造団、警察と三つ巴の追いつ追われつを繰り広げるというものです。

舞台も、東京、名古屋、犬山、岐阜、神戸と駆け巡ります。

その移動手段も、車、バイク、新幹線、ヘリコプターと多彩です。

その中で、愛知県の犬山では、国宝の犬山城の天主閣で危機一髪という、今ではあまり考えられないシーンもあったりします。

その犬山から、移動する時に使うのが牛に曳かれた荷車なのです。

コメディとはいいながら、ここで出て来るという事は、当時はそれなりにリアリティがあったという事になります。

名古屋の近くの犬山あたりでも、普通に牛で引かれた荷車が使われていたということです。

今では、おそらく、観光客相手以外に、生活で牛を荷車曳きに使っているところは、日本には無いでしょう。

戦後も前回のオリンピックの頃には、まだそのような生活が地方には有ったからこそ、そのようなシーンが取られた訳です。

その後の半世紀以上の月日で、そういったものは捨て去られて、全国的に同じような生活をするようになったのです。

この半世紀チョットで起きたのは、物質、技術の面での量的な拡大と、全国的な社会の均質化だったという事です。

個人的には、生まれてからこの方、比較的街中に住んできたので、社会の均質化という面については、気が付く機会が少なかったという事なのかもしれません。

 
 今一つまとまりのない話になってしまいました。
もう少し考えてみたいと思います。
ところで、公家が乗っているような人の乗るものは、「牛車」と書いて、よく知られているように「ぎっしゃ」と読みますが、牛で荷車を曳く形のものは、「牛車」と書いて「うしぐるま」と読むんだそうです。
いやぁ難しい!


ではでは

ボディカメラの活用を

ボディカメラをもっと活用したらどうでしょうという話です。

 

 

教員の性犯罪増加

 児童や生徒へのわいせつ行為などで懲戒等の処分を受けた公立学校の教員の数は282人と過去最多(平成30年度)だったようです。

警察官の不祥事も、前年よりも減ってはいるようですが、2019年には243人が懲戒処分を受けているようです。

こういった公的な人々には、それなりの自覚を持ってもらわないといけないのですが、どうも性善説では限界があるようです。

何か、抑制する方法を考えなければいけないようです。

ボディカメラの活用を

 対策として、アメリカの警官が着けているのをTVなどでよく見かける、ボディカメラを着けることにしたらどうかと思うのです。

基本的に業務中は常に記録する事にすれば、ある程度の抑止効果は、あるのではないでしょうか。

プライベートな時間をどうするかは、公的な人だからといって、そこまで要求できるのかという問題は有りますが、そのあたりは、以前の記事に書いたように、一般の多くの人が着けるようになることで、自ずと解決するのかもしれません。

 

yokositu.hatenablog.com

 

ただそうなるまでは、プライバシーの問題とか、いつも監視されている様で、とんでもないというような話になるかもしれません。

そのあたりは、二重にロックを掛けることで有る程度回避可能では無いかと考えます。

データ管理をすれば

 映像と音声をボディカメラで記録する訳ですが、その時に暗号化をして記録した上で、保存する事にします。

その内容を確認するには、2つのパスワードがいるような設計にするのです。

その上で、一つを、ボディカメラを装着した本人、もう一つを本人以外が保管することにします。

これは、本人による改竄と、本人以外による勝手な閲覧を避けることを意図しています。

これにより、プライバシー流出や監視の危惧は避けられると思います。

本人以外のパスワードの保管は、立場を利用して、本人に圧力がかけられたりしないように、指揮命令系統ではないところで保管する事にした方がいいでしょう。

先生の場合、校長や教育委員会で保管しないという事です。

その上で、閲覧の必要が出来た時に、両者のパスワードを同時に使用して、内容を確認すれば良いわけです。

本人の為にもなるのでは

 以上は、確かに性悪説に基づいた措置ですが、本人の為にもなる部分もあると思います。

当然、勤務中の事象は、全て記録されるので、言った言わないといった事や、パワハラなどの言動も、後々確認が出来る様になるはずです。

基本的に、普通に仕事をしている限り、様々な問題を回避出来るようになるのではないかと考えられます。


 最近あちこちに在る様になった監視カメラより、勝手に見れない分、問題は少ないと思うのですが。


ではでは

少年漫画誌の巻頭特集

少年漫画誌の巻頭特集について思い出した話です

 

