横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

ベーシックインカムで基本的な生活を

ベーシックインカムと基本的な生活について館得た話です

 

 

ベーシックインカムはだめか

 ベーシックインカムについて考えてみたいと思います。

基本的な生活の保証について考え始めた記事で、ベーシックインカムについては、それでもって基本的な生活を保証するのは難しいのではと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

加えて、結局お金を分離出来ていないのも、問題としました。

それに、ベーシックインカムの話になると、常に問題となるのが、労働意欲を削ぐのでは無いかという点です。
確かに、ただ飯が食べられるのであれば、働かないでもいいかと考える人も出て来そうです。

基本的な生活を行うのに必要な活動と、ベーシックインカムを結び付けるのはどうでしょうか。

全員で支える

 現在は、農業を筆頭に、世の活動のすべては、それに携わる一部の人間でのみ行われ、その成果を全ての人間に行き渡らせるという形になっています。

それを行うのに使われているのが、貨幣ということになります。

その貨幣を稼がなければならないのが、現在の生きにくさの原因だと考えたわけです。

ところで、この話は、元々農耕文明で、関係する全員が生活出来るはずなのに、現状が生き難にくいのはどうしてかという疑問から始まっています。

以前考えたように、狩猟採集による生活から、農耕による生活に移行したのは、狩猟採集により生活が出来なくなったからだと考えられます。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その時には、共同体の構成員全員により、生きていくための活動が行われたはずです。

その後、支配者層や専門職層などが、農耕の生産力の高さを背景に、農耕をしない層として成り立っていったものと考えられます。

その、農耕生産に関係しなくなった層も含めて、生活が出来るようにするために使われるようになったのが、貨幣と考えられます。

であるならば、農耕文明が始まった時に立ち戻ってみるれば良いのでは。

構成員全員で、基本的な生活を保証することにするのです。

代価としてのベーシックインカム

 その代価として、ベーシックインカムを受け取る事にするのはどうでしょうか。

こうすれば、働いたことに拠る対価がベーシックインカムとなるので、労働意欲云々の話は関係なくなります。

農耕が始まったころとは違って、機械化の進んだ現代では、全ての人間が基本的な生活をするのに必要なものを作り出すのに、すべての人間のすべての労働力を必要とはしないと考えられます。

全員で、ローテーションすることに拠り、必要な労働を行えばよさそうです。

残った時間は、各自自由に使えばいい事になります。

こうすることに拠り、基本的な生活の部分と、経済活動の部分を切り分けつつ両立出来そうなのですが。

 
 チョット考えても、労働の割り当てが公平に出来るかとか、どこまでを対象の労働とするかとか、そもそも財源はどうなるのかとか、色々と考えるべき部分は有りますが、全員で全員の基本的な生活を支える事に立ち返るというのは、考えてみる価値がありそうです。


ではでは

吉備と邪馬台国

前回に続き、「邪馬台国サミット2021」を見て考えた話です。

 

 

畿内と間に吉備が有った

 前回は、NHKBSで元旦に放送された「邪馬台国サミット2021」の内容を基に、三国志の作者陳寿によって「魏志倭人伝」の内容が情報操作されているのではないかという件について書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

もう一度、放送内容を見てみましょう。

1.纏向遺跡
2.北部九州連合説
3.魏志倭人伝には情報操作が有る説
4.卑弥呼邪馬台国の女王では無い
5.伊都国遷都説
6.伊都、吉備連合国説
6.銅鏡百枚はどの鏡か
  (厳密には、場所を特定する話では無いですが、比較的長く取り扱っていたので)
7.吉備、出雲連合国説

この中の、3.「魏志倭人伝には情報操作が有る説」に関して前回は書いた訳です。

今回は、6.7.に出て来る吉備について考えてみたいと思います・

吉備という一大勢力

 上記6.7.共に、当時の日本における有力な勢力が連合して、畿内に立てたのが邪馬台国だと言う説になります。

その是非はともかく、ここで特徴的なのが、いずれも吉備が出て来るという点です。

吉備は、ご存知のように、今で言う岡山県を中心としてその周辺をも含んだ、古代における一大勢力と考えられています。

考古学的にも、番組でも取り上げられたように、前方後円墳の基となったとも考えられている、盾築墳丘墓を始めとする多くの遺跡、遺物から、裏付けられているようです。

そこで、それ程の勢力が、邪馬台国と関係が無いとは考え難く、6.7.のような説が考えられるという事になります。

東進説から見ると

 吉備が、岡山県を中心とするという事は、邪馬台国の東進説からすると、九州から畿内に至る行程の途中に一大勢力圏が有った事になります。

どう考えれば良いでしょうか。

やはり、戦って、打ち負かして通ったという事でしょうか。

しかし、考古学的にはそのような痕跡は無いようですし、後の大和政権になってからの歴史を見ても、吉備から多く天皇の后が出ているようなので、どうも戦ったという事では無いようです。

そうすると、邪馬台国が瀬戸内海を通って行くのを黙って見ていたのでしょうか。

それもまた考え難いものがあります。

神武東征

 以前の記事で、応神天皇邪馬台国東進の指導者であり、その事跡を神武東征という形にすることに拠り、中国に匹敵する歴史があるように見せる形で「日本書紀」を作ったのではないかという話を書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その神武東征の事跡を見てみると、途中で吉備に3年間滞在して、船と兵量を準備したという記述が有るのです。

戦ったのでも、無視したのでもなく、それどころか東進を援助していたという事になります。

上記リストの6.7.とは違って、実は吉備と邪馬台国は同盟関係に有ったという事なのでしょうか。

同盟だったのか

 ところで、私は、「日本書紀」の大国主命の国造り、国譲りの神話から、纏向遺跡は出雲の勢力の畿内における拠点であり、東進してきた邪馬台国により征服されたと考えています。

 

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その邪馬台国の軍備を整える手助けをしたという事は、吉備と出雲の間には、同盟関係よりは敵対関係が有ったと考えるのが普通でしょう。

