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古代ローマと太陽活動

古代ローマと太陽活動について考えた話です。

 

 

ギリシャの次はローマ

前回の記事では、古代ギリシャと太陽活動の関係を考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その中でも書いたように、その頂点ともいえるアレクサンダー大王の後を継ぐかのように地中海世界を中心に席巻したのは古代ローマでした。

古代ローマというとどうしても、カリギュラや、カラカラとか、悪名高いネロとかの皇帝の治める「ローマ帝国」という事になりがちです。

そんな古代ローマですが、最初から帝国だった訳ではありません。

例えば、あの有名なシーザーも、帝国時代の皇帝ではなく、共和制時代の政務官だったりします。

そのあたりも含めて古代ローマの歴史を簡単に見てみます。

古代ローマ

 さて古代ローマですが、最初は都市国家から始まり、領土を拡張しながら大帝国にまでなった訳ですが、その体制は王政、共和制、帝政と移り変わりました。

初期の王政は、紀元前753年から紀元前509年まで、伝説の七人の王によって治められたとされている。
オオカミに育てられた双子、ロムルスとレムスの兄ロムルスが最初の王とさています。

その王政が打倒された紀元前509年から、帝政に移行する紀元前27年までが共和制の古代ローマになります。

この時期に古代ローマは、カルタゴアレキサンダー大王後のマケドニアなどを打ち破り、巨大国家へと成長します。

共和制は、元老院政務官・民会で構成されていたと考えられているようです。
民会は基本的には市民全体で構成されており、その民会が政務官を選出します。
政務官の経験者で構成されるのが元老院です。
こういった関係の下、これら三者の力関係で運営されていたという事になります。

シーザーは上にも書いたとおりに、この共和制下末期の政務官でした。

紀元前27年にオクタウィアヌス元老院から全権を与えられ最初の皇帝となりました。
その後(西ローマ帝国の)帝政は紀元476年まで続くことになります。

太陽活動で見ると

 以上を、いつものように太陽活動の図に照らし合わせてみます。

引用元:太陽予想? | でんきやかん - 楽天ブログ

先ず建国からの王政は、ホーマー極小期からの回復期だったと考えられそうです。

次のギリシャ極小期への活動の低下の中で、共和制への移行が有ったことになります。
活動低下に伴う変動により王政に対する不満が増大した結果という事でしょうか。

その共和制の下、ローマ極大期に向かって巨大国家への道を歩むことになります。

そのローマ極大期からの低下に合わせるように、帝政に移行したように見えます。
低下による変化に対応するために、皇帝に権力を集中することになったと考える事も出来そうです。
勿論、当事者たちはそんなことは考えていなかったでしょうが。

その帝政も、中世極小期までは持たなかったという事になります。


 今回の話から考えると、ローマ極大期という名称はそのものズバリと言えそうです。

ではでは