前回の五輪と今回の五輪の間の時代について考えた話です。
半世紀以上も経ってしまった
今年のメインイベントの筈だった東京五輪は、まさかのコロナの影響で、来年に延期されてしまいました。
私の個人的な考えは、以前に一度記事に書いたように、現状のあまりにも利権がらみになってしまった五輪大会は、一度リセットした方が良いんじゃないかというものです。
まあ、さすがにここまで深入りしてしまうと、止めるに止めれないというところでしょうか。
やるからには、上手くいってほしいものです。
それにしても、前回の東京五輪から半世紀以上も経ってしまった訳です。
年を取る訳です。
半世紀以上たったが
半世紀以上たったのですが、ある日朝起きたら半世紀たっていたわけではなく、日々の積み重ねが半世紀になったという事になります。
そのせいもあってか、振り返ってみると、それ程世の中が変わったとは思えないのです。
特に物的な面では、そう思えるのです。
モータリゼーションも、すでに始まっていました。
我が国最初の高速道路である「名神高速道路」は、東京オリンピックの前年に開通しています。
勿論新幹線も、オリンピック直前に「東海道新幹線」が開通しています。
テレビ放送も、全ての家庭に行き渡っていたわけでは無いですが、カラー放送自体は1960年から始まっています。
パソコンこそまだありませんでしたが、コンピューターそのものは第二次大戦中に開発されているので、無かった訳ではありません。
もっとも、ここまで個人に普及するとは思っても見ませんでしたが。
携帯電話が出て来たのは、違いと言えば違いで、便利になった事は確かなんですが、これも無線技術そのものはそれ以前からあったし、科学特捜隊は映像付きの通信装置を使っていたりして、想像出来ない程のものでは無かったという感じです。
前回のオリンピック開催時には、今使っているものの多くに、概ねその萌芽が有り、それが半世紀を掛けて、発展してきたという感じなのです。
大きさとか、性能とかいった、量ることが出来るという意味での量的な変化は有っても、根本的に変化したという感じは少ないのです。
その中で、数少ない革新的なものと言えるのが、インターネットでしょうか。
これに関しては、量的ではなく、質的に変化したという感じが強いです。
違う面で変化が
と思っていたのですが、最近になって、違った面でも変化が有ったのだと思い至りました。
植木等主演の「大冒険」という1965年製作のコメディ映画を、先日見る機会が有りました。
オリンピックの翌年に作られたという事になります。
植木等扮する主人公が、偽札偽造団、警察と三つ巴の追いつ追われつを繰り広げるというものです。
舞台も、東京、名古屋、犬山、岐阜、神戸と駆け巡ります。
その移動手段も、車、バイク、新幹線、ヘリコプターと多彩です。
その中で、愛知県の犬山では、国宝の犬山城の天主閣で危機一髪という、今ではあまり考えられないシーンもあったりします。
その犬山から、移動する時に使うのが牛に曳かれた荷車なのです。
コメディとはいいながら、ここで出て来るという事は、当時はそれなりにリアリティがあったという事になります。
名古屋の近くの犬山あたりでも、普通に牛で引かれた荷車が使われていたということです。
今では、おそらく、観光客相手以外に、生活で牛を荷車曳きに使っているところは、日本には無いでしょう。
戦後も前回のオリンピックの頃には、まだそのような生活が地方には有ったからこそ、そのようなシーンが取られた訳です。
その後の半世紀以上の月日で、そういったものは捨て去られて、全国的に同じような生活をするようになったのです。
この半世紀チョットで起きたのは、物質、技術の面での量的な拡大と、全国的な社会の均質化だったという事です。
個人的には、生まれてからこの方、比較的街中に住んできたので、社会の均質化という面については、気が付く機会が少なかったという事なのかもしれません。
今一つまとまりのない話になってしまいました。
もう少し考えてみたいと思います。
ところで、公家が乗っているような人の乗るものは、「牛車」と書いて、よく知られているように「ぎっしゃ」と読みますが、牛で荷車を曳く形のものは、「牛車」と書いて「うしぐるま」と読むんだそうです。
いやぁ難しい!
ではでは