横から失礼します

時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

RFIDで災害時の救助を

 RFIDを災害時の救助に利用出来ないか、と言う話です。

 

 

ユニクロのセルフレ

 先日、久しぶりに近所のユニクロに行ったら、レジがセルフレジになっていました。

ルフレジと言うと、最近スーパーなんかに置かれるようになって来ました。
たまに使う機会も有るんですが、自分でバーコードを読み取って、清算をするもので、基本的にレジ係の人の替わりを自分でやるというものな訳です。

ところが、ユニクロのものはチョット驚きのものでした。

指定の場所に、カゴに入れたままで置くと、それ程間を置くことなく、個数と、金額が表示され、清算を行うだけと、SF感満載でした。

タネと仕掛けはRFID

 色々と調べてみると、タネと仕掛けは、RFIDと言うものでした。

商品タグの中にICチップとアンテナがあり、ICチップにはいっている商品情報を、セルフレジの機械が、バーコードの替わりに、読み取る、というもののようです。

Suicaなんかと同じようなものが、商品タグになっていると考えればいいかもしれません。

Suicaと同様に、電池が入っているわけではなく、レジ側から出た電波を、タグ側のアンテナで受け、その電力でICを動かして、商品情報をアンテナから送り返す、ということをやっているようです。

アンテナで電力が取れるのかとも思いますが、よく考えれば、昔懐かしいゲルマラジオのようなものと考えればいいのかなと。

災害時に使えないか

 ユニクロのタグについては分かりませんが、作り方によっては、メートル単位の距離で使えるシステムも可能なようです。

とすれば、RFIDをペンダント、ブレスレットのようなものにして、身につけておき、災害時の救助に利用するというのはどうでしょう。
がれきの中などを捜索する時に、先ずRFIDの有無を捜索するようにする訳です。

設計の仕方によっては、ドローンからの捜索も出来るかもしれません。

商品タグとして使用する場合には、どの商品か識別出来なくてはならないので、個別の情報をRFID側に持たせる必要があります。
しかし、災害時には、救助が必要な人がいるかどうかを知ることが目的で、それが誰であるかは必要ありません。
誰であるかは、助けた後で調べればいいことですからね。

という訳で、災害用のRFIDは、同一の信号のみ返すようにして、その他の情報を組み込めないように設計することとします。
こうすれば、日常的に身に着けても、プライバシーの問題は無くなると考えられます。

コスト的にも、商品のタグに使用出来るぐらいなので、許容出来る範囲に収まると思われます。


 もちろん、人間だけでなく、ペットにも利用可能です。


 ではでは

 

 

「源氏物語」関連まとめ

 「源氏物語」関連のまとめです

最初は、源氏物語の謎(前編)、(後編)のみのつもりで書き始めたんですけど、書くために色々調べているうちに、自分でも予想外の展開となりました。

自分自身の整理も兼ねて、まとめてみます。

 

 

藤原道長が第一部を利用した

源氏物語」と同時代の才能ある女性達が、なぜ同じような作品を残さなかったのかという疑問が、昔からありました。

一般的に三部作と考えられている、「源氏物語」の第一部 桐壷から藤裏葉までを、光源氏の栄華物語と捉えて、藤原道長天皇の権威を相対化するために利用したと考えると、色々と説明がつくと思いつきました。

源氏物語」の背後に藤原道長がいるために、同じような作品が書かれることは無かった訳です。

以上の事を踏まえて、紫式部は第一部しか書いておらず、第二部、第三部は、天皇側からの、藤原道長への反論だと考えました。

天皇の権威をないがしろにすると、因果応報により、自らのみか子孫までも幸せになる事は出来ない、という訳です。

 

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紫式部はいつ「源氏物語」を書いたか

 第一部二系統説と、「紫式部日記」に見られる道長の不可解な行いから、紫式部が「源氏物語」を書いた時期を推定しました。

宮中への出仕以前に紫上系17帖を、出仕した後に、玉鬘系16帖を書いたと考えました。

 

