社会の均質化という捉え方で、時代の変化を考えてみた話です。
社会の均質化という捉え方
前回の話で、前回と今回の2回の東京オリンピックの間の時代は、「物質、技術の面での量的な拡大と、全国的な社会の均質化」と見る事が出来るのではないかと考えました。
この中で、「物質、技術の面での量的な拡大」に関しては、科学技術の発展という時代背景が大きいのかなとは思います。
対して、もう一方の「全国的な社会の均質化」については、思い付きで書いたのですが、その後色々と考えてみると、この「社会の均質化」というキーワードで時代の移り変わりを、説明出来そうな気がしてきました。
という訳で今回は、「社会の均質化」で時代の移り変わりをかんがえてみようの回です。
戦国時代まで
室町時代までに、天皇を中心とする律令制に基づく権力体制は、荘園公領や武士の台頭により、制度的な疲労を示していたと考えていいでしょう。
何しろ、天皇のお膝元の京都で、応仁の乱のような大動乱が起きても、それをどうにもできなかったのですから。
律令制という制度で、全国的な社会を均質化し、その後にほころびを見せていく家庭だったとも言えるでしょう。
そんな中、太陽活動の低下を原因とする天候不順による農業不振により、経済システムが崩壊したことが、とどめを刺し、戦国時代の原因になったではないかと、以前の記事で考えました。
リンク:
江戸時代
その戦国時代を、最終的に勝ち抜いたのは、ご存知徳川家康です。
その家康が開いた江戸幕府は、その後264年に渡って、日本を支配することになります。
江戸時代は、幕藩体制という制度で、全国が均質化し、成熟の後に、制度的疲労を見せていく過程だったと考えられます。
第11代家斉の大御所時代に、幕府財政の破綻・幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行し、大塩平八郎の乱などが起こるようになりました。
それに対して、水野忠邦が天保の改革により、体制の維持を図ることになります。
そんな中、ペリーが浦賀に現れ、その後の幕府の崩壊の引き金を引くことになります。
明治維新から終戦まで
最終的に薩長土肥を中心として倒幕がなされ、明治政府が樹立されることになります。
明治政府が目指したのは、西洋に倣った、近代化と帝国主義だったと言えるでしょう。
その近代化と帝国主義による、全国の社会の均質化の過程が、明治、大正と戦前の昭和だったのだと思います。
戦前の軍国主義化は、制度的な疲労とほころびの結果と言えるのではないでしょうか。
明治以降の帝国主義は、最終的に敗戦という形で終わることになりました。
戦後
戦後の日本が目指したものをどう考えるかについては、色々と考えられるところですが、さしずめ経済立国というところでしょうか。
経済発展による豊かな生活という均質化が、全国的に起こったのが、戦後の日本だったのです。
このあたりは、前回の記事で考えた所でもあります。
それが制度的に疲労し、ほころびを見せたのが、バブルだったのだと思います。
その後、世界的にもリーマンショックのように、経済発展モデルにほころびが見えてきたとも言えそうです。
そんな中で、新型コロナのパンデミックが発生してしまいました。
バブルやリーマンショックに比べても、社会システムに対する影響ははるかに大きくなりそうです。
これが戦後から続く時代の終わりの始まりかもしれない、というのはどんなものでしょうか。
まあ、ワクチンが効果的で、日常が戻ってくる事も考えられますが、そういった形で予想が外れるのならば、それはそれで大歓迎ですけどね。
ではでは