基本的な生活の保証を目標とする事について考えてみた話です。
オッカムの剃刀
「オッカムの剃刀」という考え方が有ります。
よく理系の文脈で見られる言葉ですが、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」というような意味で使われます。
普通の言い方にすると、「シンプルに出来る事を、難しく考えるな」、といったところでしょうか。
以前の記事で、相対性理論で説明できない観測事実を、ダークマターを仮定することに拠って説明するのではなく、相対性理論を修正するべきでは無いかと考えたのも、一例と言えるでしょうか。
見えないし、触れないし、電気や磁気にも反応しないけれど、重力だけはあるなんていう都合の良い物質が有れば、相対論で説明がつくというのは、都合がよすぎますよね、という話でした。
このように、理系の文脈でよく使われるオッカムの剃刀ですが、元々はスコラ哲学に有った概念の様で、特に理系の問題に限定される概念ではありません。
これを社会にも適応してみたらどうかと思うのです。
経済発展モデルの限界
前回の記事でも少し触れたように、経済発展モデルでやってきた戦後の方法論は、曲がり角にきているように思われます。
世界的に見ても、SDGs(持続可能な開発目標)のような、経済発展一辺倒からの脱却を図ろうとする動きも出て来ています。
問題は、元々完全にはリンクしていない経済発展と生きていくことの間で、その乖離が大きくなりすぎてしまっている事にあると言っていいでしょう。
そのあたりが、今回の新型コロナのパンデミック下で顕在化したのが、生命か経済かという問題なのだと思います。
さらに、ここまで世の中が複雑になってしまうと、GOTO問題に見るように、経済発展を目指すと言っても、何をどうするのかすらはっきりとはしません。
そこで、もっとシンプルに考えてみてはどうかという訳です。
基本的な生活を保証する
具体的には、以前の記事で考えたように、基本的な生活とお金を分離する事にするのです。
別の言い方をすると、全ての国民の衣食住の保証を、ベースにするという事です。
そうすると、ベースに関することと、それ以外というように、シンプルに取り扱う事が出来ます。
経済を発展させるという漠然とした目標ではなく、衣食住をどう保証するかという現実的な問題を考える事が目標となります。
とりあえず、経済企画庁というそのものずばりの名前の省庁が有るので、そこでたたき台となる案を検討する事にします。(お得意の審議会を作って諮問すれば良いでしょう)
それを基に、議論を行う事にします。
目標を明確にすれば、知恵も出しやすくなり、アイデアも出て来そうなのですが、どうでしょう。
戦後続いてきた社会システムが、新型コロナの影響を受けている今が、検討するタイミングとしては、有りかなとも思います。
それでは、良いお年を。
ではでは