 

三島由紀夫没後50年

 最近色々なところで、三島由紀夫に関して見かけるようになったと思ったら、今年が没後50年という事のようです。

とはいっても、以前に少し書いたように、理系のSF読みな私としては、ほぼほぼ興味の範囲外なので、特にその作家という側面に関しては言うべきことはないのですが、三島由紀夫と聞いて、思い出したことが有りました。

それは、彼が主催していた「盾の会」についてです。

勿論年齢的に言って、その当時に、「盾の会」の内容や主義主張が分かっていたはずはないので、その「盾の会」の存在を知った経緯に関して思い出したという事なのですが。

巻頭特集がというものが有った

 少年サンデーとか少年マガジンといった少年漫画誌の一部には、その昔、巻頭特集(こういう名称だったかどうかは、調べても良く分からなかったので、便宜上こう呼びます。)という、数ページ程度の写真、挿絵も使った解説記事のようなものが有りました。

現在では、全く無いか、グラビアという感じですが。

そして、有る時の巻頭特集が、「盾の会」についてだったのです。

その内容は、特に決まったジャンルと言ったものは無く、怪獣、宇宙人、芸能、事件等なんでもござれといった感じだった印象があります。

結構、マンガに負けず劣らず、こちらも好きだった記憶があります。

沖縄返還

 例えば、「盾の会」と共に鮮明に思い出したのが、沖縄の返還に伴う話題です。

ご存知のように、沖縄は1972年に、その施政権がアメリカから日本に返還されました。

その返還前は、今からは想像できませんが、沖縄に行くにはパスポートが必要でしたし、車は右側通行で、通貨はドルでした。

記事は、そのドルに関してでした。

当然、返還後の通貨は円になる訳で、返還時に大量のドルと円を交換する必要がある訳です。

その交換用の円を、輸送途上で奪おうと、世界中の犯罪組織が虎視眈々と狙っているというものでした。

今考えると、オイオイというような内容(実際には500億円ほどを、海上自衛隊の艦船で運んだようです。)ですが。

盾の会

 そんな巻頭特集で、もう一つだけ覚えているのが、「盾の会」についてのものという訳です。

と言っても、詳しい内容まで覚えているわけでは無く、あの特徴的な制服を着た、何人かの人が、整列している写真と、三島由紀夫の写真が有った程度の記憶です。

記事自体の内容も、ビルの屋上で訓練を行っているといった内容だったことしか覚えていません。

ただ、子供ながらに、大人になっても戦争ごっこをやっている人がいるんだ、と思った事だけは思い出しました。

記憶の不思議

 とまあ、いずれも、それがどうしたとも言えるような記憶です。

それにしても、私が巻頭記事を読んでいた少年誌は週刊だったので、毎週何らかの巻頭記事に巡り合っていたことになります。

それにもかかわらず、上記の二つの記事以外には、ほぼ思い出すことが出来ません。

なぜこの二つだけが記憶に残っているのか、不思議です。

特に三島由紀夫に興味がある訳でもないですし、沖縄返還時の円の輸送に至っては、今回思い出すまで、考えたことも無かった(と思う)ので、記憶に残っている理由がよく分からないです。

子供の頃には、今はもう忘れた何らかの興味のようなものが、有ったという事なのでしょうか。


 自分でも分からないところも含めて自分だというのが興味深い、という話でした。


ではでは

令和のガメラ

令和のガメラについて考えてみた話です

 

 

新作ガメラ?!

 ネットに「中山忍が25年ぶりに復活上映した映画「ガメラ」の舞台挨拶」というニュースが流れてきました。

すわ、とうとうガメラも新作の製作発表かと思ったのですが、残念ながら25年前に公開された「ガメラ 大怪獣空中決戦」のドルビーシネマ版の復活上映という事でした。

よく見ると、ちゃんと復活上映と書いてあったりします。

だからこその、中山忍さんということなのでした。
何しろ、福岡ドームを使って、ギャオスを生け捕りにしようとした人ですからね。

舞台挨拶には、ギャオス捕獲作戦の相方で、その後もガメラとその敵役に人生を翻弄された、螢雪次郎さんも登壇したようで、なかなかに胸熱の人選です。

中山忍さんも新作を望む

 その舞台あいさつで中山忍さんは、同時に登壇していた金子修介監督と配給元のKADOKAWAに、「令和のガメラが見たい! 生身のスーツアクターが出てくるガメラを、また見てみたい。私の夢をかなえてください」と言ったようです。