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源氏物語」第二部、第三部は、誰が誰に書かせたのか

 「源氏物語」第二部、第三部の作者は、与謝野晶子の説を取って、紫式部の娘大弐三位だと考えました。

彼女に対して

道長の後を継いで摂政となった長男頼通に対して、母の違いから不遇をかこっていた弟能信が、摂関家の権威を損なう事を目的に

または

道長の長女彰子が、自ら養育した親王の、立太子の問題に絡んで、父親を怨んでいたとする話が有ることから、父を困らせようとして

第二部、第三部の作成を依頼したと推定しました。

第一部への天皇側からの反論と言うよりは、藤原北家内部での問題から書かれたという事になります。
それが結果として、反論の形に成った訳です。

 

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大弐三位はいつ書いたのか

 「更級日記」の記述内容から、大弐三位は、母紫式部の後を継ぎ一条院の女院彰子の女房として出仕した、1017年から、1021年の間に書いたと推定しました。

 

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源氏物語」の作者と製作時期

 現時点での、「源氏物語」の作者と製作時期についての仮説は、
  第一部紫上系17帖 紫式部が出仕前に
  第一部玉鬘系16帖 紫式部が出仕後に
  第二部、第三部  大弐三位が出仕後に

という事になります。

 


 結局のところ、藤原北家の内部問題から最終的な形になったと考えた「源氏物語」が、道長とその息子達のその後を暗示するものとなったのは、やっぱり因果応報なんですかね。

 

 ではでは

 

 

 

紫式部はいつ源氏物語を書いたか

 「源氏物語」第一部の書かれた時期についての話です。

 

 

藤原道長の不可解な行い

 「紫式部日記」に、次のようなくだりがあります。

 

局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿にたてまつりたまひてけり。

 

引用元:紫式部日記 (渋谷栄一校訂) - Wikisource

 

 

 一般的に、道長紫式部の部屋をこっそり探して、隠しておいた物語を持ち出し、「内侍の督の殿」妍子(道長の二女)に渡した、と解釈されています。

物語は、「源氏物語」と考えられています。

このくだりの少し前に、藤原公任紫式部に対して「この辺りに若紫は居られませんか」と声をかけた話が出て来ます。

それほど、人口に膾炙した物語を、道長ほどの地位と権力を持った人物が、娘のために手に入れるのは、それほど困難だったとは思われません(というか、私の考えでは、道長が広めたんですけどね)。

ましてや、紫式部の部屋から、こっそりと持ち出す必要は、全く無かったはずです。

道長は、なぜそんなことをしたのでしょうか。

第一部二系統説

 源氏物語」第一部が、現在読まれているような順序ではなく、紫上系と玉鬘系の、二系統からなっているとする説があります。

二系統は次のようになります。

紫上系17帖
桐壺、若紫、紅葉賀、花宴、葵、賢木、花散里、須磨、明石、澪標、絵合、松風、薄雲、朝顔、少女、梅枝、藤裏葉

玉鬘系16帖
帚木、空蝉、夕顔、末摘花、蓬生、関屋、玉鬘、初音、胡蝶、蛍、常夏、篝火、野分、行幸藤袴、真木

二系統の関係については、

  • 紫上系の巻だけをつなげても、光源氏が栄華を極めるところで終わる物語として読める。
  • 紫上系の登場人物は、紫上系・玉鬘系のどちらの巻にも登場するのに対して、玉鬘系の登場人物は玉鬘系の巻にしか登場しない。
  • 玉鬘系は、源氏物語全体のストーリーと絡まないという短編的・外伝的性格を持つ。

等のさまざまな理由から、まず紫上系が執筆され、玉鬘系はそのあとに、一括して挿入されたものである、とする説があります。

道長の持ち出したもの

 そうであるならば、道長が、紫式部の部屋からこっそり持ち出したものについて、一つの仮説が浮かび上がります。

先ず、紫式部は、宮中に出仕する前に、紫上系17帖を完成していたと考えます。
元々は、これが「源氏物語」だったのです。
それを、道長が読んで、外戚としての権力を知らしめることに、利用出来ると考えた訳です。