ではそれが、邪馬台国との同盟だったかと言うと、難しいところです。

私的には、当面の敵である畿内の出雲勢力に、東進すると言っている邪馬台国が戦いを挑むのであれば、やらせておけば良いということだったのでは無いかと思うのですが。

もし失敗に終わっても、吉備には直接的な痛手は無い訳ですし、畿内の出雲勢力の力もある程度削がれるかもしれない訳ですから。

いわば、漁夫の利を狙った訳です。

上手くいったらいったで、そのまま同盟関係に持ち込み、出雲を叩けば良いわけですから。

そして、邪馬台国畿内を征服し、出雲を叩くことも出来(国譲り)、吉備からは天皇の后を排出する関係となったという訳です。


 吉備としては、後に大和政権があれほどに強大になったのは、予想外だったのかもしれません。


ではでは

やはり魏志倭人伝は改竄されたのか

邪馬台国サミット2021」を見て、考えた話です。

 

 

邪馬台国サミット2021」

 正月1日に、「邪馬台国サミット2021」という番組が、NHKBSで放送されました。

近畿説、九州説、その他様々な立場の人を集めて議論をするという体裁の番組でした。

様々な説が有って、なかなか楽しめました。

番組で出て来たのは、以下のような説でした。

1.纏向遺跡
2.北部九州連合説
3.魏志倭人伝には情報操作が有る説
4.卑弥呼邪馬台国の女王では無い
5.伊都国遷都説
6.伊都、吉備連合国説
6.銅鏡百枚はどの鏡か
  (厳密には、場所を特定する話では無いですが、比較的長く取り扱っていたので)
7.吉備、出雲連合国説

3,4は文献の内容からの説で、それ以外は考古学的な見地からという事になるでしょうか。

全ての説について、深入りすることはしませんが、総じて考古学的な見地からの説は、いずれも今一つ決め手に欠けるのかなと印象でした。

これはもう、どこかの古墳から金印でも出てこない限り、決着の着けようがないので、しょうがないところなんですが。

魏志倭人伝には情報操作が

 私的に気になったのは、3.の魏志倭人伝には情報操作が有る説です。

出だしを見たところでは、私が採っている、「三国志」作者の陳寿が、使者の報告書の内容を改竄して魏志倭人伝を書いたという説と、どんぴしゃりだと思ったのです。

陳寿が、大陸の東方から大国が朝貢に来たように見せかけるために、旅程を改竄したという点は、確かにどんぴしゃりだったのです。

ですが問題は、陳寿が、そんな改ざんをした理由として挙げられたのが、魏にとって有利になる様にそうしたという説明に有ります。

魏にとって有利になるように、敵対していた呉の背後に大国がある様に見せかけるためにそうしたと言うのです。

陳寿はなんのために改竄したのか

 これは明らかに間違っていると思います。

陳寿が「三国志」を書いた時にはすでに魏・蜀・呉の三国は無く、陳寿自体も三国を統一した魏の後を継いだ西晋という国の臣下だった訳で、魏のために改竄するする必要性が無いのです。

以前に記事で書いたように、陳寿は、西晋を開いた司馬氏のために、改竄を行ったと考えられるのです。

そもそも、陳寿が「三国志」を書いた理由が、司馬氏のためな訳ですから。

 

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ただ、三国志を研究している専門家も、魏志倭人伝に情報操作が有ると考えているというのは、心強い話でした。

 


 まだまだ、「邪馬台国は九州宇佐に有り、その後東進して大和政権となった」という説の看板は降ろさなくても良いようです。
まあ、私の思考にバイアスが多々ある事は認めますがね。

 


ではでは

基本的な生活が保証されれば

基本的な生活が保障されることについて考えた話です。

 

基本的な生活

 

 前回の記事で、結局他力本願に頼ってしまった形の、「基本的な生活を保証を目標に」ですが、折に触れ、色々と考えてはいるんです。

 

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例えば、何をもって「基本的な生活」と考えるかという問題があります。

基本的な生活とは、衣食住という事になるかと思いますが、これが現代においてはなかなかに難しいのです。

弥生時代とまでは言わなくても、江戸時代位のまでの機械化されていない生活なら、衣食住を充足する範囲と言うのは想像できるものが有ります。

まあ、その頃の生活は、みんなでやればなんとかなりそうなところは有る訳です。

現代で考えるのは難しい

 しかし、これが現代となると、衣食住を充足すると言っても、どこまでを考えればいいのか難しいものが有ります。

当然電気は必要でしょうし、それで使う電化製品は何処までにするのかとか、その部品の製造はどうするのかとか。

家を建てるにしても、コンクリートはどうするのか、金属部品はどうするのか、太陽電池は?

といった具合に、どこまでを基本とするのか、線引きが難しいです。

こうやって考えると、結局のところ、かつてのソビエト連邦のような計画経済まで行き着いてしまいそうです。

しかしながら、計画経済については、ご存知のように、歴史的に上手くいかない事が証明された格好になっています。

という訳で、基本的な生活を保障するという事に関しては、なかなかこれはといったアイデアが降りて来ません。

もし生活が保障されたら

 という事なんですが、難しい事だけを強調するだけでは先へ進まないので、その解決方法についてははひとまず置いておいて、「基本的な生活を保証」することに拠る利点を考えてみたいと思います。

よく考えると、衣食住の心配が無いという事になれば、現在社会的に問題となっているかなりの事が、改善されそうなのです。

先ず直ぐに思いつくのが、仕事を生活のためにしなくても良いので、各々やりたい事を追求出来る社会になりそうだという事です。
例えば、スポーツをやりたい人は、思う存分打ち込むことが出来るようになるはずです。

引きこもりの問題も、大まかに言うと仕事もせずにということが問題となっている訳ですが、生活は出来ることになるので、そういった意味では問題ない事になりそうです。
勿論、精神衛生的な面での問題は残るとは思いますが。

ブラック企業や、セクハラ、パワハラなどの問題も起こりにくくなるはずです。
極論を言えば、嫌ならば、そんな状況と関係を持たなくても、生きていけるわけですから。
当然、安い労働力を前提とする経営というのものも、存続できなくなるでしょう。

