ストーンヘンジと太陽活動について考えた話です。
気になる名称
前回まで、四大文明と太陽活動の関係について考えて来ました。
その全てで次に図を参照しました。
そこに示されている極大期、極小期との関係を考えて来たわけです。
その名称は、シュペラー、マウンダー等の人名から来ているものは別にして、概ね歴史的な有名どころが基になって居ると言っていいでしょう。
その中で、私的にストーンヘンジ極大期というのが浮いている居るような気がしていました。
何しろ、世界的に有名だとはいえ、イギリスの地方に有る一つの遺跡に過ぎないといったら言い過ぎでしょうか。
それを中心にして文明が発達したという事は、これまでの研究でもなさそうですし。
ひょっとしたら、名称を決めるのにイギリス人の研究者が関係していたのかとも思って調べたのですが、これといった情報は出て来ませんでした。
ともあれ、今回はストーンヘンジの関係と太陽活動の関係を考えて見ます。
ストーンヘンジ
ストーンヘンジは、よく知られているように、イギリスに有る環状列石の遺跡です。
ロンドンの西200キロほどの所に有ります。
それぞれの立ち石が、高さ約4m、幅約2m、重さ約25~30トンという巨石の遺跡となっています。
現在までの研究を基に復元図も作られています。
これを見ると、住居等ではなく、何らかの宗教的なものに見えます。
これまでの研究によると、何もない所にいきなり完成形が建設されたわけでは無く、約2000年程に渡って何度も様々な形で作られたようです。
先ず紀元前3000年頃に、木造で何らかの構造物が作られたようです。
更に、火葬遺体が発掘された状況から、一部墓地としても使われていたと考えられるようです。
紀元前2600年頃になると、木に代わって石が使われ始めたようです。
そして、紀元前2000年頃までに、巨石を使った建造物が作られ、現在見られるような形になったと考えられています。
炭素年代測定法により紀元前2440年から2100年の間とする研究も有るようです。
その後、石の並べ方などの変更等を伴いながら使われていたようですが、紀元前1600年頃に放棄されてしまった様です。
太陽活動との関係
以上を太陽活動との関係で考えてみます。
先ず紀元前3000年頃に木造の構造物が造られたのですが、これはシュメール極大期へ向かう回復期の中で、宗教的なものが形成されていったのではないかと考えます。
何らかの儀式のようなものが行われ、回復期の中でたまたま良い結果が得られたと言った事が有ったのではないでしょうか。
紀元前2600年頃に石造りが始まったという事ですが、これはシュメール極大期までの間は、気候が回復していったわけですから、そのまま木造で問題なかった事を表していると考えます。
その後のシュメール極大期からの低下の局面で、当然それまでの宗教形式のままでは、天候不順に対応出来なくなったと考えられます。
それに対応するためなのか、新たなものが生まれたのかは分かりませんが、石を使い始めたのだと思います。
その石造りが、次のピラミッド極大期を迎える中で、現在見られる巨石を使ったもの(ある意味完成形に)まで発展したのだと考えます。
その後の極小期、ストーンヘンジ極大期、エジプト極小期へ向かう途中のショルダー部即ち紀元前1600年頃までは、石の並べ方のような修正を伴いながら存続したのだと思います。
しかしながら、その後のもう一段のエジプト極小期への低下の中で宗教としての信用が失墜し、その結果放棄されたのでは無いでしょうか。
という訳で、ストーンヘンジ極大期というのはどうなのかなと思うのですが。
ではでは