農耕社会の始まり方に関して考えてみた話です。
日本列島の農耕
日本列島での農耕について、前の記事で、その発展に女性の力が大きく関わったのではないかと考えました。
しかしながら、三内丸山遺跡を始めとする縄文遺跡の出土状況からも分かるように、日本列島では、本格的な農耕社会まで発展することは有りませんでした。
農耕社会の出現は、外部からの導入による、弥生時代の始まりを待たなければなりません。
これはひとえに、日本列島の自然の豊かさに拠るのだと思います。
栗やクルミの植栽などを行っても、主食を作るところまでは行かなかった。
と言うか、作る必要が無い自然の豊かさだったのしょう。
では、日本列島に伝わって来た、農耕社会はどのようにして始まったのでしょうか。
日本列島以外の農耕
日本列島以外の世界でも、基本的には、日本列島での経過と同様に、定住が最初に来て、その後次第に農耕に進んでいったのだと考えられます。
そうでないと、狩猟採集のために移動していては、結果が出るまでに長い期間掛かる農耕は行い得無かったでしょうからね。
もちろん、発展の主体は、女性だったと思われます。
しかしながら、そういう事が有ったとして、そのまま農耕を中心とした生活に移行したとは思えません。
なぜならば、明らかに、狩猟採集生活の方が、楽だったようだからです。
縄文人は、一日のうち実働4時間で生活していたという説もあるようですから。
農耕社会の始まり
という事は、狩猟採集では十分な食料が確保でききなくなった時に、農耕による主食の確保が考えられたという事になるでしょう。
一番考え易いのは、気候の変動でしょうか。
寒冷化によって、それまで採れていたものが取れなくなったといったような。
ただし、急激な変動では無かったはずです。
あまりに急激な変動では、農耕による生活に移行する前に、定住そのものが出来なくなってしまうでしょうから。
徐々に減っていく収穫に対応する形で、農耕が拡大していったのではないでしょうか。
そして、最終的に農耕により主食を確保するようになったという事でしょう。
日本列島でも、気候の変動はあったでしょうが、自然の豊かさに厚みが有ったために、農耕を取り入れる程の状況にはならなかったのだと思います。
それに対して、定住生活を送ることが出来ても、それに対する自然の状況に、元々余裕のなかった地域で、農耕社会が発生したのではないかと考えます。
こう考えると、農耕によって確保できる食料が増えて、人口が増加したといったことはあるかもしれませんが、決して生活が楽になった訳では無いような気がするのですが。
ではでは