横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

いまさらながら、仏教について(2)

 仏教について考えてみた話(2)です。

 

 

「悟り」と修行
 

 前回の記事で、「悟り」とブラックホールの類似性から、各宗派で行われている修行について調べることに拠り、「悟り」について何らかの情報が得られるのではないかと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

修行が「悟り」を目指しているのならば、これらから帰納的に考えれば、「悟り」そのものではないにしても、何か分かるかもしれないという訳です。

具体的にいくつか、見てみたいと思います。

静から動まで

 先ず、修行といっても色々ある訳ですが、最も知られているのは、でしょか。

禅では、これも良く知られているように、基本的に坐禅を行う事になります。

 

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引用元:坐禅 - Wikipedia

 

あくまでも、という事になります。

坐禅が静ならば、その対極とも言えるのが、天台宗の、千日回峰行でしょうか。
約1000日間に渡って、夜間に山中を、真言を唱えながら、毎日30キロ以上走るという、命がけの荒行です。
途中で断念するときは、持参の短刀で自害しなければならないのだそうです。

 

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引用元:比叡山の修行 | 天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]


その中間という訳では無いですが、密教系の護摩というのも比較的知られているかと思います。
護摩に火を点じ、真言を唱えながら、火中に供物や、護摩を投じて行うものです。
動作としては、基本的に坐ったままで、専ら手を動かすという事になります。

 

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引用元:護摩 - Wikipedia

 

修行の共通点

 以上のように、静から動まで様々な修行の方法があることから、肉体的に鍛えることが必須では無さそうだという事が分かります。

そうなると、精神的な何かだという事でしょうか。

坐禅、特に曹洞系では、精神的な面から考えると、瞑想を同時に行うという点が挙げられます。
瞑想の入門編では、呼吸に集中するようにといった指導がなされます。
これについては、呼吸に集中することに拠り、その他の事を考えないようにすることを目指す、と言うような説明がなされます。

それに対して、臨済系では、坐禅と共に公案について考えるという事を行います。
公案は、論理的に答えを見出すことが困難な設問で、例えば代表的な「隻手の声」は
 「両手を叩くと音がする。では片手の音とはなんだろう。」
という、分かったような分からないようなものになります。
修行者は、このような公案を与えられ、それに関して考え続けることを求めらます。

これら二つの方法の共通点は、曹洞系では呼吸、臨済系では公案という、各々集中する対象を限定して、その他の事を考えないようにしている点であると考えられます。
加えて、肉体的には、結跏趺坐という姿勢を強いることに拠り、肉体的な事は考えなくても済むようにしているとも考えられます。

これを、千日回峰行護摩行に当てはめてみると、どうでしょうか。

先ず、肉体的には、千日回峰行では走ること、護摩行では護摩木を投じる事と、限定した動きを強いていると考える事が出来ます。
精神的には、いずれも、真言を唱えながら行う形になっており、その事に集中するようなっていると考えられます。

一見その有り様が大きく異なるように見える修行の間で、肉体的には、一定の行動に限定し、注意が向かうことを防ぎ、精神的には、一定の対象に集中することに拠り、思考を限定することが、共通点として浮かび上がってきました。

これで、「悟り」に至れるのでしょうか。


次回は、今回複数の修行から見出した共通点が、お釈迦様の示された教えとの間でどのような関係にあるのか、はたまた関係はないのかを、考えてみたいと思います。


ではでは

 

いまさらながら、仏教について(1)

 仏教について考えてみた話(1)です。

 

 

仏教が気になっています

 自分では、基本的には不可知論者に近いと思っているのですが、人生も残りの時間の方が少なくなってくると、若い頃は信じる気にならなかった宗教も、色々と気になってきました。

そうなると、常に身近にあることから、どうしても仏教に目が行き易いという事になります。

とは言っても、どうも身の回りにあるいわゆる大乗的と言っていいのか、日本的なと言っていいのかは分かりませんが、すべての衆生が救われるというのは、どうもという感じが拭えません。

お釈迦様が「悟り」を開かれてから、2500年程経っている訳ですが、私自身の日頃の行いもあってか、救われているようには思えないですからね。
まあ、これまでの事を差し置いて、救ってほしいというのも、虫が良すぎるという気もしますしね。

それでも、2500年も続いている訳で、そこには何かあるんじゃないかと思う訳です。

仏の教えは「悟り」

 そもそも、仏教は、仏(ほとけ)の教(おしえ)と書くように、元々は「悟り」を開いて仏になったお釈迦様の、「悟り」に至る方法に関する教えだと考えていいでしょう。

それが、2500年経つ間に様々な宗派に分かれていって今にいたっているのですが、全ての宗派に共通すると言ってもいい最終的な目標は、やはり、「悟り」だというところが、興味深いです。

ここで、一つお断りを。
「悟り」は不立文字だと言われるように、言葉で定義出来ない事になっているので、その指し示すものに関しては、様々な考えが有り、かつ争点となっています。
ここでは、お釈迦様が2500年前に到達したと伝えられている、境地、感覚といったもの(不立文字ということなので、考えではないと考えられます)を指して、「悟り」という表現を使いたいと思います。

その「悟り」ですが、不立文字と言われても、はいそうですかという訳にもいかず、本当にあるんですかね、と言うのが正直なところです。

しかし、何度も書きますが、2500年もの間、それも細々どころでは無く、続いてきたわけですから、何かあるかもしれないと考えざるを得ません。
過去「悟り」に至るべく取り組んだ多くの人達も、闇雲にそれが有ると信じた訳では無いと思うのです。

周辺から攻める

 これ、よく考えてみると、一応理論的には有るらしいことは分かってはいるけども、直接確認は出来ないという事から、ブラックホールのようなものだと思うんですよね。

で、ブラックホールの場合どうなっているかと言うと、近くにある星の動きとか、ブラックホールから出て来る電磁波とかの、そのものずばりでは無い、周辺の情報からその存在について考えている訳です。

