『古事記』は国内向け、日本書記は海外向け?
いずれも、古代日本の歴史を伝えるものですが、一般的には、『古事記』が国内向け、日本書記が国外向けに、それぞれ作られものだと説明がされることが多いです。
これは、概ね以下のような論拠に拠っています。
- 日本書記は漢文で書かれているが、『古事記』は、その当時の日本人にはより読みやすいと思われる、変体漢文(和化漢文)で書かれている。
- 日本書記は編年体で書かれており、公式な歴史を示そうとしているのに対して、『古事記』は物語性の高い記述になっている。これも、読みやすさを狙ったものとも考えられる。
- 天皇家に至る神話が、『日本書紀』では全30巻中の2巻であるのに対し、『古事記』では、全3巻中の1巻を占めており、より天皇家の正当性を示す事に焦点が当たっている。
いずれも天武天皇によって作られた?
こういった考え方がされる背景には、加えてもう一つ別の、最大とも言える要因が有ります。
それは、何れの書も、天武天皇によって作られたものだと考えられているという事です。
同じ人物が作らせたという事で、自ずと二つの書の存在理由を考える事になっているわけです。
この点について、以前の記事で、『古事記』に推古天皇までの記述しか無い事などを手掛かりとして、『古事記』は、推古天皇の次代舒明天皇の時期に、物部氏によって書かれたのではないかと考えました。
舒明天皇の在位は、629年から641年と考えられていますので、『古事記』の方が、成立が80から90年古いという事になります。
当然、『古事記』に天武天皇の意志が反映するはずもなく、わざわざ『記紀』を作り分けたと考える必要はない訳です。
ただ、『古事記』が、上記の記事でも書いたように、物部氏によって、舒明天皇側に売り込むためのものだったとすれば、国内向けに作られたように見えるのは、当然と言えば、当然と言う事になります。
『古事記』の記述は信用できない?
以上のような背景があるとすると、物部氏が私的に作ったとも言える『古事記』の内容は、偽書とまでは言えないものの、正史である『日本書紀』のそれに対して、信頼性の劣るものという事になるのでしょうか。
しかしながら、物部氏の都合のいいように、好きなことを書けたかといえばそうでもないはずです。
なぜならば、舒明天皇側に売り込むことを前提としている訳で、天皇家側の正当性を疑うようなことは書けなかったと思われるからです。
という訳で、たとえ、物部氏側には、それなりの異なった話が伝わっていたとしても、『古事記』には、それが作られた当時の、一般に流布していて、天皇家側から見ても問題の無いと思われる話が書かれていると考えていいのではないでしょうか。
という訳で、『古事記』は、『日本書紀』のような正史ではないものの、『日本書紀』より100年近くに前に一般に流布していた話を基にした、私的な歴史書だという事になります。
ではでは