そして、出仕した後に、玉鬘系16帖を書いたのではないでしょうか。
中宮彰子に、新たな光源氏の話を求められたか、ひょっとしたら、懐妊した中宮彰子のために書いたという可能性もあるかもしれません。

いずれにしても、玉鬘系16帖の出来上がったのが、道長が忍び込んだ直前の時期だったと考えれば、色々と符合しそうです。

つまり、道長の持ち出したものは、出来上がったばかりの、玉鬘系16帖だったのです。

持ち出した話のすぐ前の部分で、出産の終わった中宮彰子が、内裏に帰る前に、物語の御冊子を作る様子が出て来ますが、この物語も出来上がったばかりの、玉鬘系16帖だと思われます。


 中宮彰子は、この時の経験があったので、後に、紫式部の娘大弐三位に、第二部、第三部を書かせることを思いついたのかもしれません。


 ではでは

 

大弐三位は誰に頼まれたのか

 「源氏物語」第二部、第三部(以下後編)を書かせたのは誰かという話です。

 

 

もう一つの可能性

 以前の記事で、「源氏物語」後編は、異母兄弟の頼通が摂政になったことに対抗して、その権威を減ずべく、藤原能信大弐三位に依頼したのではないかと考えました。

ここで訂正を一つ。
同記事の中で、「女院彰子を通じて一条院に披露すれば」、と書きましたが、大弐三位が出仕した時には、一条院はすでに亡くなっていますので、これはあり得ませんでした。

 

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その後、説を補強するための情報を求めて、あちこち調べていて、依頼者に関して、もう一つの可能性が有ることに思い至りました。

それは、大弐三位が女房として仕えた、女院彰子です

女院彰子

 女院彰子は、藤原道長の長女です。

藤原道長については、別の記事で、「源氏物語」第一部を、自らの権力を知らしめるために利用したと考えました。

 

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その道長の長女である彰子が、父親の権威を貶めるような内容の「源氏物語」後編を、書くことを依頼する可能性はあるのでしょうか。

彰子と道長の関係に、ヒントが有りました

道長と彰子

 彰子は、一条天皇の后となります、その時すでに、一条天皇には、后の定子(道長の兄藤原道隆の娘)がいました。

定子が第一皇子敦康親王(あつやす しんのう)を残して亡くなります。
そのため、彰子が敦康親王を引き取り、養育することになりました。

その後、彰子も、第二皇子敦成親王(あつひらしんのう)、第三皇子敦良親王(あつながしんのう)を生みます。

一条天皇が、三条天皇に譲位すると、敦成親王が皇太子となりました。
彰子からすれば、自分が産んだ子が、皇太子となった訳です。

彰子にとって喜ぶべきことの筈ですが、一条天皇が、第一皇子・敦康親王を推していたことを知っていた上に、同親王を我が子同然に養育したこともあり、敦成親王立太子を後押しした、父道長を怨んだとする話も残っているようです(「権記」)。

以上の事から、彰子が、意趣返しとまでは言いませんが、父道長を困らせようとして、出仕した大弐三位に頼んだ可能性は考えられると思います。

そうだとすると、大人気ないとも思えますが、実は、敦康親王を引き取ったのが彰子13歳、敦康親王2歳、敦成親王立太子は同23歳、12歳の時のことなんですよね。
判らないではないです。

女院彰子が依頼したとなれば、出来上がった「源氏物語」後編を、宮中に披露するのは、難しくなかったはずです。


  藤原能信女院彰子の二説を比べると、彰子の説に分があるような気がして来ました。


  ではでは

 

 

 

 

 

 

ストラディバリウスを目指して

 ストラディバリウスらしきものを作れないかな、という話です

 

 

ストラディバリウスの秘法

 ストラディバリウスに関しては、前回の記事で少々ディスってしまったのですが、300年以上の歴史が有る訳で、音楽センスが無いながらも、何かあるはずだとは思っているんですけどね。

 

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例えば、ストラディバリウスの音色を生み出す秘法に関しては、塗られているニス、木材の前処理等、様々に言われています。

