横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

歴史

マヤ文明と太陽活動

マヤ文明と太陽活動について考えた話です。 南北アメリカ大陸の文明 マヤ文明の歴史 太陽活動で見ると 南北アメリカ大陸の文明 マヤ文明という事ですが、実のところ南北アメリカ大陸の文明に関しては、よく知らないというのが偽らざるところです。 南北アメ…

火炎型土器とは何だったのか

火炎型土器について考えた話です 今回は火焔型土器 火焔型土器 天才芸術家の作か 煮炊きにも使っていた 土偶から考える 今回は火焔型土器 以前の記事で、縄文時代について書きました。 yokositu.hatenablog.com その時には、主に土偶とは何だったのかという…

モンゴル帝国と太陽活動

モンゴル帝国と太陽活動について考えた話です。 今回はモンゴル帝国 モンゴル帝国 遊牧と太陽活動 太陽活動で見ると 今回はモンゴル帝国 前回は古代ローマと太陽活動についての話でした yokositu.hatenablog.com 古代ローマと言えば、どうしてもローマ帝国と…

古代ローマと太陽活動

古代ローマと太陽活動について考えた話です。 ギリシャの次はローマ 古代ローマ 太陽活動で見ると ギリシャの次はローマ 前回の記事では、古代ギリシャと太陽活動の関係を考えました。 yokositu.hatenablog.com その中でも書いたように、その頂点ともいえる…

古代ギリシャと太陽活動

古代ギリシャと太陽活動について考えた話です。 古代ギリシャ 太陽活動で見ると 古代ギリシャ 太陽活動と歴史の関係を考える話の今回は古代ギリシャです。 ギリシャに石器時代から人間が住んでいたのは、数多くの遺跡の存在からも明らかですが、今回は比較的…

寝殿造りと太陽活動

寝殿造りと太陽活動について考えた話です。 寝殿造り 壁が無かった 太陽活動との関係 寝殿造り TVでチャンネルを変えたら寝殿造りの話をやっていて、何とはなしに見ていたら、これも太陽活動と関係が有るのではないかと思いついたので、今回は寝殿造りの話で…

北野大茶の湯はなぜ一日で終わったのか

北野大茶の湯が一日で終わってしまった理由について考えた話です 北野大茶の湯 大茶の湯はマウント目的 丿貫の風流な茶席 北野大茶の湯 北野大茶の湯は、豊臣秀吉が旧暦の天正15年10月1日に京都北野天満宮境内において催した茶会になります。 参加者数約1000…

ストーンヘンジと太陽活動

ストーンヘンジと太陽活動について考えた話です。 気になる名称 ストーンヘンジ 太陽活動との関係 気になる名称 前回まで、四大文明と太陽活動の関係について考えて来ました。 メソポタミア文明と太陽活動 エジプト文明と太陽活動1 エジプト文明と太陽活動…

黄河文明と太陽活動

黄河文明と太陽活動について考えた話です 看板に偽り 中国文明 太陽活動との関係 看板に偽り いわゆる四大文明と太陽活動の関係について考えて来ましたが、最後の黄河文明となりました。 その黄河文明ですが、私が学生の頃には、当然のように四大文明の一つ…

インダス文明と太陽活動

インダス文明と太陽活動について考えた話です インダス文明 太陽活動との関係 滅亡の理由 インダス文明 メソポタミア、エジプトと来て、今回はインダス文明です。 そのインダス文明ですが、その名の通りインダス川流域に栄えた文明です。 ハラッパとかモヘン…

エジプト文明と太陽活動2

エジプト文明と太陽活動について考えた話2です。 前回の記事 中王国時代から新王国時代まで 太陽活動との関係 前回の記事 前回の記事では、古代エジプトの古王国時代とそれに続く第一中間期と太陽活動の関係について考えました。 yokositu.hatenablog.com …

エジプト文明と太陽活動1

エジプト文明と太陽活動について考えた話1です。 メソポタミアの次はエジプト エジプト文明 古王国時代と第1中間期 太陽活動で考えると メソポタミアの次はエジプト 前回のメソポタミア文明に続いて、エジプト文明と太陽活動について考えてみます。 yokosi…

メソポタミア文明と太陽活動

メソポタミア文明と太陽活動の関係について考えた話です。 太陽活動と歴史 バビロニア シュメール極大期 ピラミッド極大期 ストーンヘンジ極大期 太陽活動と歴史 帰ってきた「太陽活動と歴史」です。 今回から、四大文明と太陽活動について考えて見たいと思…

秀吉と利休

秀吉と利休について考えた話です。 戦国大名と茶の湯 頂点を極めた秀吉 対極の利休 利休の影響力 利休の切腹 戦国大名と茶の湯 前回の記事では、戦国大名が「茶の湯」を好んだ理由にについて考えました。 yokositu.hatenablog.com よく言われるのは、精神的…

戦国大名と「茶の湯」

戦国大名と「茶の湯」について考えた話です。 戦国大名と「茶の湯」 なぜ「茶の湯」が好まれたのか 茶道具を手に入れれば 戦国大名と「茶の湯」 様々なタイプのいる戦国大名ですが、多くの大名が「茶の湯」を趣味というか、嗜んでいた事が知られています。 …

