前方後円墳×可視化テクノロジー
TVで「デジタル・アイ 新発見続々! 考古学×可視化テクノロジー」という番組を観ました。
題名にもあるように、考古学的な遺物にレーザーやX線などを使用することにより、肉眼では見えない情報を取り出して可視化することが可能になり、新たな発見が生まれているという内容でした。
その中に、前方後円墳をレーザーで計測をして可視化するというものがありました。
ドローンに計測用の機器(3000万円!!)を取り付けて計測します。
この時、特に天皇陵とされている前方後円墳は立ち入りが禁止されているので、上空を飛ぶことはせずに周辺を飛びながら計測するのだそうです。
レーザーによる測量と言えば
レーザーによる計測(LiDAR技術と言うそうです)と言えば、このブログでも以前の記事でお世話になっています。
計測値を用いて作成される赤色立体地図というものから、卑弥呼の墓について書いています。
その地形的特徴から宇佐神宮が卑弥呼の墓であり、さらにその形状から前方後円墳は、卑弥呼の墓へのオマージュでは無いかと考えました。
今回の発見は
さてその前方後円墳について、今回の番組で取り上げられた発見は、同時期に造られたものの設計が異なっていたというものでした。
従来の説では、大和政権が各地の権力者に、大和政権への従属の証として大和政権の大王(天皇)の墓の設計図を与え、これに基づいて日本各地に同じような形状の前方後円墳が造られたと考えられています。
これが、大和政権が全国に勢力を伸ばしていったことを示しているというわけです。
しかし今回の研究で、同時期に異なった設計で造られていたという事になれば、これらのことは無かったという事になります。
つまり、大和政権が前方後円墳と共に全国に覇を唱えていったという事はないのです。
冊封的だったと考えれば
こういたことを基に、研究者は大和政権の性格について、力によって支配するというものではなく、「入りたいやつは入ってや」という緩い部活のようなものだと解説していました。
これは、本ブログで考えている、大和政権とその他の勢力の関係が、支配被支配という関係ではなく、中国と周辺国のような冊封的なものだったという説そのものではないでしょうか。
冊封的な関係を結ぶために畿内へ使節を送ってきたはずです、その時に見た巨大な大王の墓を見て、その情報を各地に持ち帰った結果が、全国的な前方後円墳の分布になったのです。
やはり、前方後円墳は一種の流行りものだったのです。
ではでは