本当にそんなものが有ったのでしょうか。

しばしば、ヴァイオリンの3大名器として、アマティ、ガルネリ、そしてストラディバリウスが上げられるようですが、実はその作者たちは、ガルネリとストラディバリが、アマティの弟子という関係にあります。

こう見ると、師匠から弟子に引き継がれる、名器を作る秘法が有るように思えます。
が、そんな秘法が有るとして、二人の弟子も名器を作っているので、北斗神拳のように一子相伝ではないようです。

であるならば、その秘孔秘法が途絶えてしまうとは考えにくいですよね。
その後も、名器が出ているはずです

ストラディバリウスの秘密

こんな研究があるようです。

CTスキャナーでストラディバリウスを調べたら、使われている木材の密度が非常に均一であったというのです。

その理由として、製作された当時が、氷期の只中で、気温が一年中比較的低温で、木の成長速度が、一年を通じてあまり違わなかったからではないかと、考えられているようです。

普通、夏と冬の成長速度の違いが、密度ひいては色調の違いになり、それを年輪と呼んでいるのですが、その成長速度が比較的一定だったという訳です。

つまり、三大名器には秘法など無く、使った材料が、今では手に入らない(小氷期どころか温暖化ですからね)性状を持ったものだったから、名器たり得たという訳です。

もっとも、その時期に、名工が居合わせたという偶然もある訳ですけど。

ストラディバリウスを目指して

現代では手に入らないとしたら、人工的に、均質な木質材料を作ってしまうというのはどうでしょう。

セルロースナノファイバー(CNF)というものが有ります。

簡単に言うと、材木から作られ、紙の原料にもなる、セルロースを非常に細かくしたものです。
これの利用法の一つとして、色々なプラスチックに混ぜて、様々な機能のものを作る研究が行われています。

これを転用して、ストラディバリウスと同じ密度を持った材料を作成し、それでヴァイオリンを作成するのです。

プラスチックでいいのかと言われそうですが、元々、木というものも、極乱暴な言い方をすれば、セルロースを、リグニンという天然のプラスチックのようなもので固めたものとも言えるので、それほど掛け離れている訳ではないと思います。

もしこの方法で、それなりの音色が出せれば、プラスチックな訳ですから、金型を使った成型による生産も、原理的には可能なはずで、ヴァイオリンが、リコーダーやピアニカのように身近なものになると思うのですが。

CNFの研究をしている研究者の方、やってみませんか。


 目指すは、もちろん、クレモナのコンクールです。


ではでは

 

 

 

ヴァイオリンのコンクール

 ストラディバリウスについての話です。

 

 

ヴァイオリンのコンクール

 TVでヴァイオリンコンクールのドキュメント番組を見ました。

コンクールと言っても、よくある演奏者のものではなく、新作のヴァイオリンそのもののコンクールでした。

こんなコンクールが有るんだと思いながら見ると、イタリアのクレモナで3年に1回開かれる、A.ストラディバリの名を冠した、世界的弦楽器コンクールの話でした。

そう、あの、クラシックに興味がない人でも、名前だけは知っているであろう、ストラディバリウスの製作者の名を冠したコンクールです。

ちなみに、イタリアのクレモナに、A.ストラディバリの工房があった事にちなんでいるようです。

ストラディバリウスは名器

 チョットややこしいんですが、楽器の名前がストラディバリウスで、製作者の名前がストラディバリだそうです。

それはともかくとして、ストラディバリウスと言えば、ヴァイオリンの名器という事になっています。
トンでもない金額で取引されたとか、手に入れるために、自宅を売ってしまったとか、色々な話が聞こえてきます。
これをもって、弦楽器製造の頂点に達したと考える見方もあるようです。

そうは言われても、音楽的センスの乏しい、へそ曲がりとしては、本当かよと思ってしまうんですよね。

名器と言われている、ストラディバリウスだから、素晴らしいという理由を、色々と考えているんじゃないのと。

客観的な評価

 へそ曲がりをぎゃふんと言わせるためにも、客観的な評価を行うというのはどうでしょうか。

これまでにも、何度か、ストラディバリウスとそれ以外のヴァイオリンを、極力評者には、どれなのか判らないようにして、評価を行うといったことが行われたようです。

しかし、そういった方法では、どれなのか判らないにしても、評者は、ストラディバリウスが有ることが分かっているわけで、どうしてもバイアスを排除しきれない、と思うんですよね。