記事によると、それに対して客席から万雷の拍手が巻き起こったようです。

そうなんですよ、「シンゴジラ」を始めとして、色々と動きがあるゴジラに対して、昭和の怪獣のもう一方の雄ガメラは、最近今一つなんですよね。

時代も令和になったことですし、この辺りで、昭和、平成に続く第3のシリーズを作ってくれないかなと思っていた私としては、まさに我が意を得たりです。

もし作るなら

 という訳で、令和のガメラを作るのであれば、こういうものにしてほしいという要望を上げてみます(もう作る事前提です)。

要望の基本となるものは、昭和テイストに戻ろう、という事です。

中山忍さんが舞台あいさつで言っているように、怪獣はぜひスーツアクター演じる着ぐるみでお願いしたいです。

シンゴジラのようなフルCGも悪くは無いですが、やはり怪獣は着ぐるみの方が、これぞ怪獣という感じで、外せません(何がこれぞなのか分かりませんが、それでいいのです)。

勿論、ガメラは子供の味方で無ければなりません。
子供を、手(前足とも言う)に乗せて飛行するのです。

昭和テイストと言えば、絶対に外せないのが、悪役の宇宙人です。
地球を狙って、攻めて来ることになっています。

勝手にあらすじを考える

 勢いで、あらすじも考えてみました。

ギャオスと激闘を繰り広げた場所から採集された、ガメラの組織片を保管・研究している施設に、地球人に変装した宇宙人が潜入します。

たまたま見学に来ていた小学生が、偶然から、宇宙人であることを見破ります。
宇宙人に追われることになりますが、あわやというところでガメラに助けられます。
(この時に、手(前足とも言う)に乗って飛ぶことになります)

残念ながら、ガメラの組織片は奪われてしまいます。

組織片を手に入れた宇宙人は、クローン技術により、スペースガメラを作り出します。
その数、なんと8匹。

7大陸+日本(日本は、とにかく狙われるのです)に各一匹ずつ送り込むつもりです。

8匹のスペースガメラを向かい討つ我らがガメラガメラと地球の運命は。

タイトルも決まっています。

「キュウガメラ


 その他には、有りそうでなかった、メカガメラを宇宙人が作って攻めてくるというのもありますが、もういいですか、そうですか。


ではでは

利き手でやる事だけではない

「手続き記憶」の修正法について考えてみた話です。

 

 

利き手の「手続き記憶」の書き換え

 前回の記事では、私が箸を両手で使えるようになった時の経験をもとに、利き手で行っていることの改善方法について考えてみました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その方法は、利き手で無い方の手で行う事により、利き手で行うために形成されていた「手続き記憶」を書き換える事をめざすと言うものでした。

記事の最後で、その応用例として、字を書くことを上げたのですが、記事を書いた後も、面白そうなので、色々と可能性を考えていました。

様々な「手続き記憶」の書き換え

 手で言うと、ギターなどの楽器の演奏も、使う手を変えて練習することに拠り、上手くなったり、変な癖を取り除くことが出来るかもしれません。

すぐに思いつくのは、手ではなく、足でもいけるのではないかというものです。

例えば、サッカーのシュート練習を、聞き足以外でも練習することで、上手くなるかもしれません。

一流の選手は、どちらの足でも上手いことが多いのも、こういったことなのでしょうか。

プロ野球の選手が、スィッチヒッターでなくとも、左右両方で打撃練習をしていたりするのも、こういったことが関係しているのかもしれません。

無意識かつ自動的な行動の抑止

 などと、色々と考えていたのですが、もう少し違った捉え方も出来ると気が付きました。

「手続き記憶」について考えてみても、「自転車の乗り方」とか「泳ぎ方」のように、単に利き手とか利き足で行う事だけに関係する事では無い事は明らかです。

もう一度、箸を両手で使えるようになった時の事を考えてみると、利き手でない左手を使うことに拠って、右手用に作り上げられた「手続き記憶」が働くことが出来ずに、箸の使い方を考えながら行わなければ無かった結果、「手続き記憶」が上書きされた訳です。