太陽活動と気候

太陽活動と気候の関係について調べた話です。 太陽活動の変化と気候変動 太陽活動の変化とエネルギー 太陽活動の変化と紫外線量 太陽活動の変化と雲の量 太陽活動の変化と気候変動 ここしばらく太陽活動と歴史上の出来事について考えてきました。 基本的な考…

ツタンカーメンの父と太陽活動

ツタンカーメンの父と太陽活動について考えた話です。 ツタンカーメン関連の番組 ツタンカーメンの父 太陽活動との関係 仏教伝来との類似 ツタンカーメン関連の番組 ここしばらくの間に、立て続けにツタンカーメン関連の番組を見ました。 余りにも有名な人物…

江戸時代と太陽活動

江戸時代と太陽活動について考えた話です。 前回の話とその次 江戸時代と太陽活動 技術と社会の発達 前回の話とその次 前回の話は、鎌倉時代と室町時代の太陽活動との関係を考えた話でした。 yokositu.hatenablog.com 同じ関東出でありながら、武骨な鎌倉時…

武士と太陽活動2

武士と太陽活動について考えた話2です 前回の話 鎌倉時代と太陽活動 鎌倉時代の武士 前回の話 前回は、武士の出現と伸長にも太陽活動影響が有ったのではないかという話でした。 yokositu.hatenablog.com 引用元:シュペーラー極小期 - Wikipedia Oort Minim…

武士と太陽活動

武士と太陽活動について考えた話です 平安時代は太陽活動の回復期 「武士」の登場と太陽活動 中世極大期前の太陽活動 平安時代は太陽活動の回復期 以前の記事で、平安京が千年以上都として続いた背景にも、太陽活動の影響が有るのではないかと考えました。 y…

中国史書にみる「倭」3

中国史書に書かれている「倭」について考えた話3です。 今回は『新唐書』 『新唐書』での「倭」 『新唐書』は「宋」で作られた 『王年代紀』で辻褄が合う 今回は『新唐書』 2では『旧唐書』に書かれた「倭」について考えて見ました。 yokositu.hatenablog.…

中国史書にみる「倭」2

中国史書に書かれている「倭」について考えた話2です。 今回は「唐」 「唐」の正史は2種類 『旧唐書』に2つの国 「日本国」の朝貢は703年 「唐」は信用しなかった 使者が認識していたという事は 今回は「唐」 1では、「隋」の正史『隋書』にある「倭」につ…

中国史書にみる「倭」1

中国史書に書かれている倭について考えた話1です。 「倭の五王」と遣隋使は同じ国から 「倭の五王」の向かった先 遣隋使の向かった先 「倭の五王」と遣隋使は同じ国から このブログでは、「倭の五王」は、「邪馬台国」が東遷する際に九州に残った勢力が使者…

陰陽師とはなんだったのか

陰陽師について考えた話です 太陽活動と平安京 必要な事は学んだ 仏教に代わって陰陽師 太陽活動の回復の波に乗った 太陽活動と平安京 今回は、あの有名な安倍晴明を代表とする陰陽師たちが、なぜ平安時代に活躍したのか考えて見たいと思います。 先ずは活躍…

頻繁な遷都の意味するもの2

古代の頻繁な遷都について考えた話2です。 前回の話は看板倒れ 都を作っても 藤原京 平城京と長岡京 仏教に見切り 前回の話は看板倒れ 前回の記事は、「頻繁な遷都の意味するもの」という題名の割には、平安京が長く都であった背景にも太陽活動の変化が有っ…

頻繁な遷都の意味するもの

古代の頻繁な遷都について考えた話です。 遷都が多かった なぜ多かったのか やはり太陽活動の影響が 仏教と律令制によるもではない 遷都が多かった 前回の話は、太陽活動の低下から生じた気候的、社会的な不安定に対処する方策を学ぶために送られたのが、遣…

遣隋使とはなんだったのか

遣隋使について考えた話です ずっと送っていなかった 強国に朝貢したのか 仏教伝来と対立 聖徳太子が送った ずっと送っていなかった 遣隋使については、歴史の授業などでは、推古天皇の時代に隋の進んだ文化、制度等を学ぶために送ったといった感じで学びま…

仏教伝来と太陽活動

仏教伝来と太陽活動について考えた話です 久しぶりの太陽活動の図 仏教公伝と崇仏論争 天皇は宗教的存在 背景に太陽活動 新たな考えの受け入れられる時 久しぶりの太陽活動の図 今回は、我が国への仏教伝来について考えて見たいと思います。 仏教伝来につい…

九州に残った勢力のその後

九州に残った勢力のその後について考えた話です 敗れ去った側 継体天皇が九州出身は無理筋 仲哀天皇の5世 敗れ去った側 前回は、邪馬台国東遷時に九州に残ったのは、後衛としての部隊といった性格のものでは無く、東遷に組することなく従来の生活を守るため…

東遷時に九州に残った勢力

東遷時に九州に残った勢力について考えた話です 前回の話から 全てが東遷したのか 単なる後衛部隊ではなかった 連合体が朝貢した 前回の話から 前回の話は、「倭の五王」は何処の王だったのかを考えた話でした。 yokositu.hatenablog.com 「倭の五王」につい…