では、「悟り」で、同じように周辺から攻めることは出来ないでしょうか。

色々調べている中で、ひとつ思いつきました。
それは、修行の方法です。

多様に分かれている各宗派には、これまた多様な修行方法が存在しています。
チョット考えただけも、座禅、護摩行、千日回峰行などバラエティに富んでいます。

全ての修行が「悟り」を目指しているのならば、これらから帰納的に考えれば、「悟り」そのものではないにしても、何か分かることが期待される、という事になりそうです。


という訳で、次回は、多様な修行方法から、帰納的に考えてみたいと思います。


ではでは

 

 

表計算ソフトは面白い

 表計算ソフトについて考えてみた話です

 

 
EXCELが使えると「リケ女」

 チョット前に、TVのバラエティ番組で、漫才コンビの女性マネージャーが、「高学歴リケ女」だと言う話をやっていました。
その紹介ビデオで、彼女が、EXCELのSUM関数を使っている場面が流れ、それにスタジオのメンバーが驚くといった事が有りありました。

スタジオのメンバーが本当に驚いたのか、台本通りなのかは、分かりませんし、EXCELが使えるから「リケ女」というのもどうかなとは思いますが、バラエティ番組の事なんで目くじら立てる程の事でもないと言えば無いのですが。

とは言え、この話、EXCELと言うか、いわゆる表計算ソフトの立ち位置のようなものを、反映しているように思えました。

というのも、表計算ソフトを使っているところを見ると、コンピューターを使わないで行うこれまでの作業からは想像出来ない、想定外の動きをしているように見える事があるのです。

多くのソフトは想定内

 一般的に、コンピューターを使うといった時に、思い浮かぶのは、ワーブロ、表計算ソフト、プレゼンテーションソフトといったところでしょうか。
最近ではこれに加えて、ブラウザを使ったインターネット関係、メール、Twitter等のメッセージ系という事になるでしょうか。

これらの内、表計算ソフト以外は、意外と、想定の範囲内のものと言っても良いんじゃないかと思うのです。

例えば、ワープロ、プレゼンテーションソフトでは、確かに、文字の挿入、削除、言葉遣いの統一、英語でのスペルチェック、それに作図とかいった、コンピューターならではの便利な点は多くあります。
こんなものの無かった時代に、卒論と発表スライド用原稿を手書きで作成した身としては、作り直し地獄を思いだして、ため息ばかりだったりします。
ですが、あくまでも手作業に比べて便利というだけで、想定できない訳では無いと思うんです。

インターネット関係にしても、初めてみた時にも、すでにラジオやテレビという、どうして使えるのか分かったような分からないようなものが、日常に有るので、それほどの衝撃では無かったです。
確かにリンクをたどって、情報を得るとというのも便利ではあるんですけども、これとても、テキストの中の言葉を、辞書や参考文献で、さらに掘り下げるといった、従来の方法から、想定できない訳ではありません。
圧倒的に便利なことは否定しませんが。

メール、Twitter等のメッセージ系についても、電話や手紙との関係で、同じような事が言えると思います。

表計算ソフトの驚き

 それらに対して、表計算ソフトは、初めて見た時に(ちなみにEXCELではなく、Lotus-123でしたが)、かなり驚いたのを今でも覚えています。

確かに、形としては表を作成するソフトという事になりますが、「表作成」ではなく、「表計算」と言うのが、文字通り言い得て妙だと思ったものです。

セルという概念に加えて、関数や、リンクを設定しておけば、数値を入力するに従って、自動的に表やグラフが作成される様子は、それまでの経験にはないもので、いかにもコンピューターの凄さを感じさせるものでした。

コンピューターが得意でない人間から見れば、十分に不思議を感じさせるものではありますよね。
使いこなせば「リケ女」という捉え方も、非難出来ないのかもしれません。

プログラミング教育にも

 これ、最近義務教育に導入されるという事で話題の、「プログラミング教育」に使ったら良いのではないかと思うのですが。

使い方によっては、簡易的なデータベースとしても使えますし、マクロを使えば、プログラミングも行うことが出来ます。
EXCELでゲームを作っている猛者もいるようですし。

さすがに、小学校低学年では難しいかもしれませんが、高学年ぐらいになれば、面白さが分かるんじゃないかと思うんですが。

中学生ともなれば、ワープロやプレゼンテーションソフトと合わせて使いどころは色々ありそうです。
それに、表計算ソフトも含めて、これらのソフトが使えるようになれば、その後も何かと便利ではないかと。


 Libre Officeのようなソフトを使えば、ほぼ全てのプラットフォームで、勿論無償で使えるんですけど、どうでしょうね。
ネット上で相談出来るし、色々と手伝ってくれる人も沢山いると思うんですけど。


ではでは。

 

手洗い方法に理屈をこねる

 手洗い方法について考えてみた話です。

 

 

手洗いの方法に関して気になること

 最近は、手洗いについては、例の正しいが面倒くさいと思っていた方法で、特に考えることもなく出来るようになりました。

正しい手洗いの方法については、昔から知識としては有ったのですが、今回の事で、使える知識になったという事でしょうか。

その正しい手洗い方法に関しては、チョット気になっていることが有りました。

手を洗うために、ウィルスが付いているかもしれない手で、蛇口に触れることに拠って水を出しているわけで(センサータイプの蛇口は関係ないですけどね)、洗った後に、その蛇口に触れたら、またウィルスが付くんじゃないかと思っていたんですよね。

で、いくつかのサイトで紹介されている説明を見たりしていたんですが、手を洗う方法は有っても、水の止め方まで説明されているものは、見た限り有りませんでした。

TVで答が

 そう思っていたら、ちょっと前の事になりますが、どの番組かは忘れたんですけど、TVでコメンテーターが、医療系の専門家に手洗い方法に関して質問した場面がありました。

内容は次のような、そのものずばりのものでした

 「手を洗った後に、水を止めるのに、蛇口を触るけど、大丈夫か?」

それに対する専門家の答えは、

 「手を拭くための、ペーパータオルを使っています。」

というものでした。

その場では、なるほどと思いました。

やっぱり疑問が

 でもこれ、よく考えると、納得のいかない点があることに気が付きました。

ペーパータオルを使うということは、それでウィルスが手に付くことを防ぐと考えているという事になります。

もし防ぐ事が出来るのならば、マスクもペーパータオルの素材で作れば良いことになります。
でも、実際にはそうではありません。
その素材の隙間では、ウィルスを止めることが出来ないという事になっているはずです。