そこで、この話の始まりとなった、ヴァイオリンのコンクールを利用する方法を考えてみました。

件のコンクールは、新作のヴァイオリンを審査するものですが、そこに、ストラディバリウスを新作と言って出品するのです。

経年変化による古色はある訳ですが、「そのあたりも、完全に再現することを目指しました」、とか言って、売り文句にすれば、怪しまれずに済むんじゃないでしょうか。
まさか、ストラディバリウスが出品されるとは、考えもしないでしょうから。

で、普通にコンクールの審査を受け、結果やいかに、という訳です。

これならば、人間のやることなので、完璧とはいかないまでも、比較的客観的な評価が得られそうですよね。

ストラディバリウスをポンと買える、お金持ちの方、どなたかやってみませんか。


 音楽の授業が一番嫌いだったへそ曲がりが、いちゃもんを付けているだけですので、悪しからず。


 ではでは

 

更級日記を忘れていました

 「更級日記」と、「源氏物語」の書かれた時期についての話です。

 

 

道長の死んだ後では矛盾が

 源氏物語の謎(後編)で、「源氏物語」第二部、第三部の公になったのは、権力者藤原道長の無くなった1028年より後ではないかと書きました。

 

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が、これは、結論を焦ったチョンボでした。

というのも、それでは、菅原孝標女による「更級日記」に出て来る、「源氏物語」に関する話と矛盾してしまうからです。

更級日記源氏物語

 「更級日記」に、父・菅原孝標に従って、任地の上総より京に帰国した翌年に、源氏の五十余巻を手に入れるくだりが出て来ます。

菅原孝標が帰国したのは、1020年なので、菅原孝標女が源氏の五十余巻を手に入れたのは、1021年のことになります。

つまり、源氏物語」は、1021年の時点で全て出来上がっていたことになる訳です。

ところで、「更級日記」は、いわゆる毎日書いた日記ではなく、菅原孝標女が、後年その人生を振り返って書いたものとされており、手に入れたくだりは、40年以上昔のことなので、その正確性に疑問が無いわけではありません。

しかし、物語を読みたくてしょうがなかった少女時代に、やっと手に入れた源氏の五十余巻に関する記憶は、鮮烈だったと思われ、何年もの単位で間違っているとも思えません。

やはり、道長の亡くなる前に、「源氏物語」は存在していたようです。

大弐三位はいつ書いたのか

 そうなると、「源氏物語」第二部、第三部を、大弐三位が書いたとすると、いつ書いたのでしょう。

実は、道長は、生前の1017年に、嫡男の頼通に摂政を譲っています。

一方、大弐三位は、同じ1017年に、母紫式部の後を継ぎ一条院の女院彰子の女房として出仕しています。

この状況で、異母兄弟の頼通が摂政になったことに対抗して、その権威を減ずべく、藤原能信大弐三位に依頼した可能性が考えられます。

大弐三位は、1017年から1021年の間に書いた事になります。

摂政を退いたとは言え、まだまだ権力を掌中にしていた道長ですが、大弐三位が、書いたものを、女院彰子を通じて一条院に披露すれば、異を唱えることは出来なかったのかもしれません。

ちなみにこの時、大弐三位は18~21歳の時期でした。


 紫式部の生年に関しては諸説あるようですが、一説によると、23歳ごろから、「源氏物語」を書き始めたことになるようです。
全く、遺伝のなせる業なのか、驚くべき親子だという事になります。


  ではでは

 

源氏物語を書いたのは誰か

 源氏物語の作者に関して考えてみた話です。

 

 

与謝野晶子の二部作説

 前の記事で、紫式部は、「源氏物語」の第一部のみを書いた、と考えました。

 

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すると必然的に、残りの第二部、第三部は誰が書いたのか、という事になります。

