謎の4世紀と太陽活動の関係について考えた話です。
今日は謎の4世紀
前回の話では、太陽活動の変動による気候の変化が、邪馬台国の東遷を後押ししたような形になったのではないかという話でした。
今日は、その東遷が有ったと考えている所謂謎の4世紀について、引き続き妄想全開の話になります。
何はともあれ、いつもの図です。
引用元:https://plaza.rakuten.co.jp/denkiyakan/diary/200710160000/
気候変動は日本全体に
さて、気候変動による生活基盤の悪化が邪馬台国の東遷に影響したと考えたわけですが。
その変動が九州に局地的に影響を与えたとは考え難く、当然日本全体に及んでいたと考えるのが普通でしょう。
つまり、邪馬台国が東遷を始めたころには、その他の地域でも社会が不安定な状況になっていたと考えられる訳です。
そういう状態なので、畿内への東遷が出来ると考えたのかもしれません。
途中の国々が安定した状態であれば、その抵抗が厳しい事も考えなければいけないですからね。
そして全国制覇
首尾よく東遷に成功した政権は、その後全国に覇を唱える戦いを行ったと考えられます。
なぜならば、高句麗の「広開土王碑」によれば、390年代から朝鮮半島に倭が進出した事が記録されているからです。
であるならば、このころまでには日本国内を統一したとまでは言いませんが、表立って敵対する勢力は無くなっていたはずです。
さすがに、国内と朝鮮の2か所で戦線を開くという事は、普通考えられないですからね。
なぜ全国制覇
しかしなぜ、東遷した直後に全国を制覇するような行動に出たのでしょう。
東遷を始めた理由である、大陸からの侵攻に備えるべきなような気もしますが。
ここで、以上の事が起こった謎の4世紀が、図で見ると太陽活動の変化が比較的穏やかな時期で有った点を考え合わせると、よく似た話を思い出さないでしょうか。
そう、戦国時代です。
戦国時代については、シュペーラー極小期の気候変動により、室町時代まで続いた社会システムが崩壊し全国的な混乱が生じた後、気候変動が収まったことを背景に、新たな社会システムの再構築しようとする過程が戦国時代だと考えました。
当初に全国的な社会システムの有り無しという違いはあるものの、気候変動後は、同じようなことが4世紀の日本にも起こったのでは無いでしょうか。
その争いを勝ち抜いたのがヤマト政権だったのです。
これには、大陸からの亡命者がもたらした、当時の最新と言える軍事関係の情報が、物を言ったと考える事も出来そうです。
こうして、謎の4世紀に、邪馬台国は畿内に移り、ヤマト政権となり全国に覇を唱える事になったのです。
考えて見れば、4世紀にも戦国時代にも、いずれも戦乱が終息した後で朝鮮半島に進出したというのは、偶然だとは思いますが興味深いです。
ではでは