基本的に貧困から来る生活苦ということも無くなるので、犯罪も減少することが期待されます。

更に政治の面でも、変化することが考えられます。
この、基本的な生活を保障するという事を、政治の最低限守るべきベースとするのです。
そうすることに拠り、政治がシンプルになると思うのです。
政策の可否を判断する場合に、この基本的な生活の保障をベースに、その良し悪しを判断すれば良い事になりそうです。

男女平等の問題に関しても、自動的にかなりの部分が解決するのではないでしょうか。
例えば、生活の心配はないわけですから、不平等な条件で働く必要は無くなりますよね。

少し考えてもこんな感じです、なかなかよさそうに思えるのですが、どうでしょうか。


 農耕文明なのに、なぜ食べていくのが難しいのか、という疑問から始まった話ですが、
今回は、新年らしく、多少夢の有る話にしてみました。


ではでは

基本的な生活の保証を目標に

基本的な生活の保証を目標とする事について考えてみた話です。

 

 
オッカムの剃刀

 「オッカムの剃刀」という考え方が有ります。

よく理系の文脈で見られる言葉ですが、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」というような意味で使われます。

普通の言い方にすると、「シンプルに出来る事を、難しく考えるな」、といったところでしょうか。

以前の記事で、相対性理論で説明できない観測事実を、ダークマターを仮定することに拠って説明するのではなく、相対性理論を修正するべきでは無いかと考えたのも、一例と言えるでしょうか。

 

 

 

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見えないし、触れないし、電気や磁気にも反応しないけれど、重力だけはあるなんていう都合の良い物質が有れば、相対論で説明がつくというのは、都合がよすぎますよね、という話でした。

このように、理系の文脈でよく使われるオッカムの剃刀ですが、元々はスコラ哲学に有った概念の様で、特に理系の問題に限定される概念ではありません。

これを社会にも適応してみたらどうかと思うのです。

経済発展モデルの限界

 前回の記事でも少し触れたように、経済発展モデルでやってきた戦後の方法論は、曲がり角にきているように思われます。

 

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世界的に見ても、SDGs(持続可能な開発目標)のような、経済発展一辺倒からの脱却を図ろうとする動きも出て来ています。

問題は、元々完全にはリンクしていない経済発展と生きていくことの間で、その乖離が大きくなりすぎてしまっている事にあると言っていいでしょう。

そのあたりが、今回の新型コロナのパンデミック下で顕在化したのが、生命か経済かという問題なのだと思います。

さらに、ここまで世の中が複雑になってしまうと、GOTO問題に見るように、経済発展を目指すと言っても、何をどうするのかすらはっきりとはしません。

そこで、もっとシンプルに考えてみてはどうかという訳です。

基本的な生活を保証する

 具体的には、以前の記事で考えたように、基本的な生活とお金を分離する事にするのです。

 

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別の言い方をすると、全ての国民の衣食住の保証を、ベースにするという事です。

そうすると、ベースに関することと、それ以外というように、シンプルに取り扱う事が出来ます。

経済を発展させるという漠然とした目標ではなく、衣食住をどう保証するかという現実的な問題を考える事が目標となります。

とりあえず、経済企画庁というそのものずばりの名前の省庁が有るので、そこでたたき台となる案を検討する事にします。(お得意の審議会を作って諮問すれば良いでしょう)

それを基に、議論を行う事にします。

目標を明確にすれば、知恵も出しやすくなり、アイデアも出て来そうなのですが、どうでしょう。


 戦後続いてきた社会システムが、新型コロナの影響を受けている今が、検討するタイミングとしては、有りかなとも思います。

それでは、良いお年を。


ではでは

Delphiの宣託は再び受け入れられるのか

ソフト開発環境Delphiの話です。

 

 

ボーランドとTurbo Pascal

 Delphi(デルファイ)というアプリケーションの開発環境をご存知でしょうか。

元々は、ボーランドという会社から出ていた、Windows用の開発環境でした。

ボーランドと言うと、まだWindowsなどというものは無く、CPUも8ビットの時代に、Turbo Pascalという、伝説的なアプリケーションの開発環境を売り出した会社です。

その当時から、プログラムのソースコードの作成に使うエディタとコンパイラが一体となった、画期的な開発環境でした。

その後、Windows用にも発売がされました。

Delphi

 そして、その後継として1995年に開発されたのが、Delphiということになります。
使用言語は、Object Pascalの拡張版です。

2001年発表のDelphi6になって、無償版が設定されたことに拠り、フリーソフトの作成によく使われていたようです。

私は、その頃には、ExcelとAcsess、たまにVisual Basicを使っていたので、Delphiに関しては、面白そうだけど、手が回らないという状況だった様に記憶しています。

その後のバージョンで、無償版が設定されなくなったことや、マイクロソフトからC++などの無償の開発環境が出されたことなどから、徐々に忘れられていきました。

私も、その存在をすっかり忘れていました。

再び無償版が

ところが最近になって、最新版Delphi 10.3 Rioに無償版が設定されていることを知りました。
と言っても、発表そのものは2018年で、私が知らなかっただけですが。

しかも、元々Windows用のアプリ開発用だったのですが、最新版では、それに加えて、MacOSiOSAndroidLinuxとメジャーどころのすべてのOSに対する開発が出来るようになっているではないですか。(開発そのものは、Windowsの動いているPC上で行う必要があります。)

しかも、それぞれのOS用に開発するのではなく、単一のプログラムソースで、すべてのOSに対する実行ファイルを作成出来るという事です。

無償ですが、機能的には全くの制限なしのフルセットのようです。

加えて、作成したソフトを配布、販売しても良いという、太っ腹ぶりです。
ただし、年間5000ドル以上の売り上げが有った時には、有償版への切り替えが必要なようです。

一度のインストールだけで

以前の記事で、新しい言語を始めるのに、その開発環境を整えるのがめんどくさくなって来たと書きました。

 

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で、今回もしばらく何もしなかったのですが、ネット上の情報を見ていると、一度のインストールで、全ての環境がセットされるようだったので、セットしてしまいました。