これに関して、「源氏物語」の現代語訳を三度試みた与謝野晶子が、「若菜」以降の全巻が、別人の作であるとする、二部作を提唱しています。

前記事で、「源氏物語」が書かれた当時の政治状況と物語の内容から、第一部(前編)と第二部、第三部(後編)の作者が異なる、と考えました。

与謝野晶子は、文学者としての観点で、その内容、筆致の違い等から二部作だと考えたようです。

後編の作者

 さらに、与謝野晶子

前編の作者に拮抗して遜色のないこの後の作者は誰であろうか。一読して婦人の筆であることから、当時の女歌人のなかに物色すると、古人の言ったように、大弐三位が母の文勲を継いだのであろうと想像するほかに、その人を考え得ない。
 引用元:pearlyhailstone: 与謝野晶子「紫式部新考」

と、後編の作者の正体については、紫式部の娘大弐三位だと考えたようです。
ちなみに、「古人の言ったように」、というのは、「宇治十帖」が大弐三位の手によるものでは無いか、と言われていたことによります。

後冷泉天皇東宮時代にしばしば宇治に行啓したのに、御乳母の大弐三位がお供をして行き、宇治をよく知っていたはずだというのも、傍証になると考えたようです。

この大弐三位説は、当時の政治状況から見て、どうなんでしょうか。

当時の政治状況

 「源氏物語」第一部を公にした摂政藤原道長の後を受けて、長男の藤原頼通が摂政となり、その後関白に任ぜられます。
さらにその弟藤原教通も、摂政、関白となります。

まさに、藤原北家による摂関政治の全盛期でした。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」
道長が、詠んだりしました。

それほどの権力は、「一家立三后、未曾有なり」と言われたように、娘を天皇の后とし。皇太子をもうけることにより、外祖父となることに拠っていました。

しかし、道長の子、頼通、教通ともに、娘を后としますが、皇太子をもうけることが出来ずに、次第に力を失う事になります。

対抗勢力

同時期に、頼通、教通の異母兄弟で、母の違いから不遇をかこっていた藤原能信が、尊仁親王(のちの後三条天皇)の後見人になっています。
尊仁親王は、生母が藤原家ではありません。
つまり、能信は、頼通、教通と対立関係にあった訳です。

その後、後三条天皇とその子の白河天皇による親政とその後の院政により、摂関政治は終わることとなります。

以上のような状況の中で、能信が、頼通、教通に対抗する方策の一環として、同じ藤原北家の出である大弐三位に、「源氏物語」第一部への反論としての続編を依頼したという事は、あり得る話だと思います。

大弐三位紫式部の娘という点も、続編を公にし易いと考えたかもしれません。(あの紫式部の娘が書いた続編です、といった感じで。)

また、大弐三位自身にも、与謝野晶子が書いているように、母の文勲を継ぎたい、という思いがあったのかもしれません。


ということで、政治状況から考えても、「源氏物語」の作者は、第一部紫式部、第二部、第三部大弐三位、の可能性が有るという結論になりました。

 


 しかし、紫式部藤原北家の出だという事を考えると、全ては藤原北家の中での話とも言えるわけで、恐るべし藤原北家というところでしょうか。


 ではでは

源氏物語の謎(後編)

 今回は、源氏物語に関する疑問についての話(後編)です。

 

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成立前

 紫式部は、夫の死後、「源氏物語」を書き始め、その文才を認めた藤原道長に召し出されて、一条天皇中宮の彰子に仕えている間に「源氏物語」を完成させた。

源氏物語」の成立に関しては、諸説はあるが、概ね以上のように考えられているようです。

なお、中宮彰子は藤原道長の娘です。

藤原道長は、ただ単に紫式部の文才を認めて、娘の女房に召し出した訳ではなく、彼女が書いていた「源氏物語」が利用できると考えたのではないかと思います。

第一部のテーマ

 「源氏物語」は、通常以下の3部構成と考えられています(異論も多くあります。)。
  第一部 第一帖 桐壷から、第三十三帖 藤裏葉まで
  第二部 第三十四帖 若菜から、第四十四帖 竹河まで
  第三部 第四十五帖 橋姫から、第五十四帖 夢浮橋まで(いわゆる宇治十帖)

