横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

利き手でやる事だけではない

「手続き記憶」の修正法について考えてみた話です。

 

 

利き手の「手続き記憶」の書き換え

 前回の記事では、私が箸を両手で使えるようになった時の経験をもとに、利き手で行っていることの改善方法について考えてみました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その方法は、利き手で無い方の手で行う事により、利き手で行うために形成されていた「手続き記憶」を書き換える事をめざすと言うものでした。

記事の最後で、その応用例として、字を書くことを上げたのですが、記事を書いた後も、面白そうなので、色々と可能性を考えていました。

様々な「手続き記憶」の書き換え

 手で言うと、ギターなどの楽器の演奏も、使う手を変えて練習することに拠り、上手くなったり、変な癖を取り除くことが出来るかもしれません。

すぐに思いつくのは、手ではなく、足でもいけるのではないかというものです。

例えば、サッカーのシュート練習を、聞き足以外でも練習することで、上手くなるかもしれません。

一流の選手は、どちらの足でも上手いことが多いのも、こういったことなのでしょうか。

プロ野球の選手が、スィッチヒッターでなくとも、左右両方で打撃練習をしていたりするのも、こういったことが関係しているのかもしれません。

無意識かつ自動的な行動の抑止

 などと、色々と考えていたのですが、もう少し違った捉え方も出来ると気が付きました。

「手続き記憶」について考えてみても、「自転車の乗り方」とか「泳ぎ方」のように、単に利き手とか利き足で行う事だけに関係する事では無い事は明らかです。

もう一度、箸を両手で使えるようになった時の事を考えてみると、利き手でない左手を使うことに拠って、右手用に作り上げられた「手続き記憶」が働くことが出来ずに、箸の使い方を考えながら行わなければ無かった結果、「手続き記憶」が上書きされた訳です。

これは、言い換えると、利き手を使う「手続き記憶」によって無意識に行うことが出来ることを、利き手以外を使う事によって、無意識かつ自動的には出来なくしたという事です。

つまり、無意識かつ自動的には出来ない条件を見つけ、改めて意識的に行う事により、再訓練が出来るという事です。

この辺りが、闇雲に回数を重ねても、なかなか上達しないという時の、原因の一つでは無いでしょうか。

無意識かつ自動的に回数を重ねるだけでは、「手続き記憶」が変化することは無いという訳です。

万能ではない

 ポイントは、箸の使い方における利き手以外の手のような、無意識の自動手的な反応を止めて、意志的に正しい方法で行う事ができるようにする手段を見つけるという事でした。

ただし、対象によっては、正しい方法というのが問題になる場合も有ります。

箸の使い方のように正しい使い方が明確な場合は問題ありません。

しかし、自転車の乗り方のように、正しい乗り方といっても、その内容の説明が難しいものも有るので万能ではなさそうです。


 包丁の使い方というのも思いついたのですが、チョット左手でやる勇気は無いです。


ではでは