久しぶりに、新しい言語を使ってみたくなったのです。

Delphi 10.3 Rio Release 3 Community Edition(無償版の名称です)は以下から入手できます。(買収によって、現在はエンバカデロ・テクノロジーズの製品となっています。)

www.embarcadero.com

チョットいじってみた所では、Delphiそのものは、最初から、部品をマウスでDrag & Dropすることで、GUIアプリを作成する形の開発環境なので、Visual Basicとよく似ていることもあり、私的には馴染みが有って、なかなか面白いです。

しばらく遊べそうです。

Delphiの機能については、私が下手な説明をするよりも、以下のドキュメントを見てもらった方が手っ取り早いと思います。

Delphi で始めるビジュアルプログラミング

https://img.en25.com/Web/Embarcadero/%7b5ac375fc-dcd6-4113-93c5-b27bcdc8c405%7d_delphi-visual-programming-wp-rio.pdf

 


 それにしても、一つのソースコードで、全てのOS用の実行ファイルが作れるというのは、結構インパクトが有るのではないでしょうか。
再び、Delphiフリーソフトの開発に使われるようになるかもしれません。

 


ではでは

 

社会の均質化と時代

社会の均質化という捉え方で、時代の変化を考えてみた話です。

 

 

社会の均質化という捉え方

 前回の話で、前回と今回の2回の東京オリンピックの間の時代は、「物質、技術の面での量的な拡大と、全国的な社会の均質化」と見る事が出来るのではないかと考えました。

 

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この中で、「物質、技術の面での量的な拡大」に関しては、科学技術の発展という時代背景が大きいのかなとは思います。

対して、もう一方の「全国的な社会の均質化」については、思い付きで書いたのですが、その後色々と考えてみると、この「社会の均質化」というキーワードで時代の移り変わりを、説明出来そうな気がしてきました。

という訳で今回は、「社会の均質化」で時代の移り変わりをかんがえてみようの回です。

戦国時代まで

 室町時代までに、天皇を中心とする律令制に基づく権力体制は、荘園公領や武士の台頭により、制度的な疲労を示していたと考えていいでしょう。

何しろ、天皇のお膝元の京都で、応仁の乱のような大動乱が起きても、それをどうにもできなかったのですから。

律令制という制度で、全国的な社会を均質化し、その後にほころびを見せていく家庭だったとも言えるでしょう。

そんな中、太陽活動の低下を原因とする天候不順による農業不振により、経済システムが崩壊したことが、とどめを刺し、戦国時代の原因になったではないかと、以前の記事で考えました。

リンク:

 

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江戸時代

 その戦国時代を、最終的に勝ち抜いたのは、ご存知徳川家康です。

その家康が開いた江戸幕府は、その後264年に渡って、日本を支配することになります。

江戸時代は、幕藩体制という制度で、全国が均質化し、成熟の後に、制度的疲労を見せていく過程だったと考えられます。

第11代家斉の大御所時代に、幕府財政の破綻・幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行し、大塩平八郎の乱などが起こるようになりました。

それに対して、水野忠邦天保の改革により、体制の維持を図ることになります。

そんな中、ペリーが浦賀に現れ、その後の幕府の崩壊の引き金を引くことになります。

明治維新から終戦まで

 最終的に薩長土肥を中心として倒幕がなされ、明治政府が樹立されることになります。

明治政府が目指したのは、西洋に倣った、近代化と帝国主義だったと言えるでしょう。

その近代化と帝国主義による、全国の社会の均質化の過程が、明治、大正と戦前の昭和だったのだと思います。

戦前の軍国主義化は、制度的な疲労とほころびの結果と言えるのではないでしょうか。

明治以降の帝国主義は、最終的に敗戦という形で終わることになりました。

戦後

戦後の日本が目指したものをどう考えるかについては、色々と考えられるところですが、さしずめ経済立国というところでしょうか。

経済発展による豊かな生活という均質化が、全国的に起こったのが、戦後の日本だったのです。
このあたりは、前回の記事で考えた所でもあります。

それが制度的に疲労し、ほころびを見せたのが、バブルだったのだと思います。

その後、世界的にもリーマンショックのように、経済発展モデルにほころびが見えてきたとも言えそうです。

そんな中で、新型コロナのパンデミックが発生してしまいました。

バブルやリーマンショックに比べても、社会システムに対する影響ははるかに大きくなりそうです。

これが戦後から続く時代の終わりの始まりかもしれない、というのはどんなものでしょうか。


 まあ、ワクチンが効果的で、日常が戻ってくる事も考えられますが、そういった形で予想が外れるのならば、それはそれで大歓迎ですけどね。


ではでは

二つのオリンピックの間の時代

前回の五輪と今回の五輪の間の時代について考えた話です。

 

 

半世紀以上も経ってしまった

 今年のメインイベントの筈だった東京五輪は、まさかのコロナの影響で、来年に延期されてしまいました。

私の個人的な考えは、以前に一度記事に書いたように、現状のあまりにも利権がらみになってしまった五輪大会は、一度リセットした方が良いんじゃないかというものです。

 

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まあ、さすがにここまで深入りしてしまうと、止めるに止めれないというところでしょうか。

やるからには、上手くいってほしいものです。

それにしても、前回の東京五輪から半世紀以上も経ってしまった訳です。

年を取る訳です。

半世紀以上たったが

 半世紀以上たったのですが、ある日朝起きたら半世紀たっていたわけではなく、日々の積み重ねが半世紀になったという事になります。

そのせいもあってか、振り返ってみると、それ程世の中が変わったとは思えないのです。

特に物的な面では、そう思えるのです。

モータリゼーションも、すでに始まっていました。
我が国最初の高速道路である「名神高速道路」は、東京オリンピックの前年に開通しています。

勿論新幹線も、オリンピック直前に「東海道新幹線」が開通しています。

テレビ放送も、全ての家庭に行き渡っていたわけでは無いですが、カラー放送自体は1960年から始まっています。

パソコンこそまだありませんでしたが、コンピューターそのものは第二次大戦中に開発されているので、無かった訳ではありません。
もっとも、ここまで個人に普及するとは思っても見ませんでしたが。

