横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

古墳の形状

 古墳の形状について考えてみた話です。

 

 

色々な種類が

  前回の話を読んだ知り合いから、埋葬方式についてはそうかもしれないが、古墳の形も色々ある、それはどうなんだという趣旨の事を聞かれました。

確かに、古墳に関しては前方後円墳が圧倒的に有名ですが、実際には、下記の図のような、実に多様な形状が存在します。

 

f:id:t_arata:20200429134619p:plain

引用元:古墳の形(墳形)

 

横穴式石室の伝播が、朝鮮半島からの亡命者によるものと考えるならば、これらの多様性はどう考えれば良いのかという訳です。

墓の形に正解は無い

 私としては、そもそも以前から、墓の外形的なものと、葬送形式は別々に考えるべきものではないかと考えていました。

例えば、古代エジプトで考えると、初期には、三大ピラミッドに代表されるように、ピラミッドの形態を取っていたものが、時代を下るにつれて、王家の谷に代表されるように、地下に墓を作るようになりました。
世界観、死生観としては、一部例外を除き、一貫してエジプト神話をもとにしており、ミイラを葬るというように、変化は無かったと思われるのにです。

現代の我が国で考えても、墓の形は多様性に富んでいると言っていいでしょう(一応、仏教系の墓を対象にします)。
墓石ひとつとっても、一般的な直方体だけでなく、昔から宝塔とか五輪塔とかの形のものもありますし、最近では、本人の意思、生前の業績、趣味嗜好などにより、さらに様々な形態の墓石が作られています。
例えば、お酒が好きだった父親のために、缶ビールの形にしたと言う話を聞いた記憶があります。

現代とはチョット違うかもしれませんが、日光東照宮も、徳川家康の墓といえば墓な訳です。

極論を言えば、何かを墓だと言えば、それが墓になると言っても良いかと思います。

古墳も同じ

 古墳の形状に関しても、同じような事だったのではないでしょうか。

ある時点で、誰かが、またはある集団が、墓を作る時に様々な理由で、ある形状を考えたというだけの事ではないか。
勿論、考えた側にとっては、それなりの理由があったとは思いますが、それらに共通する背景のようなものは無かったのではないかという事です。

例えば、古墳時代の代表的な前方後円墳に関しては、最初に誰かが作って、はっきりとした理由は分かりませんが、天皇家でも採用したことに拠り、各地の支配者層が取り入れたという事ではないでしょうか。
それ以外の地位の人には、ある意味忖度したために、前方後円墳以外の古墳も作られたという事だと思います。

まあ、そこに世界観、死生観といったものはあまり関係なく、一種の流行だったのではなかったかと思うのです。 

それを裏付けるかのように、6世紀末の第31代用明天皇以降は、現代にいたるまで、天皇の陵墓としての前方後円墳は、作られていません(の筈です)。


 以上、色々と考えてきましたが、前方後円墳に関しては、結局のところ、あのデザインそのもののインパクトが大きかったのではないかと思っています。


ではでは