そこまで考えることは無いのかもしれませんが、理屈をこねるとそういう事になる訳です。

その後、ウィルスが通らない素材は何かとか、それをどうやって使うかとか、色々とこねくり回していました。

思いつきました

 最近になって、一応理屈の通る、かつシンプルな方法を思いつきました。

それは、手を洗った時に、ついでに蛇口のハンドル部分(水を出したり止めたりするための部分は、こう呼ぶようです)も洗うという方法です。

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引用元:蛇口の仕組み|水道蛇口の名称や部品の構造を徹底解説【交換できるくん】

 

セッケンで手を洗う事によりウィルスが除去できるのならば、蛇口についているウィルスも除去されるはずです。

後は、手をすすぐタイミングで、蛇口もすすげばいいわけです。

これで、水を止めるために蛇口のハンドルに触れても問題は無いことになります。


 という訳で、最近の我が家で最も清潔なのは、蛇口のハンドルという事になります。


ではでは

 

給付金交付の方法に関して

 給付金交付の方法に関して考えてみた話です

 

 

やっときました10万円申請書

 我が家にも、やっと10万円の申請書が送られてきました。

正式には、「特別定額給付金申請書」という名称のようです。

オンラインでの申請が、色々とトラブっているのが報じられていたので、さてどんなものかと思っていたのですが、特に問題も無く作成して、投函してきました。

記入例もついた説明書も、普通に分かり易かったです。

「給付金を希望しない」に間違ってチェックを入れてしまうような、変なフォーマットでもないと思いました。

添付書類がチョット面倒でしたが、何が必要かは明確でした。

公的な書類としては、懇切丁寧な方ではないでしょうか。
その分費用も掛かっていそうですけどね。

必要な情報は

 申請書を作成しながら、もうチョット素早く出来る方法は無いものかと思って考えてみました。

そもそも、今回の申請書の目的は、給付金を振り込む先が分からないので、知らせてほしい、という事につきる訳です。

添付書類も、結局は、確かに本人の口座で間違いないことを、確認するためのものなので、極端なことを言えば、給付金とは全く関係の無いものです。

口座番号と、申請書に前もって印刷されていた情報が有れば、事足りるという事になります。


住民台帳に登録すれば

 で、この申請書に前もって印刷されていた情報というのは、住民台帳を基にしているわけです。

という事は、今回のような事を、より迅速に行うには、住民台帳の各個人毎に、口座番号を登録しておけばいいという事になります。

作業的にも、住民台帳に、口座に関する項目を追加するだけなので、最小限で済むはずです。

こうしておけば、給付が決まったら、すぐにその口座に振り込めばいいわけですから、申請書などというものは、一切必要が無いことになります。
「給付金を希望しない」チェックは、確認しなくても何の問題も有りませんよね。

それよりも、この口座を使って、税金、国保、年金等の、公的な入出金に使えば、これまでは個別にやっていたことの一本化も可能でしょう。
日常的に、口座を使うシステムにすれば、給付金なども、最小限の業務で済むはずです。
通常の入出金に加えて、10万円を追加するだけですからね。

マイナンバーは必要無い

 ここまでの話でも分かるように、最近報道されている、マイナンバーと紐づけるなんていう事は、全く必要無いわけです。
今回の申請書でも、マイナンバーは何処にもないですよね。

とは言っても、住民台帳に口座を登録することにすれば、住民台帳にはマイナンバーが付いているわけで、自動的にマイナンバーと紐づけられる事になるんですけどね。

ただこれも、登録する口座を、各個人毎に一つにすれば問題は無いでしょう。
口座の番号を一つだけ知られても、資産状況などの情報を握られてしまう心配は無いでしょう。
他にも口座を作ればいいだけの話ですからね。


 せっかく口座情報を集めている訳ですから、行政の効率化にも使って、災い転じて福なんてことには、ならないですかね。


ではでは

『古事記』と『日本書紀』

 『古事記』と『日本書紀』の関係について考えてみた話です。

 

 

古事記』は国内向け、日本書記は海外向け?

 いずれも、古代日本の歴史を伝えるものですが、一般的には、『古事記』が国内向け、日本書記が国外向けに、それぞれ作られものだと説明がされることが多いです。

これは、概ね以下のような論拠に拠っています。

  • 日本書記は漢文で書かれているが、『古事記』は、その当時の日本人にはより読みやすいと思われる、変体漢文(和化漢文)で書かれている。
  • 日本書記は編年体で書かれており、公式な歴史を示そうとしているのに対して、『古事記』は物語性の高い記述になっている。これも、読みやすさを狙ったものとも考えられる。
  • 天皇家に至る神話が、『日本書紀』では全30巻中の2巻であるのに対し、『古事記』では、全3巻中の1巻を占めており、より天皇家の正当性を示す事に焦点が当たっている。

いずれも天武天皇によって作られた?

 こういった考え方がされる背景には、加えてもう一つ別の、最大とも言える要因が有ります。

それは、何れの書も、天武天皇によって作られたものだと考えられているという事です。

同じ人物が作らせたという事で、自ずと二つの書の存在理由を考える事になっているわけです。

この点について、以前の記事で、『古事記』に推古天皇までの記述しか無い事などを手掛かりとして、『古事記』は、推古天皇の次代舒明天皇の時期に、物部氏によって書かれたのではないかと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

yokositu.hatenablog.com

 

舒明天皇の在位は、629年から641年と考えられていますので、『古事記』の方が、成立が80から90年古いという事になります。
当然、『古事記』に天武天皇の意志が反映するはずもなく、わざわざ『記紀』を作り分けたと考える必要はない訳です。

ただ、『古事記』が、上記の記事でも書いたように、物部氏によって、舒明天皇側に売り込むためのものだったとすれば、国内向けに作られたように見えるのは、当然と言えば、当然と言う事になります。

古事記』の記述は信用できない?

