続・戦国時代について考えてみた話(前編)です
気になる事
前回までの前後編で、シュペーラー極小期が原因の天候不順による農業不振が、戦国時代の始まりに関係していたのでは無いかと考えました。
後編の投稿後、一晩寝たら、有る事が気になり始めました。
というのも、記事にも書いたように、農業不振による経済的な破綻が要因と考えたわけなんですが、そうだとすると、気になる事が出て来たのです。
それは、我々が時代劇などで見知っている、戦国時代の武将たちは、経済的に困窮しているようには見えないという事です。
それどころか、長篠の戦いの時に、3千挺と言われる火縄銃を用意した織田信長を筆頭に、経済的な力を背景にした話も多かったりする訳です。
さすがに、無理があったかなと思いました。
どうしたものかと、色々と周辺を調べていて、二つの事に改めて気付きました。
戦国時代の出来事
ひとつは、私が、戦国時代と言われて思い浮かぶ出来事のほとんどが、1560年の桶狭間の戦いの前後から後の出来事だったという事です。
まあ、秀吉は信長に取り立てられた訳ですし、家康も、歴史の表舞台に登場したのは、桶狭間の戦いで岡崎城に入城してからと言っていいわけで、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3英傑に関係する事柄は、ほとんどが桶狭間以降になる訳です。
加えて、すぐに思い浮かぶ川中島の戦いも、かの有名な謙信と信玄の一騎打ちが行われたとされる、第四次の合戦が、桶狭間の翌年1561年になります。
中国の覇者、毛利元就についても、合戦ではありませんが、有名な三本の矢の逸話(どうも史実ではないようですが)は、元就の死ぬ間際の話とされており、1967年の事になります。
大河ドラマにも良く出て来る、伊達政宗に至っては、「遅れてきた戦国大名」と言われるように、生まれたのが1567年ですでに桶狭間は終わっています。
戦国時代の経過年数
もうひとつは、その年数の経過についてです。
上にも書いたように、桶狭間の戦いは、1560年でした。
それに対して、戦国時代が応仁の乱後に始まったとすると、1477年という事になります。
その間、83年です。
戦国時代がいつ終わったかについては、様々な説が有るようですが、一応豊臣秀吉が、それをもって天下を統一したとされる、小田原征伐の1590年とすると、桶狭間から30年という事になります。
つまり、始まりから桶狭間までが83年で、桶狭間から終わりまでが30年という事は、私が戦国時代と聞いて、思い浮かぶ出来事のほとんどは、戦国時代の最後の三分の一弱の時期に起こったという事になります。
であれば、始まりの時には天候不順の影響を受けていた経済が、戦国時代の終盤に、回復して来ていたと考えれば、辻褄が合いそうです。
次回は、この辺りの検証と、私の感じる戦国時代の奇妙さの関係を、改めて考えてみたいと思います
ではでは