第一部の内容は、光源氏の華麗な女性遍歴をあえて無視すれば、彼が栄華を極める物語という事が出来ると思います。

問題は、その栄華の極め方に有るのです。

光源氏は、桐壷帝(父でもある)の寵愛する女御桐壷と密通をして、不義の子をもうけてしまう。
その子は長じて、冷泉帝となります。
その冷泉帝により(彼は、光源氏が父だという事を知っています。)、光源氏は、准太上天皇位を贈られて、栄華を極めることになるのです。

后との不義の子が天皇になって、本当の父親が栄華を極める、という内容の物語を利用する事によって、藤原道長は、天皇の権威の相対化、ひいては外戚としての自らの権威、を知らしめたのだと思います。

第二部、第三部による反論

 第二部と第三部は、上記のような第一部を突き付けられた、天皇側からの反論だったと考えます。

その内容は、ポイントのみ書けば、
 第二部 光源氏の後半生を描く。妻が不義の子 薫を産んでしまう。
 第三部 不義の子 薫の話。愛する者の密通を咎め、失ってしまう。
と、第一部の光源氏の行為の裏返しを思わせるもの、となっています。

つまり、天皇の権威をないがしろにすると、因果応報により、自らのみか子孫までも幸せになる事は出来ない、という事を示している訳です。

成立後

 ということで、紫式部が書いたのは、第一部だけだったと思います。
紫式部日記」にある1008年時点では、第一部だけが完成していたという事になります。

第一部を公にすることが出来るほどの権力が有る(何しろ、天皇の后が不義の子を産んでしまう話、ですから。)、藤原道長の存命中は、その力関係から、天皇側も公然と反論出来なかったと思われます。

そのため、第二部と第三部が公になったのは、藤原道長の亡くなった1028年以降だったと考えられます。
そして、その反論が公になった後に、「浜松中納言物語」、「狭衣物語」、「夜半の寝覚」などが書かれることになります。

当然、このあたりの状況は、「源氏物語」の発表当時の宮中の女性達も理解していた、と考えられます。
同時代の女性達は、「源氏物語」が権力闘争の道具として使われている中で、同じような物語を書くことは出来なかったという事です。

 

 最初に第一部みたいのを書いちゃうという事で、紫式部がすごいことに変わりはないんですけどね。

 

 ではでは

 

 

 


 

 

 

 

 

源氏物語の謎(前編)

 今回は、源氏物語に関する疑問についての話(前編)です。

  

 

源氏物語の評価

 「源氏物語」と言えば、おそらく、誰もがなんとなく内容を知っているけど、ちゃんと読んだことのない本のランキングでは、間違いなく上位にランクされるに違いないですよね。

私も、何度かトライしては、挫折を繰り返し、あらすじだけで読んだ気になっている口です。

その「源氏物語」ですが、現代においては、「世界最古の長篇小説」(異論はあるようですが)の傑作として、翻訳が海外にも紹介され、世界的な評価を受けています。

もちろん、54帖からなる長編が、成立した平安時代から今に至るまで伝わっていることから、書かれた当初から、ある程度の評価を受けていたことは間違いないと思われます。

そのことは、作者とされる紫式部の「紫式部日記」の1008年の記述に、敦成親王後一条天皇)の誕生祝いの宴で、藤原公任紫式部に対して「この辺りに若紫は居られませんか」と声をかけた、とあることからも裏付けられる、と考えられています。