携帯電話が出て来たのは、違いと言えば違いで、便利になった事は確かなんですが、これも無線技術そのものはそれ以前からあったし、科学特捜隊は映像付きの通信装置を使っていたりして、想像出来ない程のものでは無かったという感じです。

前回のオリンピック開催時には、今使っているものの多くに、概ねその萌芽が有り、それが半世紀を掛けて、発展してきたという感じなのです。

大きさとか、性能とかいった、量ることが出来るという意味での量的な変化は有っても、根本的に変化したという感じは少ないのです。

その中で、数少ない革新的なものと言えるのが、インターネットでしょうか。
これに関しては、量的ではなく、質的に変化したという感じが強いです。

違う面で変化が

 と思っていたのですが、最近になって、違った面でも変化が有ったのだと思い至りました。

植木等主演の「大冒険」という1965年製作のコメディ映画を、先日見る機会が有りました。

オリンピックの翌年に作られたという事になります。

植木等扮する主人公が、偽札偽造団、警察と三つ巴の追いつ追われつを繰り広げるというものです。

舞台も、東京、名古屋、犬山、岐阜、神戸と駆け巡ります。

その移動手段も、車、バイク、新幹線、ヘリコプターと多彩です。

その中で、愛知県の犬山では、国宝の犬山城の天主閣で危機一髪という、今ではあまり考えられないシーンもあったりします。

その犬山から、移動する時に使うのが牛に曳かれた荷車なのです。

コメディとはいいながら、ここで出て来るという事は、当時はそれなりにリアリティがあったという事になります。

名古屋の近くの犬山あたりでも、普通に牛で引かれた荷車が使われていたということです。

今では、おそらく、観光客相手以外に、生活で牛を荷車曳きに使っているところは、日本には無いでしょう。

戦後も前回のオリンピックの頃には、まだそのような生活が地方には有ったからこそ、そのようなシーンが取られた訳です。

その後の半世紀以上の月日で、そういったものは捨て去られて、全国的に同じような生活をするようになったのです。

この半世紀チョットで起きたのは、物質、技術の面での量的な拡大と、全国的な社会の均質化だったという事です。

個人的には、生まれてからこの方、比較的街中に住んできたので、社会の均質化という面については、気が付く機会が少なかったという事なのかもしれません。

 
 今一つまとまりのない話になってしまいました。
もう少し考えてみたいと思います。
ところで、公家が乗っているような人の乗るものは、「牛車」と書いて、よく知られているように「ぎっしゃ」と読みますが、牛で荷車を曳く形のものは、「牛車」と書いて「うしぐるま」と読むんだそうです。
いやぁ難しい!


ではでは

ボディカメラの活用を

ボディカメラをもっと活用したらどうでしょうという話です。

 

 

教員の性犯罪増加

 児童や生徒へのわいせつ行為などで懲戒等の処分を受けた公立学校の教員の数は282人と過去最多(平成30年度)だったようです。

警察官の不祥事も、前年よりも減ってはいるようですが、2019年には243人が懲戒処分を受けているようです。

こういった公的な人々には、それなりの自覚を持ってもらわないといけないのですが、どうも性善説では限界があるようです。

何か、抑制する方法を考えなければいけないようです。

ボディカメラの活用を

 対策として、アメリカの警官が着けているのをTVなどでよく見かける、ボディカメラを着けることにしたらどうかと思うのです。

基本的に業務中は常に記録する事にすれば、ある程度の抑止効果は、あるのではないでしょうか。

プライベートな時間をどうするかは、公的な人だからといって、そこまで要求できるのかという問題は有りますが、そのあたりは、以前の記事に書いたように、一般の多くの人が着けるようになることで、自ずと解決するのかもしれません。

 

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ただそうなるまでは、プライバシーの問題とか、いつも監視されている様で、とんでもないというような話になるかもしれません。

そのあたりは、二重にロックを掛けることで有る程度回避可能では無いかと考えます。

データ管理をすれば

 映像と音声をボディカメラで記録する訳ですが、その時に暗号化をして記録した上で、保存する事にします。

その内容を確認するには、2つのパスワードがいるような設計にするのです。

その上で、一つを、ボディカメラを装着した本人、もう一つを本人以外が保管することにします。

これは、本人による改竄と、本人以外による勝手な閲覧を避けることを意図しています。

これにより、プライバシー流出や監視の危惧は避けられると思います。

本人以外のパスワードの保管は、立場を利用して、本人に圧力がかけられたりしないように、指揮命令系統ではないところで保管する事にした方がいいでしょう。

先生の場合、校長や教育委員会で保管しないという事です。

その上で、閲覧の必要が出来た時に、両者のパスワードを同時に使用して、内容を確認すれば良いわけです。

本人の為にもなるのでは

 以上は、確かに性悪説に基づいた措置ですが、本人の為にもなる部分もあると思います。

当然、勤務中の事象は、全て記録されるので、言った言わないといった事や、パワハラなどの言動も、後々確認が出来る様になるはずです。

基本的に、普通に仕事をしている限り、様々な問題を回避出来るようになるのではないかと考えられます。


 最近あちこちに在る様になった監視カメラより、勝手に見れない分、問題は少ないと思うのですが。


ではでは

左手で箸と英語の発音

英語の発音の学習法について考えてみた話です。

 

 

英語も修正出来ないか

 チョット前の記事で、左手で箸を使う練習をした時の経験を元にして、「手続き記憶」を修正する方法を考えてみました。

 

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ポイントは、箸の使い方における利き手以外の手を使うといったように、無意識の自動的な反応を止めて、意志的に正しい方法で行う事ができるようにする手段を見つけるという事でした。