 以上のような背景があるとすると、物部氏が私的に作ったとも言える『古事記』の内容は、偽書とまでは言えないものの、正史である『日本書紀』のそれに対して、信頼性の劣るものという事になるのでしょうか。

しかしながら、物部氏の都合のいいように、好きなことを書けたかといえばそうでもないはずです。

なぜならば、舒明天皇側に売り込むことを前提としている訳で、天皇家側の正当性を疑うようなことは書けなかったと思われるからです。

という訳で、たとえ、物部氏側には、それなりの異なった話が伝わっていたとしても、『古事記』には、それが作られた当時の、一般に流布していて、天皇家側から見ても問題の無いと思われる話が書かれていると考えていいのではないでしょうか。

 

 という訳で、『古事記』は、『日本書紀』のような正史ではないものの、『日本書紀』より100年近くに前に一般に流布していた話を基にした、私的な歴史書だという事になります。

 


ではでは

第2波に備えて

 これまでの状況から、第2波への対応について考えてみた話です。

 

 

ロックアウトの効果

 前回の記事で、非常事態宣言は今回の感染者数の増減には影響が無かったと考えられ、第2波に備えるために、要因の解明をすべきだと書きました。

海外では、ロックアウトということになるのですが、当然この辺りは研究されている訳で、そのあたりの効果についての研究結果が出始めているようです。

雑誌サイトの記事なので、無くなるかもしれませんので、チョット長くなりますが、引用します。

研究チームは、欧州連合EU)の専門機関「欧州疫病予防管理センター(ECDC)」が毎日発表している各国の新型コロナウイルス感染症の感染者数および死亡者数と、休校、大規模集会の禁止、店舗の営業停止、外出禁止、マスクの着用といった各施策の各国での実施開始日をもとに、統計モデル「一般化加法混合モデル(GAMM)」で分析した。

感染拡大の抑制と最も高い相関が認められたのは休校だ。ただし、小学校、中学校、高校、大学のうち、いずれの教育機関での休校が感染抑制に最も寄与したのかは明らかになっていない。

大規模集会の禁止は、休校に次いで、感染拡大の抑制に高い効果が認められた。

(中略)

人々が集まるレストランやバー、レジャー施設、イベント会場の閉鎖も感染拡大の抑制に寄与した。その一方で、ハンター教授は「これら以外の業種における営業停止は、感染拡大の抑制にほとんど影響がなかったとみられる」と考察している。

また、外出禁止は、新型コロナウイルス感染症の発生率の減少との相関がなく、むしろ、外出禁止の日数が増えるほど、感染者数は増加した。

 引用元:ロックダウンは必要なかった? 「外出禁止は感染抑制と相関がない」と研究結果 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

これは、大まかに言うと、比較的多人数でいわゆる3密になるものを閉鎖することが、効果が大きかったという事になるでしょう。

特筆すべきは、最後に有る、外出禁止が感染者数を抑制するよりもむしろ増加させていたという分析です。

結局、一人住まいは別として、複数人の家族では、外出禁止により、むしろ3密状態を生じてしまったのではないかと想像されます。

我が国の対応

 以上の事は、わが国の対応の推移を見ても、当てはまる点がある様に思えます。

先ず、安倍首相が国内のスポーツ・文化イベントの自粛を呼び掛けたのは2月26日でした。

次に、いわゆる3密に関する勧告は、厚生労働省より2020年3月1日に出ています。

最後に、学校の閉鎖は、3月2日から始まりました。

以上のように、結果的に、記事で指摘された効果の見られた対策について、比較的早くから対応がなされていたことになります。

この辺りが、比較的抑え込みに成功した要因なのかもしれません。

かといって、第2波が到来したときに、同じことをもう一度行う事は、おそらく容認されないと思われます。
例えば、学校を、もう一度数か月に渡って休校にすることは、ほぼ不可能ですよね。

実際には、3密になることを出来る限り避け、感染者数を見ながら、現実的な解を探るという事にならざるを得ないでしょう。

少なくとも医療面は

ただ社会的な方策に関してはそういう事なんですが、少なくとも、検査を始めとする医療環境の整備に関しては、反対をするものは居ないと考えられます。

第一波に対しては、明らかに様々な面で不足、不備な面が有ったのは、否めないところだと思います。

当面はその改善に、最大限注力をすべきでしょう。

感染してしまった後の不安を、完全とは言わないまでも、ある程度限り取り除くことに拠り、社会生活をどう立て直していくかに注力できる形に成ればと思うのですが。


 結局これといった解決策は有りません。
新型コロナウィルスは、つくづく厄介な代物です。
それにしても、いまだにアベノマスクすら届かないというのは、どうしたものでしょうか。


ではでは

非常事態宣言の効果

 非常事態宣言の効果につて考えてみた話です。

 

 

日本モデル

 非常事態宣言が、全国で解除されることになりました。

安倍首相による表明のための記者会見で、次のような趣旨の発言が有りました。

「罰則を伴う強制的な外出規制などを実施できない日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができ、『日本モデル』の力を示した。」

強制力を伴わない、「接触の8割減」を目指した自粛に拠って、収束に至ったという訳です。

あるかもしれない第2波に対する準備としても、いいタイミングだと思われるので、その効果について、確認してみましょう。

新規感染者数

 PCR検査が少なすぎるので、正確な感染者数を表していないといった話も有りますが、それを言い出したら、常に無いものねだりになってしまうので、ここでは、新規感染者数で考えてみたいと思います。

テレビ等でもよく見ますが、次のグラフが、全国の新規感染者数の推移になります。

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引用元:特設サイト 新型コロナウイルス 感染者数データ|NHK

