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ベーシックインカムで基本的な生活を

ベーシックインカムと基本的な生活について館得た話です

 

 

ベーシックインカムはだめか

 ベーシックインカムについて考えてみたいと思います。

基本的な生活の保証について考え始めた記事で、ベーシックインカムについては、それでもって基本的な生活を保証するのは難しいのではと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

加えて、結局お金を分離出来ていないのも、問題としました。

それに、ベーシックインカムの話になると、常に問題となるのが、労働意欲を削ぐのでは無いかという点です。
確かに、ただ飯が食べられるのであれば、働かないでもいいかと考える人も出て来そうです。

基本的な生活を行うのに必要な活動と、ベーシックインカムを結び付けるのはどうでしょうか。

全員で支える

 現在は、農業を筆頭に、世の活動のすべては、それに携わる一部の人間でのみ行われ、その成果を全ての人間に行き渡らせるという形になっています。

それを行うのに使われているのが、貨幣ということになります。

その貨幣を稼がなければならないのが、現在の生きにくさの原因だと考えたわけです。

ところで、この話は、元々農耕文明で、関係する全員が生活出来るはずなのに、現状が生き難にくいのはどうしてかという疑問から始まっています。

以前考えたように、狩猟採集による生活から、農耕による生活に移行したのは、狩猟採集により生活が出来なくなったからだと考えられます。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その時には、共同体の構成員全員により、生きていくための活動が行われたはずです。

その後、支配者層や専門職層などが、農耕の生産力の高さを背景に、農耕をしない層として成り立っていったものと考えられます。

その、農耕生産に関係しなくなった層も含めて、生活が出来るようにするために使われるようになったのが、貨幣と考えられます。

であるならば、農耕文明が始まった時に立ち戻ってみるれば良いのでは。

構成員全員で、基本的な生活を保証することにするのです。

代価としてのベーシックインカム

 その代価として、ベーシックインカムを受け取る事にするのはどうでしょうか。

こうすれば、働いたことに拠る対価がベーシックインカムとなるので、労働意欲云々の話は関係なくなります。

農耕が始まったころとは違って、機械化の進んだ現代では、全ての人間が基本的な生活をするのに必要なものを作り出すのに、すべての人間のすべての労働力を必要とはしないと考えられます。

全員で、ローテーションすることに拠り、必要な労働を行えばよさそうです。

残った時間は、各自自由に使えばいい事になります。

こうすることに拠り、基本的な生活の部分と、経済活動の部分を切り分けつつ両立出来そうなのですが。

 
 チョット考えても、労働の割り当てが公平に出来るかとか、どこまでを対象の労働とするかとか、そもそも財源はどうなるのかとか、色々と考えるべき部分は有りますが、全員で全員の基本的な生活を支える事に立ち返るというのは、考えてみる価値がありそうです。


ではでは