下手な横好きで、英語学習が趣味な私としては、これを英語の習得に応用できないかと思ったのです。

英語における、左手に相当するものは何か、色々と考えたのですが、これがなかなか難しいのです。

この場合、無意識の自動的な反応というのは、母語である日本語になります。

という事は、日本語で考えるのを止めるという事になる訳です。

一体全体、どうやったらそんなことが出来るのか。

などと、考えあぐねていたんですが、一つ可能性のありそうなものを思いつきました。

発音は出来そう

 それは、発音なら何とかなりそうだという事です。

日本語を喋る時には、いちいちどう発音するかを考えることなく、無意識に日本語の発音をしているはずです。

で、英語の学習をするときにも、普通に話すと、無意識に日本語の発音をしてしまいがちになる訳です。

そのために、例えば、LとRの発音が、全てラ行の発音になってしまうような事が起きるわけです。

という事は、この無意識の日本語の発音を止める事により、英語の正しい発音を学ぶことが出来かもしれないと考えた訳です。

どうやって止めるのか

 ここまでは、思いついた訳ですが、問題はどうやって日本語の発音を止めるかです。

これも色々試行錯誤をした挙句、思いつきました(と思うのですが)。

それは、ゆっくりと発音するという事です。

上にも書いたように、普通の速さで発音すると、どうしても自動的に慣れ親しんだ日本語の発音をしてしまいがちな訳です。

ゆっくり発音しても、意識しなければ、日本語の発音をしてしまうことには変わりありませんが、違うのは、意識して異なる発音をするだけの時間的余裕が出来るという点です。

自動的な発音は止める事は出来ないですが、意識的に違う発音に置き換える時間を稼ぐことで、正しい発音をインストールできるのではないかと思うのです。

間違ってはなさそうだ

 私的には、なかなかいい思い付きだと思うのですが、理論的な裏付けも、勿論実績もありませんので、どうなんだろうという感じでした。

同じような事を考えている人はいないかと、ネットで調べてみると、『超低速メソッド英語発音トレーニング 』というそのものずばりの本が出ているようです。

少なくとも、全く間違いという事ではなさそうです。


 後は実践するだけです。
英語に関しては何時もそうですが、それが最大の問題なのです。


ではでは

火星シリーズ

火星シリーズについての話です

 

 

火星シリーズ読みました

 以前の記事で、4月の緊急事態宣言の時に(今回は、すでにその時の状況をはるかに越えてしまっていますが、何とか収束してほしいものです)、どうせ家にこもっているならばと始めた部屋の片付けで、私のSF読みの原点となった、E・R・バローズの「金星のプリンス」を見付けた話をしました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

そのなかでも書いたのですが、同時に同じバローズ作の「火星シリーズ」全16巻も見付けました。

何十年ぶりかで読んでみたわけですが、さすがにほぼ内容は忘れていたので、結構楽しめました。

やっぱり、「火星シリーズ」は「ターザンシリーズ」(そうなのです、あのターザンも、原作はバローズだったりします)と並んで、バローズの傑作だと思います。

あらすじとも言えないあらすじ

 読んだことのない人の方が多いと思いますので、一応、内容を説明しておきたいと思います。

アリゾナでインデアンに追いつめられ、絶体絶命となった、南軍の大尉ジョン・カーターが、突然火星にテレポーテーション(としか思えない状況で)されるところから始まります。

彼が転送された火星は、四本腕の獰猛な緑色人,地球人そっくりの赤色人などが,それぞれの国に分かれ、覇権を争っている世界でした。

赤色人の絶世の美女「火星のプリンセス」を巡って始まる、血沸き肉躍る冒険活劇。

快男子カーターの運命やいかに。

火星の現実は

 と書いて来ましたが、いかんせん舞台が火星というのがどうよ、と読みながら思ったりもしたのです。

いまや、火星には、複数の探査機が着陸し、探査ロボットも走り回っています。

勿論、探査ロボットのカメラをのぞき込む、緑色人なんかはいない訳です。

という事なので、どうしても、読みながらその事がちらちらと頭をよぎってしまう事になり、今一つ入り込めない気もしたのです。

勿論、何十年か前に初めて読んだ時にも、すでにマリナー9号が、1971年に火星表面の写真を撮った後なので、運河なんか無い事も分かっていたのですが、そこは少年の想像力のなせる業だったのか、ハラハラドキドキしながら読んだ覚えがあります。

この辺りが、年を取るという事なのか、想像力よりも理屈が先に来るようになってしまったようです。

こう考えれば

 そんなことを考えていたら、現在の火星の状況と、「火星シリーズ」の折り合いをつける方法を思いつきました。

上にも書いたように、ジョン・カーターはテレポートのような形で火星に行くのですが、その時の状況は、「一瞬、猛烈な寒さと暗黒が訪れた」と表現されているだけで、具体的な内容はほぼありません。

そこで、この火星への行程を、空間的だけではなく、時間的にも行ったと考えるのです。

カーターは、過去の火星へ行ったのです。

最近の探査によれば、過去の火星には水も空気も存在していたようなので、その頃に行ったと思えばいいわけです。

スターウォーズと同じ様な背景設定で行こうという訳です。

まあ、こんな屁理屈をこねなくても、十分面白いと思うので、良かったらどうぞ。


 そのうち、探査ロボットが、4本腕の化石を見つける、わけは無いか。


ではでは

人体はネットワークなのか

人体のネットワーク構造について考えてみた話です

 

 

神秘の巨大ネットワーク

 「シリーズ・人体・特別版・神秘の巨大ネットワーク」の再放送というのを、BSで見ました。

私たちは、自分で考え、意思決定して日々生きています。(本当は違うかもしれないですが、それはまた別の問題です。)

そして、その考え、意思決定は脳で行っていると考えられています。

そのため、意志を体現する体についても、脳がコントロールしていると考えられて来ました。

しかし、最近になって、全てを脳がという訳では無く、臓器間での情報のやり取りも、コントロールの一部を担っている事がわかって来たというのです。

その事を持って、「神秘の巨大ネットワーク」と呼ぶという事のようです。

今日の番組の中では、臓器として、脂肪、筋肉、腎臓、骨が取り上げられていました。

脂肪の場合

 例えば、脂肪に関する話では、脂肪は脂肪細胞に貯め込まれる訳ですが、その脂肪細胞は、脂肪を貯め込むだけでなく、レプチンという物質を出すことに拠り、食欲をコントロールして、脂肪が過剰になるのを防いでいることが分かったといった具合です。