 

チョット、個別の日付が分かり難くて申し訳ないですが、ピークは4月11日の720人であり、グラフ中にもある様に、最初に7都府県に緊急事態宣言が出された4日後になります。

ところで、良くテレビなどで解説されていて耳タコになった感も有りますが、ある日の新規感染者数は、約2週間前の感染の結果を示していると考えられる訳ですから、4月11日の新規感染者数は、3月27日頃の状況を示していることになります。
という事は、感染は、3月27日頃にピークを迎えていたことになる訳です。

緊急事態宣言の効果

 ところで、3月27日がピークだったという事は、4月7日から始まった、緊急事態宣言とは関係なく増減しているという事になりそうです。

最初の4月7日の2週間後の4月21日以降、全国に拡大された4月16日の2週間後の4月30日以降、いずれも急激に感染者数が減っているようには見えません。

ピークの4月11日から、ほぼ一貫して右肩下がりの傾向を示していると言えると思います。

今後あるかもしれないと考えられている第2波までに、何が増減に影響していたのか検討を早急に行い、次回は何を対策として行うのか、考えておくべきでしょう。

今回の結果をもとに、第2波が来た時に、もう一度同じ事を行うのは、意味ないとは言いませんが、理解を得難いと思うんですよね。

明らかに、非常事態宣言は、今回の感染者数の増減には影響が無かったという事ですからね。


 加えて、あれだけ騒がれた「接触の8割減」に関しては、何だったのか、ぜひ調べてほしいです。


ではでは

 

 

 

 

邪馬台国東遷と継体天皇(後編)

 邪馬台国東遷から、継体天皇の出自について考えてみた話(後編)です。

 

 

継体天皇は九州出身

 前編で、後に継体天皇となる男大迹王は、九州の出先機関を統べる応神天皇の子孫だったのではないかと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

男大迹王が、九州で代を重ねてきた系統の子孫だと考えれば、継体天皇応神天皇の5世の孫という記述も、あながちでっち上げでは無い事になります。

こう考えると、今回の一連の継体天皇に関する最初の記事で書いたように、NHKの番組での継体天皇像を、説明出来るんじゃないかと思った訳です。

 

yokositu.hatenablog.com

 

番組での継体天皇

 ここで改めて、番組での継体天皇像を確認しておきます。(話の都合で前回とは一部順序を変えています)

  1. 武烈天皇が後嗣を定めずに亡くなったため、越前にいた応神天皇の5世の孫、男大迹王(をほどのおおきみ)を招いて、継体天皇として擁立した。
  2. 男大迹王は、越前を治め、近江、尾張とも関係が深い、有力な豪族だった。朝鮮半島との関係も深かった。
  3. 河内で即位したのち、大和に入るまで20年近くかかったのは、地方豪族の即位に反対した勢力がいたから。ただし、反対勢力に対抗できるようになるため、わざと入らなかったとも考えられる。
  4. 継体天皇が、天皇として初めて横穴式石室に葬られ、その棺は、九州で産出する阿蘇ピンク石で作られていた。始めて、大陸で行われている、国際的スタンダードを取り入れた天皇だった。
  5. 大和に入った後、すぐに磐井を叩いたのは、もう一度大和政権への求心力を高めるため。


九州出身による説明

 先ず、1.に関しては、前編で書いたように、九州にいた応神天応の5世の孫だったという事になります。

次に、2.の、越前を治め、近江、尾張とも関係が深い、有力な豪族だったというのは、正面から反旗を揚げるのではなく、裏口とも言える、日本海側、東海など、周辺の勢力と連携をしたという事では無いでしょうか。

朝鮮半島とも関係が深かったというのは、元々朝鮮半島政策の最前線を九州で担っていたのですから、当たり前という事になります。

ひょっとしたら、朝鮮半島との関係から、日本海側の勢力とつながりが出来たという事も有るかもしれません。

3.の、河内で即位したのち、大和に入るまで20年近くかかったのは、地方豪族の即位に反対した勢力がいたから、と言うのはその通りでしょう。
周辺の勢力と連携したのち、物部氏と大伴氏と共に反旗を翻したが、葛城氏らの勢力とのせめぎあいが続いたという事だと思います。

4.の、天皇として初めて横穴式石室に葬られ、その棺は、九州で産出する阿蘇ピンク石で作られていた、というのは、九州出身だと考えれば、納得し易いでしょう。
特に、横穴式石室に関しては、この頃になると、九州では支配者層が取り入れる程に、社会に受け入れられいたという事でしょう。

磐井の乱

 最後に、5.の、磐井の乱ですが、これだけは、出身母体をなぜという事になります。

これに関しては、元々男大迹王と九州の実力者磐井との思惑に違いが有ったのか、それとも、20年近くの時間の中で、考えが変質したのかは分かりませんが、大和に入ったころには、その対立が決定的になっていたという事だったのではないでしょうか。
そのため、大和に入るとすぐに口実を作って、磐井を討ってしまったという事なのだと思います。

そのことを示すかのように、『古事記』では、磐井の乱に関して、「命に従わず、無礼が多かったので討った」程度の記述しかなく、乱というほどのものでは無く、言いがかりとも言えるものだったとも思えるものになっています。


 という訳で、これまで継体天皇で王朝が変わったのではないかと思っていたのですが、応神朝の中での勢力争いだったという事になりそうです。


 ではでは

 

 

 

邪馬台国東遷と継体天皇(前編)

 邪馬台国東遷から、継体天皇の出自について考えてみた話(前編)です。

 

 

邪馬台国東遷

 前回の記事で、大和政権は、九州に有った邪馬台国が、畿内に東遷し、それを指導した応神天皇から始まった、というのが現状での私の仮説だという事を書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

そもそも、邪馬台国の東遷については、中国における、西晋が滅亡した後に出現した、五胡十六国と呼ばれる大動乱時代の影響を避けるべく、大陸から離れた畿内に移ったのが原因と考えた訳です。

