ツタンカーメンの父と太陽活動について考えた話です。
ツタンカーメン関連の番組
ここしばらくの間に、立て続けにツタンカーメン関連の番組を見ました。
余りにも有名な人物だけに、ハワード・カーターによる王墓の発見物語、墓あばきによる「王家の呪い」の謎、死亡原因の謎解き、ect.と、話題には事欠きません。
そんな中で、今回はツタンカーメンの父親の話を2つ立て続けに見る事になりました。
こういう、重なる時にはびっくりするほど重なるというのはままあって、そのたびに面白いと思うんですが、何かがある訳でなく、まあ偶然なんでしょうけど。
ツタンカーメンの父
それはともかく、本記事の主役ツタンカーメンの父親ですが、アメンホテプ4世という名のファラオです。
エジプト史好きにとっては、その子のツタンカーメンに負けず劣らず知られている人物といってもいいでしょう。
彼は、基本的に多神教で有るエジプトの歴史の中で、一神教への改宗を強行した異端のファラオとして有名です。
アテン神と呼ばれる太陽神を唯一絶対の神とするというものだったようです。
その為、自らの名前を「アテン神に有益なる者」という意味の「アク・エン・アテン」と改名してしまう程でした。
改革の理由としては、それまでの首都テーベの町の守護神であるアメン神を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことを嫌い、宗教的権力を王権と一本化することを狙ったと考えられているようです。
その為、アメン神を祭るテーベの神殿を破壊し、その神官の職を廃止、アマルナに遷都するなどの強硬策を取ります。
太陽活動との関係
といった内容の番組を見ていて、チョット説明としては苦しいんじゃないかと思ったのです。
「アメン神を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことを嫌い」という理由で行ったのが、「アメン神を祭るテーベの神殿を破壊し、その神官の職を廃止、アマルナに遷都」というのは、話として矛盾してますよね。
そこまで出来るのならば、それ以前に神官勢力が王を押さえる程強い勢力になる前になんとでも出来そうなものではないですか。
と考えたところで、これも太陽活動との関係で説明出来ないかと思ったのです。
先ずは太陽活動との時期的な関係を見てみましょう。
アメンホテプ4世の在位は、紀元前1353年頃 - 紀元前1336年頃と考えられています。
図で見ると、1500年頃からエジプト極小期への急激な変化の期間に含まれそうです。
やはり関係が有りそうです。
仏教伝来との類似
宗教と太陽活動については、仏教伝来との関係について記事を書きました。
太陽活動の低下による気候変動に、従来の宗教が対応出来なかったことが、仏教を受け入れる背景となったのではないかと考えました。
同じ事がアメンホテプ4世の宗教改革にも言えるのではないかと思うのです。
エジプト極小期への急激な変化による気候変動に、アメン神への信仰では対応出来なかったと考えられます。
それより前に、アメン神の神官勢力が王を押さえる力を持っていたのでしょうが、この事によりその影響力は低下していたと考えられます。
だからこそ、強硬な改革をすることが出来たのではないでしょうか。
ただ惜しむらくは、少しばかり亡くなるのが早すぎたという事でしょうか。
亡くなったのは30代半ばと考えられているようです。
その後を継ぐことになったツタンカーメンは、わずか9歳でした。
もう少し生きて改革を進めていれば、極小期を超えることが出来、その後の回復期を背景にエジプトの宗教史とツタンカーメンの人生は変わっていたかもしれません。
にしても、いきなり宗教改革を断行したのですから、傑物で有ったのは間違いないでしょう。
ではでは