あたかも、脂肪細胞が意志を持って、レプチンを出したり、出さなかったりしているという訳です。

そして、レプチンに、「食べ過ぎだよー」という情報が乗っていると取れる表現がされるのです。

その情報を、食欲をコントロールする部位が受け取って、食欲をコントロールするという訳です。

その結果、これまでは脳が、全てをコントロールしていると思われていたのが、各臓器も、ここでは脂肪細胞も、コントロールしていることが分かった、ということが語られます。

レプチンに情報は乗っていない

 しかし、これはチョット考えすぎじゃないかと思うのです。

そもそも、この場合では、脂肪細胞に意志があるかのように考えるのはどうかというのも有るのですが、それ以前に、脂肪の過剰を他の組織に知らせる意味が無いように思うのです。

脂肪細胞において、脂肪の過剰が問題になるのであれば、脂肪細胞そのものが、脂肪をそれ以上貯め込まないようにすればいいだけの話ですよね。

レプチンは、脂肪が過剰だという事を知らせるために作り出されたものでは無いという事です。

では何なのかと言うと、レプチンは、単に脂肪を取り込む過程で発生した、代謝産物なのではないかと思うのです。

沢山の脂肪を取り込むと、その代謝産物としてのレプチンも沢山出来て、血液中に放出される。

その量を、食欲をコントロールできる部位が検知して、結果として食欲がコントロールされているのだと考えられます。

決して、脂肪細胞がコントロールしているのではないのです。

代謝産物が血管中に放出されると考えれば、他の臓器からも様々な物質が出て来ることも、各臓器の働きが異なる事で説明出来そうです。

異なる働きからは、異なる代謝産物がという訳です。

人体システムのイメージ

 なので、体内のシステムをネットワークと捉えるとしても、メールのような、特定の相手との間で情報がやり取りされているようなものでは無いという事になります。

むしろ、イメージとしては、回転寿司の方が近いのではないかと思います。

血管というレーンの上を、レプチンなどの各臓器から放出された物質が回っており、各部位が、必要なものを取り込んで、食べる代わりに、対応する反応を起こすのです。

こう考えると、我々の体は、独立した多数の部位が(極論を言うと、脳も含め)、回転ずし方式のネットワークによって、結果的に協働しているシステムのように思えます。

そういう意味では、脳が全てをコントロールしているのではないというのは、間違っていないという事になるかもしれません。


 じゃあ、どうしてそのように出来上がったのかというと、これがまた更なる難問な訳ですが。


ではでは

少年漫画誌の巻頭特集

少年漫画誌の巻頭特集について思い出した話です

 

 

三島由紀夫没後50年

 最近色々なところで、三島由紀夫に関して見かけるようになったと思ったら、今年が没後50年という事のようです。

とはいっても、以前に少し書いたように、理系のSF読みな私としては、ほぼほぼ興味の範囲外なので、特にその作家という側面に関しては言うべきことはないのですが、三島由紀夫と聞いて、思い出したことが有りました。

それは、彼が主催していた「盾の会」についてです。

勿論年齢的に言って、その当時に、「盾の会」の内容や主義主張が分かっていたはずはないので、その「盾の会」の存在を知った経緯に関して思い出したという事なのですが。

巻頭特集がというものが有った

 少年サンデーとか少年マガジンといった少年漫画誌の一部には、その昔、巻頭特集(こういう名称だったかどうかは、調べても良く分からなかったので、便宜上こう呼びます。)という、数ページ程度の写真、挿絵も使った解説記事のようなものが有りました。

現在では、全く無いか、グラビアという感じですが。

そして、有る時の巻頭特集が、「盾の会」についてだったのです。

その内容は、特に決まったジャンルと言ったものは無く、怪獣、宇宙人、芸能、事件等なんでもござれといった感じだった印象があります。

結構、マンガに負けず劣らず、こちらも好きだった記憶があります。

沖縄返還

 例えば、「盾の会」と共に鮮明に思い出したのが、沖縄の返還に伴う話題です。

ご存知のように、沖縄は1972年に、その施政権がアメリカから日本に返還されました。

その返還前は、今からは想像できませんが、沖縄に行くにはパスポートが必要でしたし、車は右側通行で、通貨はドルでした。

記事は、そのドルに関してでした。

当然、返還後の通貨は円になる訳で、返還時に大量のドルと円を交換する必要がある訳です。

その交換用の円を、輸送途上で奪おうと、世界中の犯罪組織が虎視眈々と狙っているというものでした。

今考えると、オイオイというような内容(実際には500億円ほどを、海上自衛隊の艦船で運んだようです。)ですが。

盾の会

 そんな巻頭特集で、もう一つだけ覚えているのが、「盾の会」についてのものという訳です。

と言っても、詳しい内容まで覚えているわけでは無く、あの特徴的な制服を着た、何人かの人が、整列している写真と、三島由紀夫の写真が有った程度の記憶です。

記事自体の内容も、ビルの屋上で訓練を行っているといった内容だったことしか覚えていません。

ただ、子供ながらに、大人になっても戦争ごっこをやっている人がいるんだ、と思った事だけは思い出しました。

記憶の不思議

 とまあ、いずれも、それがどうしたとも言えるような記憶です。

それにしても、私が巻頭記事を読んでいた少年誌は週刊だったので、毎週何らかの巻頭記事に巡り合っていたことになります。

それにもかかわらず、上記の二つの記事以外には、ほぼ思い出すことが出来ません。

なぜこの二つだけが記憶に残っているのか、不思議です。

特に三島由紀夫に興味がある訳でもないですし、沖縄返還時の円の輸送に至っては、今回思い出すまで、考えたことも無かった(と思う)ので、記憶に残っている理由がよく分からないです。

子供の頃には、今はもう忘れた何らかの興味のようなものが、有ったという事なのでしょうか。


 自分でも分からないところも含めて自分だというのが興味深い、という話でした。


ではでは

令和のガメラ

令和のガメラについて考えてみた話です

 

 

新作ガメラ?!