 

yokositu.hatenablog.com

 

ここで改めて、東遷について、確認しておきたいことが有ります。

それは、邪馬台国畿内に移動したとはいっても、江戸時代の藩の国替えのように、一族郎党うち揃って移り住んだのでは無いという事です。

東遷と九州

 ここで、その東遷によって、出発地の九州はどうなったかを考えてみたいと思います

まあ、邪馬台国は、元々九州を拠点としており、敵地に攻め込んでいたのでは無いので、退き戦というのでは無い訳です。
それでも、東遷している途中で、大陸から攻め込まれ、追撃を受けるような事態になるのは避けなければなりませんから、九州に後備えを残しておいた筈です。

さらに、東遷が完了した後には、現代でいうところの縦深防御の最前線の防御を担当することになる訳で、間違っても、大陸からの勢力と呼応するようなことが有ってはなりませんから、信頼できる者を残しておく必要があります。

もっとも考え易いのは、東遷の指導者応神天皇の子息という事になるでしょう。

そう、九州には、邪馬台国が東遷して大和政権が成立してからも、応神天皇の子孫を歴代のトップとする、出先機関とも言えるものが存在したのではないかと考えられのです。

九州の出先機関と大和政権

 その後、大和政権は、広開土王碑の記述にみられるように、朝鮮半島への関与を強めた後に、高句麗に敗れることになります。

そして、倭の五王による朝貢に見られるように、一転して、中国との関係の中で、政権の正当性の確立と朝鮮半島南部での権益を守る方向に、方針転換をしました。

 

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この間、九州の出先機関は、当然当初は、朝鮮半島に対して最前線で関与していたはずです。
しかし、方針転換後は、脇に追いやられた格好になったと考えられます。

当然不満があったはずで、そんな中、大和政権が弱体化したのを機に、政権の奪取を画策したのではないでしょうか。

そうした時に、当然行動の旗頭は、九州の出先機関の中でトップとして引き継がれてきた、応神天皇の子孫という事になります。
ちなみに、後に「磐井の乱」で登場する磐井は、トップを支える有力者だったと考えられます。

そして、該当する子孫が、応神天皇5世の孫である男大迹王だったという訳です。


 以上のように考えると、継体天皇に関する話について、色々と説明出来るんじゃないかと思っているんですが、そのあたりを後編で検討したいと思います。


 ではでは

 

 

邪馬台国東遷と応神天皇

 邪馬台国東遷と応神天皇の関係についての話です。
話としては独立していますが、一応前回の話の続きになります。

 

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宇佐神宮卑弥呼

 以前の記事で、卑弥呼の墓は、宇佐神宮じゃないかという話を書きました。

 

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宇佐神宮には、比売大神、神功皇后応神天皇、の三神が祀られています。
前記の記事では、このうちの比売大神が、卑弥呼ではないかと考えました。

そして、日本書紀の成立が720年である事、さらに三柱の神がそれぞれ祀られている三御殿の造営時期が、725年以降であることを考え合わせて、宇佐神宮は、比売大神即ち卑弥呼への信仰を基に、日本書紀中の人物を加える形で、現在の形に成ったと書きました。

神功皇后応神天皇が選ばれたのは、九州に関係する人物だからだというのを、理由として考えました。

宇佐神宮神功皇后

 しかし、その後、邪馬台国東遷説と日本書紀の記述の関係を考える中で、神功皇后に関しては、もう少し別の理由が有るのではないかと考えるようになりました。

 

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それは、神功皇后が、卑弥呼の存在を日本書記から消すために、作り出された人物だったのではないかという事です。
ただし、存在を消すためと言うならば、その後継の台与のことも包含していると、考えるべきかもしれないと、最近は考えています。

神功皇后が以上のような存在であるならば、神功皇后と比売大神即ち卑弥呼宇佐神宮に祀られているのはうなずけます。

宇佐神宮応神天皇

 となると、残る応神天皇はどう考えれば良いでしょうか。

前述の記事では、神功皇后の息子で、九州生まれだからという事にしたんですが、これについては、書いた時から、説得力が無いに等しいなとは思ってたんですけどね。

神功皇后が、卑弥呼と台与という事であるならば、その息子とされる応神天皇は、その後継者という事になります。

世代的には、邪馬台国が東遷したと考えている時期に当てはまります。

という事は、応神天皇の正体は、邪馬台国の東遷を指導した人物ということではないでしょうか。

こう考えると、応神天皇が九州生まれであることや、宇佐神宮に祀られている事も、何ら不思議では無いことになります。

さらに、その事績には、彼の軍事的能力を示すような話がほぼ無いに等しいにも関わらず、武神八幡神として祀られていることも、東遷における役割を考えると、納得がいくものとなります。

応神天皇以降が実在

 ところで、応神天皇に関しては、その事績に関して、仁徳天皇と記述の重複・混乱が見られることから、両者を同一人物と考える説もあります。

これに関しては、日本が中国の周と同時代から続く正当な王朝で有ることを示すために、応神天皇以前の系図を付け加えたと考える事で、解釈出来ると思います。
その上で、東遷の事実を、初代とした神武天皇の東征という形にし、応神天皇には、次の仁徳天皇の事績の一部をあてたという事では無いでしょうか。

つまり、応神天皇以降が、実在の天皇なのではないかと、考えられるのです。
この事は、『古事記』において、応神天皇以降に、死没年の干支が記載されるようになっていることとも符合します。

大和政権は、九州に有った邪馬台国が、畿内に東遷し、それを指導した応神天皇から始まった、というのが、今のところの私の仮説という事になります。


 次回は、応神天皇が東遷を指導したことと、継体天皇の出自との関係について考えてみたいと思います。


 ではでは。

 

 

継体天皇は何処から来たのか

 継体天皇の出自に関して考えた話です

 

 