これは、言い換えると、利き手を使う「手続き記憶」によって無意識に行うことが出来ることを、利き手以外を使う事によって、無意識かつ自動的には出来なくしたという事です。

つまり、無意識かつ自動的には出来ない条件を見つけ、改めて意識的に行う事により、再訓練が出来るという事です。

この辺りが、闇雲に回数を重ねても、なかなか上達しないという時の、原因の一つでは無いでしょうか。

無意識かつ自動的に回数を重ねるだけでは、「手続き記憶」が変化することは無いという訳です。

万能ではない

 ポイントは、箸の使い方における利き手以外の手のような、無意識の自動手的な反応を止めて、意志的に正しい方法で行う事ができるようにする手段を見つけるという事でした。

ただし、対象によっては、正しい方法というのが問題になる場合も有ります。

箸の使い方のように正しい使い方が明確な場合は問題ありません。

しかし、自転車の乗り方のように、正しい乗り方といっても、その内容の説明が難しいものも有るので万能ではなさそうです。


 包丁の使い方というのも思いついたのですが、チョット左手でやる勇気は無いです。


ではでは

箸の使い方矯正法?

箸の使い方矯正法?(私は矯正された)に関する話です。

 

 

両手で箸を

 私、特技という程の事では無いのですが、両手で箸を使う事が出来ます。

会食の席などで、初めての人には、話のネタとして使えるので重宝しています。

「利き手をケガしても、食べられますね。」というような反応に対して、「それよりも、両手に箸を持つことで、人より倍の速さで食べられるんですよ。」というのが定番の落ちです。

それはそれとして、両手で箸を使うようになったのは、高校生の時に、「両手で使うと、左右両方の脳を使うことになるので、頭がよくなる」みたいな話があって、ダメ元でやってみたからです。

確か、夏休みの間、食事を左手で食べて覚えたのでした。

まあ、その効果の程については、本当にダメ元に終わったのですが、両手で箸を使うことは出来るようになった訳です。

右手も上手くなった

 ただ、頭は良くはならなかったのですが、明らかに良くなったものが有りました。

それは、利き手の右手での箸の使い方です。

左手で練習するまでは、利き手の右手での箸の使い方は、気が付くと箸がクロスしてしまっているという使い方でした。
ネットで調べてみると、「バッテン箸」と言うようです。

左手で箸を使おうとすると、最初は右手と同じように使う事すら出来ず、持ち方すらおぼつかない事になります。

つまり、持つところから、ワンステップ毎に、考えながらやらなければいけない訳です。

さすがに、クロスするのは正しい使い方では無いと分かっていたので、図書館で正しい使い方の書いてある本を借りて来て(まだネットなどというものは無かったのです)、見ながら練習しました。

そうやって、夏休みの間に、大豆をつまんだり、ソバをすすったり、ほぼ支障の無いまでになりました。

この間、早く左手で出来るようにと、右手は使っていませんでした。

そして、左手が使えるようになって、久しぶりに右手を使うと、不思議なことに、右手も正しい使い方になっていたのです。

手続き記憶の上書き

 この現象に関する一応の解釈はこうです。

箸を使う時には、いちいちどう使うかを考えることなく、無意識の内に行うと思います。

これは、「自転車の乗り方」や「泳ぎ方」のような、「手続き記憶」と呼ばれているものと同じだと考えられます。

いわゆる「体が覚えている」というやつです。

始めて、左手で箸を使おうとすると、上に書いたように、意識的に考えながらやることになります。

そのことに拠り、箸を使うという「手続き記憶」が上書きされたと考えます。

そのため、右手での使い方も上手くなったという訳です。

多少疑問はあるが

 ただし、これだけだと、少し疑問が残るんですよね。

この考え方だと、左手の練習をする前の右手だけ使っていた状態でも、左手も「バッテン箸」の使い方で使えないといけないことになります。

実際には、もうチョット複雑な仕組みがあるような気がするんですが、これ以上は何とも言えません。

とは言え、左手で覚えたものが右手にも反映されたことは確かです(例としては、私一人しかいませんが)。

両手で使えるようになるというおまけもついてくるので、矯正法として面白いんじゃないかと思うのですが。


 この方法論は、他にも利き手でやる事の矯正に使えそうな気がしてきました。
とりあえず、思いつくのが、字を書くことなんですが、どんなものでしょう。


ではでは