 ネットに「中山忍が25年ぶりに復活上映した映画「ガメラ」の舞台挨拶」というニュースが流れてきました。

すわ、とうとうガメラも新作の製作発表かと思ったのですが、残念ながら25年前に公開された「ガメラ 大怪獣空中決戦」のドルビーシネマ版の復活上映という事でした。

よく見ると、ちゃんと復活上映と書いてあったりします。

だからこその、中山忍さんということなのでした。
何しろ、福岡ドームを使って、ギャオスを生け捕りにしようとした人ですからね。

舞台挨拶には、ギャオス捕獲作戦の相方で、その後もガメラとその敵役に人生を翻弄された、螢雪次郎さんも登壇したようで、なかなかに胸熱の人選です。

中山忍さんも新作を望む

 その舞台あいさつで中山忍さんは、同時に登壇していた金子修介監督と配給元のKADOKAWAに、「令和のガメラが見たい! 生身のスーツアクターが出てくるガメラを、また見てみたい。私の夢をかなえてください」と言ったようです。

記事によると、それに対して客席から万雷の拍手が巻き起こったようです。

そうなんですよ、「シンゴジラ」を始めとして、色々と動きがあるゴジラに対して、昭和の怪獣のもう一方の雄ガメラは、最近今一つなんですよね。

時代も令和になったことですし、この辺りで、昭和、平成に続く第3のシリーズを作ってくれないかなと思っていた私としては、まさに我が意を得たりです。

もし作るなら

 という訳で、令和のガメラを作るのであれば、こういうものにしてほしいという要望を上げてみます(もう作る事前提です)。

要望の基本となるものは、昭和テイストに戻ろう、という事です。

中山忍さんが舞台あいさつで言っているように、怪獣はぜひスーツアクター演じる着ぐるみでお願いしたいです。

シンゴジラのようなフルCGも悪くは無いですが、やはり怪獣は着ぐるみの方が、これぞ怪獣という感じで、外せません(何がこれぞなのか分かりませんが、それでいいのです)。

勿論、ガメラは子供の味方で無ければなりません。
子供を、手(前足とも言う)に乗せて飛行するのです。

昭和テイストと言えば、絶対に外せないのが、悪役の宇宙人です。
地球を狙って、攻めて来ることになっています。

勝手にあらすじを考える

 勢いで、あらすじも考えてみました。

ギャオスと激闘を繰り広げた場所から採集された、ガメラの組織片を保管・研究している施設に、地球人に変装した宇宙人が潜入します。

たまたま見学に来ていた小学生が、偶然から、宇宙人であることを見破ります。
宇宙人に追われることになりますが、あわやというところでガメラに助けられます。
(この時に、手(前足とも言う)に乗って飛ぶことになります)

残念ながら、ガメラの組織片は奪われてしまいます。

組織片を手に入れた宇宙人は、クローン技術により、スペースガメラを作り出します。
その数、なんと8匹。

7大陸+日本(日本は、とにかく狙われるのです)に各一匹ずつ送り込むつもりです。

8匹のスペースガメラを向かい討つ我らがガメラガメラと地球の運命は。

タイトルも決まっています。

「キュウガメラ


 その他には、有りそうでなかった、メカガメラを宇宙人が作って攻めてくるというのもありますが、もういいですか、そうですか。


ではでは

利き手でやる事だけではない

「手続き記憶」の修正法について考えてみた話です。

 

 

利き手の「手続き記憶」の書き換え

 前回の記事では、私が箸を両手で使えるようになった時の経験をもとに、利き手で行っていることの改善方法について考えてみました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その方法は、利き手で無い方の手で行う事により、利き手で行うために形成されていた「手続き記憶」を書き換える事をめざすと言うものでした。

記事の最後で、その応用例として、字を書くことを上げたのですが、記事を書いた後も、面白そうなので、色々と可能性を考えていました。

様々な「手続き記憶」の書き換え

 手で言うと、ギターなどの楽器の演奏も、使う手を変えて練習することに拠り、上手くなったり、変な癖を取り除くことが出来るかもしれません。

すぐに思いつくのは、手ではなく、足でもいけるのではないかというものです。

例えば、サッカーのシュート練習を、聞き足以外でも練習することで、上手くなるかもしれません。

一流の選手は、どちらの足でも上手いことが多いのも、こういったことなのでしょうか。

プロ野球の選手が、スィッチヒッターでなくとも、左右両方で打撃練習をしていたりするのも、こういったことが関係しているのかもしれません。

無意識かつ自動的な行動の抑止

 などと、色々と考えていたのですが、もう少し違った捉え方も出来ると気が付きました。

「手続き記憶」について考えてみても、「自転車の乗り方」とか「泳ぎ方」のように、単に利き手とか利き足で行う事だけに関係する事では無い事は明らかです。

もう一度、箸を両手で使えるようになった時の事を考えてみると、利き手でない左手を使うことに拠って、右手用に作り上げられた「手続き記憶」が働くことが出来ずに、箸の使い方を考えながら行わなければ無かった結果、「手続き記憶」が上書きされた訳です。

これは、言い換えると、利き手を使う「手続き記憶」によって無意識に行うことが出来ることを、利き手以外を使う事によって、無意識かつ自動的には出来なくしたという事です。

つまり、無意識かつ自動的には出来ない条件を見つけ、改めて意識的に行う事により、再訓練が出来るという事です。

この辺りが、闇雲に回数を重ねても、なかなか上達しないという時の、原因の一つでは無いでしょうか。

無意識かつ自動的に回数を重ねるだけでは、「手続き記憶」が変化することは無いという訳です。

万能ではない

 ポイントは、箸の使い方における利き手以外の手のような、無意識の自動手的な反応を止めて、意志的に正しい方法で行う事ができるようにする手段を見つけるという事でした。

ただし、対象によっては、正しい方法というのが問題になる場合も有ります。

箸の使い方のように正しい使い方が明確な場合は問題ありません。

しかし、自転車の乗り方のように、正しい乗り方といっても、その内容の説明が難しいものも有るので万能ではなさそうです。


 包丁の使い方というのも思いついたのですが、チョット左手でやる勇気は無いです。


ではでは