農耕文明と人生について考えてみた話です。
現代社会は農耕文明
現代社会が、農耕文明をベースとして成り立っている事は、疑問の余地のないところだと思います。
都市の発生とか、鉄の利用とか、産業革命などなど、人間社会の様々な発展の過程が有る訳ですが、いずれもその根底に農業の存在が有る事は否定できません。
現在までのどのような段階に発展した社会も、農業による生産物無くしては、あっという間立ち行かなくなってしまうのは、火を見るより明らかです。
農耕の生産力
以前の記事で、農耕社会は、狩猟採集では生存が困難になった時に、始まったと考えました。
更に、農耕による生産物を管理する独占的に管理することに拠り、権力が発生したと考えました。
まあ、狩猟採集では生きていくことが困難になった結果、その解決策として農耕を取り入れたと考えているので、当たり前と言えば当たり前ですが、農耕には、関係者全員が食べていくだけの生産力が有る事になります。
さらに、権力階級が存在し得ることからも分かるように、農耕の特徴の一つは、生産性が高いという事です。
ただ単に全員が食べていけるだけではなく、農耕に必要な人員以上の人間が食べていけるだけの、生産量が有ったという事です。
全ての人間が食べれるはず
まとめると、農耕により、権力階級等の農耕作業に直接かかわらない者も含めて、全ての者が食べていくことが出来るようになったという事になります。
その上で、先にも書いたように、その農耕を基盤とした社会に現代の我々も生きている訳です。
その割には、ただ食べていくというだけの事が、なぜこれほどまでに難しい事になっているのでしょう。
その種類、内容は別にして、少なくとも最低限の食事を、全員が出来るはずです。
正確には、複雑化、巨大化した現代社会では、そこまで生産にリンクして人口が変化しているわけでは無いですが、それは世界から飢餓を無くすという、チョット似て非なる問題になってしまうので、ここでは十分なものが生産されると考えます。
お金が原因?
前回の記事で、人が生きていくこと自体は辛い事でもなんでもなく、ひょっとしたら楽しい事でさえあるかもしれないが、その生きるという事のためにお金を稼がなければいけないという構図こそが、競争を生みだし、その事が生きることの厳しさの原因では無いかと考えました。
なぜお金を稼ぐことが、競争を生む程厳しい事になるのかと言えば、結局の所、現代社会においては、お金が無いと生活していけないという事に尽きるでしょう。
この事と、上述の農耕文明なのに食べていくことが難しいという話を合わせて考えると、本来ならば、農耕を取り入れることに拠り担保されるはずの、基本的な生活にもお金が必要な事が、問題の中心という事になりそうです。
であるならば、基本的な生活と、お金というものを分離することが出来れば、良いということになりそうです。
理屈はそうだが
しかしながら、これなどは言うは易し行うは難しの典型で、実際にどうしたらいいのか、とんと浮かびません。
一瞬、最近各所で話題のベーシックインカムかなとも思ったのですが、支給されるお金で、基本的な生活を保障することは難しそうですし、そもそも、結局お金というものを分離出来ていないという事も有るので、チョット違うかなという気がします。
と、ここまで書いて来て何なんですが、残念ながら今のところこれといった良い案も浮かばないので、この件に関しては、しばらく寝かしてみようかなと思います。
やっぱり、どんなことでも、お金が絡むと途端にややこしくなるんですよね。
とは言っても、結局は先立つものが無いという話なんですけどね。
ではでは