マヤ文明と太陽活動について考えた話です。
南北アメリカ大陸の文明
マヤ文明という事ですが、実のところ南北アメリカ大陸の文明に関しては、よく知らないというのが偽らざるところです。
南北アメリカ大陸の文明と聞いて思い浮かぶのは、マチュピチュ、巨大なピラミッド、インカ帝国といった程度でした。
調べてみると、マチュピチュはインカ帝国ですが、ピラミッドで有名なテオティワカンは、そのままテオティワカン文明だったりします。
という事で、先ずは各文明の時間・地理的な関係を見て見ます。
引用元:[2. アジア・アメリカの古代文明] 13.南北アメリカ文明 | 世界の歴史まっぷ
私的に意外だったのは、インカ帝国が南米に位置する以外は、残り全てが中米周辺に集まっている事です。
南北アメリカ大陸の文明のゆりかごは中米地域だったという事でしょうか。
その中で一際目立つのが、日本の縄文時代にあたる時期から長く続いたマヤ文明です。
という訳で、今回はマヤ文明と太陽活動について考えます。
マヤ文明の歴史
マヤ文明に関しては、数々の遺跡の発掘と、マヤ文字の解読(完全ではないようですが)により比較的解明が進んでいるようです。
紀元前2000年頃から土器が使われるようになったようです。
紀元前4世紀までに徐々に都市が形成されていきました。
その後、都市の大規模化が進んだようです。
AD100年から250年は大変動期で、大都市が放棄されたり、多くの都市が衰退したりしました。
250年から550年にかけては、それ以前の大変動期を生き残った都市が覇権を争います。
550年から830年には、さらに多くの都市国家が発展し攻防を繰り返します。
その後、中部地域の都市が衰退していったようです。
950年以降には、北部のチチェン・イッツァを中心として栄えます。
その統治は、1524年にスペインの支配下にはいるまで続きました。
太陽活動で見ると
以上を、太陽活動に照らし合わせてみます。
先ず、紀元前4世紀以降の都市の大規模化は、ギリシャ極小期からローマ極大期への回復の中で起ったと考えられそうです。
そのローマ極大期からの活動の低下の中で、100年から250年の大変動期には言った事になります。
その後のショルダー部分から中世極小期への変化の中で、大変動期潜り抜けた都市が覇権を競います。
続く中世極小期からの回復の中で、多くの都市が発展します。
その後の中部地域の都市の衰退については、回復中のショルダー部が関係しているとも考えられますが、詳細は分かりません。
この辺りは、研究でも様々な原因が提唱されているようです。
もう少し調べてみる必要がありそうです。
ショルダーから中世極大期への回復の中で、北部のチチェン・イッツァを中心として栄える事になります。
その後1524年にスペインの支配下にはいる訳ですが。
単に軍事力の差が有っただけではなく、中世極大期からシュペラー極小期への活動の低下の中での衰退の影響が有ったと思われます。
その状況下で、スペイン人がやって来たというのが不幸だったという事でしょうか。
私的には、南北アメリカ大陸の文明の全体像が確認出来た回でした。
ではでは