インダス文明と太陽活動について考えた話です
インダス文明
そのインダス文明ですが、その名の通りインダス川流域に栄えた文明です。
新石器時代から人が住んでいた遺跡も発見されているようですが、狭義のインダス文明は紀元前2600年頃から紀元前1800年頃(始まり、終わり共に諸説有り)を言うようです。
ここからは、メソポタミア文明、エジプト文明のように王朝の盛衰について書きたいところですが、実のところよく分かっていないようなのです。
その原因としては、その言語であるインダス文字(文字では無いという説も有るようです)がこれまでのところ解読されていないことが大きいという事のようです。
その為、その歴史の詳細についてはほとんど分かっていないのです。
例えば、有名なハラッパとモヘンジョダロにしても、2つの別の国だったのか、大きな国の2大都市だったのかも分かっていないといった具合です。
確かなのは、ハラッパやモヘンジョダロを代表とする都市文明が発達していたが、紀元前1800年頃以降に急速に衰退してしまったという事のようです。
太陽活動との関係
実質的に始まりと終わりしか分からないのですが、太陽活動との関係を見てみます。
いつものように例の図です。
先ず始まりですが、紀元前2600年頃といことですので、シュメール極大期への回復期の中で最初の都市文明が形成されたと考えられそうです。
その後の、ピラミッド極大期、ストーンヘンジ極大期と、その間の2回の極小期については、その間のインダス文明の歴史が分からないので、その影響も不明という事になります。
紀元前1800年頃から急速に衰退したのは、太陽活動の面から見ると、ストーンヘンジ極大期からエジプト極小期に向かっての、活動の低下による気候変動によるものと言えそうです。
それ以前の二つの極小期は乗り越える事が出来たが、エジプト極小期に向かっての変化は大きすぎたという事でしょうか。
滅亡の理由
ところで、他の文明のように単なる混乱期になるのではなく、滅亡してしまったのが気になるところです。
これには、インダス川流域の潜在的な生産能力が関係していそうです。
というのも、インダス文明の代表的な遺跡であるハラッパ、モヘンジョロダロという規模は、どうもそれほど大きくは無いようなのです。
隣のメソポタミア文明の各都市と比べると、その中規模程度の都市に相当する大きさの様です。
つまり、この地域の潜在的な生産能力は、他の文明が発生した地域に比べて低かったのでは無いかと考えられるのです。
その為、エジプト極小期への大きな変化によって、不安定化するだけではなく、社会そのものが崩壊してしまったという事なのでは無いでしょうか。
太陽活動の変化から見たインダス文明の滅亡理由という話でした。
ではでは