継体天皇の番組

 BSプレミアの番組「英雄たちの選択」で継体天皇の話をやっていました。

概ね、以下のような内容だったと思います。

  • 武烈天皇が後嗣を定めずに亡くなったため、越前にいた応神天皇の5世の孫、男大迹王(をほどのおおきみ)を招いて、継体天皇として擁立した。
  • 男大迹王は、越前を治め、近江、尾張とも関係が深い、有力な豪族だった。朝鮮半島との関係も深かった。
  • 河内で即位したのち、大和に入るまで20年近くかかったのは、地方豪族の即位に反対した勢力がいたから。ただし、反対勢力に対抗できるようになるため、わざと入らなかったとも考えられる。
  • 大和に入った後、すぐに磐井を叩いたのは、もう一度大和政権への求心力を高めるため。
  • 継体天皇が、天皇として初めて横穴式石室に葬られ、その棺は、九州で産出する阿蘇ピンク石で作られていた。始めて、大陸で行われている、国際的スタンダードを取り入れた天皇だった。

まとめると、地方からスカウトされて大和政権を立て直した、開明天皇という事でしょうか。

継体天皇の記事

 継体天皇に関しては、実際にはそこで王朝の交代があったのではないかと言う話を、以前書きました。

 

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武烈天皇から継体天皇への継承の話が、中国の正史にみられる、王朝交代のフォーマットによく当てはまることから、単なる代替わりではなく、実質的に王朝が交代したのではないかと考えました。

また、古事記の奇妙な記述内容も、継体王朝への交代が有ったと考えると、説明出来るとも書きました。

 

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継体天皇の出自

 ただし、継体天皇本人に関しては、応神天皇5世の孫というのは、いかにも怪しいということ以外は、その出自に関して、特にこれといった考えは有りませんでした。

まあ、漠然と、番組で紹介された上記のようなものだったのだろうと、考えていました。

しかし、今回の番組を見ていて、継体天皇の出自に関して、邪馬台国東遷説との関係で、違った解釈も出来ることに気が付きました。

それは、継体天皇は九州からやって来たのではないかというものです。
加えて、応神天皇5代の孫というのも、あながち出鱈目では無いかもしれないというおまけつきです。

その詳細を、さっそく説明したいところですが、そのためには、先ず、応神天皇に関して、東遷説との関係を説明する必要があるので、稿を改めたいと思います。
本日はこれまで。


 出来の悪い講談のような終わり方になってしまいましたが、実は、元々、最近になって応神天皇と東遷説の関係を考えていたのですが、タイミング良く、継体天皇の番組が放送され、今回のような記事になりました。
という訳で、次回は、邪馬台国東遷説と応神天皇の関係についてです。


 ではでは

 

やはり、教育は動画ベースで

 教育を動画ベースで行ってはどうかという話です。

 

 

コロナとオンライン授業

 非常事態宣言が延長されることになって、さらに1か月続くことになってしまいました。

学校も、今のところ5月末まで休校というところが多いようです。

そうなると、ニュースなどでも、オンラインでの授業に関するものが見られるようになって来ました。

その形態も、新たに動画を作成して発信したり、民間のものを活用したりと、試行錯誤が続いているようです。

しかしながら、こういった事を行っているのは、自治体レベルで、導入割合は10%にとどまっているようです(4月16日時点。文部科学省調べ)。
特に、双方向型の授業を行っているのは、わずかに5%だそうです(同調査)。

まあ、これまでそんなこと考えた事が無かったところからと考えれば、頑張っているとも言えるのかもしれません。

次の機会に備えて

 残念ながら、現状を一気に改善するような、アイデアは今のところ思いつきません。

そこで、将来起こるであろう同様の状況にも対処する方法を、考えてみました。

以前の記事で2度、教育に動画を取り入れたらと言う話を書きました。

 

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一つ目の話は、放送大学のようなものを、小中高向けにも出来ないかという話でしたが、放送は動画と考えても問題ないでしょう。

これらの流れで、学校での教育のベースに、全面的に動画を取り入れてはどうかと思うんですが。

動画の取り入れ方

 動画を取り入れる基本的な考え方としては、二つ目の記事で書いた、英語の授業に動画を取り入れる方法をベースに考えます。

1週間で習う内容を一本の動画に纏めるようにします。
細かいところまですべて詰め込むのではなく、全体像の説明を中心とします。
長さとしては、一回の授業に収まるように作ります。

そして、授業の流れとしては、各週の最初の授業で、その週の分の動画を視聴させ、残りの授業で、必要ならば細部への展開と、問題演習等により、内容の定着を図るという形を基本とします

こうすることに拠り、授業内容の最低限のレベルが、動画の内容という形で保障されることになります。

動画については、オンラインまたはDVD等のメディアにより、常に家庭で参照できるようにしておきます

こうすることに拠り、通常の予習、復習に活用出来ることになります。

教える側からしても、ベースとなる部分は動画に任すことが出来るので、その他の部分に注力出来る事になり、いいと思うんですが。

長期休校時には

 今回のような感染症だけでなく、地震等の他の災害による長期休校時においても、その休校期間中に学ぶはずであった動画を視聴することに拠り、最低限の教育を、それまでの授業に継続する形で、提供出来ることになります。

避難所等で、集合的な学習の場を考える時にも、何を勉強させればいいかという問題が、どの動画を視聴させればいいかという問題に置き換えられるので、取り組み易くなると考えられます。

親としても、各時点で学習すべき内容が明確になっている訳ですから、何をやらせたらいいのか分からないと言った、心配は無くなることになります。
もっとも、それをチャンとやらせるというのは、また別の問題ですけどね。
そのあたりを、教師がサポートするのが良いのかもしれません。


 以前の記事でも書きましたが、1セット作れば、全国で使える訳ですから、良いと思うんですけど。


ではでは

 

 

マスク!マスク!マスク!2

 マスク不足について再び考えてみた話です。

 

 

相変わらず有りませんねぇ

 以前、マスクの不足について記事を書きました。

 

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その時に比べても、見事なまでに、相変わらずマスク有りませんね。

