寝殿造りと太陽活動について考えた話です。
寝殿造り
TVでチャンネルを変えたら寝殿造りの話をやっていて、何とはなしに見ていたら、これも太陽活動と関係が有るのではないかと思いついたので、今回は寝殿造りの話です。
その寝殿造りですが、基本的には平安時代から中世にかけての、貴族などの邸宅に見られた建築様式という事になります。
因みに寝殿造りの寝殿は、中心となる建物の名称から来ているようです。
引用元:寝殿造とは - コトバンク
従来は、上図のような建物の配置が典型的な寝殿造りで有ると考えられていたようですが、現在では統一的に考える事は出来ず、様々な平面構造が有ったと考えられているようです。
壁が無かった
特筆すべき特徴としては、内部が柱のみで壁が無かったという事です。
これを、御簾、几帳、屏風や衝立などで区切って生活していたようです。
まさに、源氏絵巻に見られる情景そのものです。
源氏絵巻の情景は、てっきり表現上のものだと思っていたのですが、そうではなかった訳です。
さすがに、夜は外周を扉や蔀などの建具で覆ったようですが、ほとんど板張りと変わらなかったと思われます。
まあ一言で言えば、非常に風通しの良い造りだったという事でしょうか。
逆に、冬は寒そうですけど。
その後、現在の襖や障子に近いものが多く用いられるようになり、間仕切りが固定化したり、建物そのものの構造も変化していきます。
こういった変化をしながら中世まで続き、最終的に書院造りに繋がっていくことになります。
太陽活動との関係
これをいつもの図で、太陽活動の面から考えます。
平安時代は794年 - 1192年ですから、図で見ると中世極小期から中世極大期への回復期にちょうど当てはまる事になります。
この活動の回復による温和な気候が、寝殿造りに見られる風通しが良いというより、冬は大変そうな構造を造り出したのではないでしょうか。
現在考える程には冬にもそれほど寒く無かったのでしょう。
それが、鎌倉時代以降はシュペラー極小期に向かって活動が低下し、気候が悪くなっていくことになります。
それに対応するために、様々な建具や建築方法が生み出されていったというのは言い過ぎでしょうか。
勿論、それだけで全てが説明出来るわけでは無いと思いますが。
ただ、建築の様式は、その建てられる地域の気候が大きく影響するのは確かなので、それほど見当違いでは無いと思うのですが。
寝殿造りは、究極の「夏をもって旨とすべし」だったのかもしれません。
ではでは