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エジプト文明と太陽活動1

エジプト文明と太陽活動について考えた話1です。

 

 

メソポタミアの次はエジプト

 前回のメソポタミア文明に続いて、エジプト文明と太陽活動について考えてみます。

 

yokositu.hatenablog.com

 

先ずは例の図から。
 

引用元:太陽予想? | でんきやかん - 楽天ブログ

因みに、エジプトについては、ツタンカーメンと太陽活動についての記事を書いています。

 

yokositu.hatenablog.com

 

ストーンヘンジ極大期からエジプト極小期への活動低下に伴う気候変動が、関係しているのではないかという話でした。


エジプト文明

 エジプト文明は、よく知られているようにナイル川流域に花開きました。

その歴史は、一般的に「古王国」、「中王国」、「新王国」の各時代と、その間の「中間期」に分類されます。

 

引用元:山川&二宮ICTライブラリ

以下、それぞれの時代と太陽活動の関係を考えて見たいと思います。

古王国時代と第1中間期

 先ずは古王国時代ですが、実は古王国と呼ばれているのは、考古学的に判明している3つ目の王朝からになります。

当然その前に2つの王朝が有ったという事になります。

最初の王朝(第1王朝)は、紀元前3150年頃にエジプトを統一して建てられたと考えられているようです。

その次の第2王朝も含めて、情報が少なく不明な点が多い事も有り、古王国には含めず「初期王朝」と呼んでいるようです。

続いて、紀元前2686年頃に成立した第3王朝から、紀元前2181年に終わりを迎えた第6王朝までを古王国と呼んでいます。

第3王朝(前2686年-前2613年)
第4王朝(前2613年-前2498年)
第5王朝(前2498年-前2345年)
第6王朝(前2345年-前2181年)

古王国時代の特徴は、何と言ってもピラミッドでしょう。

第3王朝に作られた「階段ピラミッド」から始まり、第4王朝においてあの有名な「三大ピラミッド」で頂点を極める事になります。

ただその後もピラミッドは作られますが、日干し煉瓦を使うなど往年の勢いは無くなっていったようです。

第6王朝が紀元前2181年に終焉を迎えると、その後は第7から第10までの短命な王朝が続く混迷の時代が続きました。

この時代を「第1中間期」と呼んでいます。
年代としては、紀元前2180年頃 - 紀元前2040年の期間になります。

太陽活動で考えると

 以上を太陽活動の点から見てみます。

先ず、紀元前3000年頃の太陽活動の低い時期に社会的な混乱が発生し、それを勝ち抜く事で初期王朝が形成されたと考えられそうです。

その後のシュメール極大期へ向かう回復過程の社会的な安定の下で、第3、4王朝の巨大な石造りピラミッドの時代が到来したのです。

三大ピラミッドを作った第4王朝ですが、その存在期間紀元前2613年~紀元前2498年は、太陽活動から見るとシュメール極大期から次の極小期への活動の低下時期を含んでいる事が分かります。

つまり、第4王朝の末期に向かって気候変動が発生し、国力が低下していった可能性が高いと考えられそうです。

「三大ピラミッド」の内で、メンカウラーにより作られた3つ目のピラミッドが、他の2つのピラミッドよりも小ぶりなのは、この辺りが影響しているのかもしれません。

第4王朝から第5王朝にかけての極小期への低下の過程で国力が落ちる事により、もはや石造りの巨大なピラミッドを作ることが出来なくなっていったのでしょう。

こう考えると、ピラミッド極大期というのは、完全に間違っているとは言えないまでも、ビミョーな名称かもしれません。

次に、第一中間期の期間を太陽活動の面から見ると、ピラミッド極大期からの太陽活動の低下局面に当たることが分かります。
その影響により社会的な混乱が発生したためと考えられそうです。


 思いがけず長くなってしまいました。残りは、次回に続きます。


ではでは