近所のドラッグストアでは、入荷がほぼなくなり、毎日開店前に有った行列すらなくなってから久しいです。

中国からの輸入も少しづつ回復してきているようですが、絶対数は相変わらず足らないようです。

それに加えて、全世界の人がマスクを使う日が来ようとは、文字通り、「事実は小説より奇なり」でしょうか。

その結果、世界中でマスクの争奪戦が起き、中国はマスクを外交の道具として使い始めるといった有様となっています。

再利用可能なマスク

 前述の記事では、使い捨てのマスクを必要量揃えることが、現実的ではないことから、再使用可能なマスクを考えてはどうかという話をしました。

ところが、現実には、多くの人や企業が、手作りの布マスクを作るようになる、という事になりました。

その極め付きとも言えるのが、「アベノマスク」でしょう。
まさか、全家庭に再利用できる布マスクを(でも2枚って!?)、配布するとは思いませんでした。
それにしても、形はもうチョットどうにかならなかったですかね。
昭和の時代の給食当番じゃないんだから。

布マスクの効果

 とはいっても、前の記事でも書いたんですが、使い捨ての不織布マスクにしても、再使用可能な布マスクにしても、いずれも、他の人にうつさないようには出来ても、自らの予防にはあまりならないという問題があります。

しかし、ここにきて面白い情報が出て来ました。

それは、異種素材を重ねた布マスクは、飛沫粒子の80%~99%をカットするというものです。
これは、医療現場で使われている、N95マスクと同様の効果という事になります。
もっとも効果の高かったのは、綿とシフォンを重ねたものだった様です。

nazology.net

これが本当ならば

 これが本当ならば(疑っている訳ではないですが、確認の必要はあるでしょう)、官民総力で、素材、デザイン、製造手順などを開発すべきでしょう。

特にデザインに関しては、布を二種類重ねることで性能が出るといっても、それだけでは、装着時の性能が保証される訳では無いので、いかに密着度を上げるか、検討の余地があると思われます。

そのあたりがクリアされれば、素材は布なので、特別な設備は必要なく、通常の衣服の製造と同様の設備でいいはずです。
これは、現在、色々な場所で布マスクが作られていることからも、裏付けられます。
そのため、ある程度緊急であっても、生産量を確保することは可能でしょうし、平時になって、需要が減っても、過剰設備を抱える事にはならないと思われます。

当然、複数回洗って使える事が想定できるので、使い捨てのマスクを使う必要が無くなるとともに、必要数も抑えられ、全国民にいきわたらせることも出来るはずです。
新しい種類の衣服が、一種類増えると考えれば良いわけです。

現状のマスク不足対策のみならず、流行の第二波対策にも有効でしょうし、常備することを、将来の新たな感染症に対する備えとしても考えるべきでしょう。

何よりも、国内で供給可能と考えられるところが最大の利点でしょう。


 アメリカでの死者は6万人!?を超えて、とうとうベトナム戦争での戦死者よりも多くなってしまいました。
当時ブレトンウッズ体制が終わりを迎えたように、我々は今、時代の転換点を生きているのかもしれません。


 ではでは

 

古墳の形状

 古墳の形状について考えてみた話です。

 

 

色々な種類が

  前回の話を読んだ知り合いから、埋葬方式についてはそうかもしれないが、古墳の形も色々ある、それはどうなんだという趣旨の事を聞かれました。

確かに、古墳に関しては前方後円墳が圧倒的に有名ですが、実際には、下記の図のような、実に多様な形状が存在します。

 

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引用元:古墳の形(墳形)

 

横穴式石室の伝播が、朝鮮半島からの亡命者によるものと考えるならば、これらの多様性はどう考えれば良いのかという訳です。

墓の形に正解は無い

 私としては、そもそも以前から、墓の外形的なものと、葬送形式は別々に考えるべきものではないかと考えていました。

例えば、古代エジプトで考えると、初期には、三大ピラミッドに代表されるように、ピラミッドの形態を取っていたものが、時代を下るにつれて、王家の谷に代表されるように、地下に墓を作るようになりました。
世界観、死生観としては、一部例外を除き、一貫してエジプト神話をもとにしており、ミイラを葬るというように、変化は無かったと思われるのにです。

現代の我が国で考えても、墓の形は多様性に富んでいると言っていいでしょう(一応、仏教系の墓を対象にします)。
墓石ひとつとっても、一般的な直方体だけでなく、昔から宝塔とか五輪塔とかの形のものもありますし、最近では、本人の意思、生前の業績、趣味嗜好などにより、さらに様々な形態の墓石が作られています。
例えば、お酒が好きだった父親のために、缶ビールの形にしたと言う話を聞いた記憶があります。

現代とはチョット違うかもしれませんが、日光東照宮も、徳川家康の墓といえば墓な訳です。

極論を言えば、何かを墓だと言えば、それが墓になると言っても良いかと思います。

古墳も同じ

 古墳の形状に関しても、同じような事だったのではないでしょうか。

ある時点で、誰かが、またはある集団が、墓を作る時に様々な理由で、ある形状を考えたというだけの事ではないか。
勿論、考えた側にとっては、それなりの理由があったとは思いますが、それらに共通する背景のようなものは無かったのではないかという事です。

例えば、古墳時代の代表的な前方後円墳に関しては、最初に誰かが作って、はっきりとした理由は分かりませんが、天皇家でも採用したことに拠り、各地の支配者層が取り入れたという事ではないでしょうか。
それ以外の地位の人には、ある意味忖度したために、前方後円墳以外の古墳も作られたという事だと思います。

まあ、そこに世界観、死生観といったものはあまり関係なく、一種の流行だったのではなかったかと思うのです。 

それを裏付けるかのように、6世紀末の第31代用明天皇以降は、現代にいたるまで、天皇の陵墓としての前方後円墳は、作られていません(の筈です)。


 以上、色々と考えてきましたが、前方後円墳に関しては、結局のところ、あのデザインそのもののインパクトが大きかったのではないかと思っています。


ではでは