紫式部に「源氏物語」のヒロインの一人の名前で話しかける程、宮中の人間にも知られていたという訳です。

ちなみに、このことをもって、1008年には「源氏物語」が出来上がっていた、と考えられています。

またその評価が高かったことは、同じ平安時代に「源氏物語絵巻」が作られたことからも明らかでしょう。

当時の宮中

 紫式部が「源氏物語」を書いた当時、宮中には、後宮の后に仕える女房達をはじめとして、中流貴族の娘が出仕することが多かったようです。

彼女たちは、当然教養も高く、結果、当時の宮中には、当代の女流の文学的才能のかなりの部分が集まることになっていた、と考えられます。

例えば、紫式部が、藤原道長の娘の中宮彰子に仕えていた同じ時期に、和泉式部赤染衛門などが、少し前に清少納言が、後宮にはいました。

そういった状況の中で、「源氏物語」が書かれ、評判を取った訳です。

評判が高かったのに

 それに対して、宮中の少なくない数の才能ある女性が、「この手があったか」と考えたに違いないと思うのです。

漢詩でも、和歌でも、そして日記でもない表現方法に出会ったわけです。

それこそ、雨後の竹の子のように、似て非なる作品が生み出されてもおかしくは無いですよね。

それなのに史実では、そのような様子は見られないのです。
なぜ、彼女たちは、物語を書かなかったのでしょう。

源氏物語」の影響を受けたと考えられているものが、全く無い訳ではありません。
「浜松中納言物語」、「狭衣物語」、「夜半の寝覚」などが上げられますが、いずれも11世紀後半以降のものです。
源氏物語」の成立は1008年以前ですので、2世代程の隔たりが有る訳です。


 私は、同時代の女性たちは、書かなかったのではなく、書けなかったのだと考えているのですが、その話は、後編で。


 ではでは

 

スマホはコンパニオンロボの夢を見るか?

 コンパニオンロボットについての話です。

 

 

コンパニオンロボット

 最近、コンパニオンロボットのニュースを見ることが、多くなってきているように思います。

例えば、動物タイプの

f:id:t_arata:20190826194453j:plain

引用元:株式会社 知能システム

 

とか、

f:id:t_arata:20190826194814j:plain

引用元:可愛いすぎる家族型ロボット「LOVOT」(らぼっと)体験会へ!気になる価格(値段)は?(GROOVE X) | RAKUNI - ラクニ -

 

みたいに、動き回るようなタイプとか、色々ありますよね。

一つ欲しいなと思うんですけど、それなりの機能の物は、それなりの費用が掛かるんですよね。

少なくとも、数十万円単位の費用が掛かるようです。

もうチョットどうにかならないかと思うんですよ。

スマホが有るのだから

 詳細に検討した訳ではないですが、コンパニオンロボットに関する情報を見る限り、動くことと、接触等の特殊なセンシングは別にして、その他のものは、スマホでも出来そうな感じです。

大体、今のスマホは、ちょっと前のスーパーコンピューター以上の性能が有る上に、カメラをはじめとした各種センサーが入っている訳で、使わない手は無いと思います。

加えて、前の記事で考えた、共感の対象となるインターフェースを持ったスマホなら、ほとんどそのままでコンパニオンロボットの頭脳として使えそうです。

 

yokositu.hatenablog.com

 

ボディを用意すれば

 イメージとしては、ボディと専用のソフトを購入する形を考えます
ボディとスマホのインターフェースを、ハード、ソフト共に標準化することにより、互換性を持たせます。
後は、ボディの設計次第で、様々な形態のものが可能になる訳です。

移動手段、接触センサーなどのスマホにない機能は、ボディに内蔵します。

在宅時に、充電も兼ねてスマホをボディにセットするようにします。
コストの面から考えれば、セットしたスマホが、顔になることになるかなと。

カメラにより、人物を個別に認識します。

個人的には、動き回るタイプで、呼べば来るようなものが希望です。
その場合、現代風のオールフローリングのバリアフリーな住居に住んでいるわけではないので、敷居とか畳が有っても動ける機能が欲しいです。
例えば、比較的大口径のソフトなワイドタイヤの4輪タイプ、みたいなことになるのでしょうか。

見守りに対応も

 そのままで、見守りのシステムとしても、利用出来ると思います。

当然ながら、利用者を認識している訳なので、AIの機能により、非常事態を検出することも可能なはずです。

頭脳部分はスマホを使っているので、通信機能を使って、自動で連絡することも可能です。

以上のことは、スマホの機能で対応可能なので、基本的に追加の費用は掛からないと思われます。


 本当に欲しいのは、小さなタチコマだったりするんですけどね。


 ではでは

 

 

スマホは電気羊の夢を見るか?

 スマホのインターフェースについての話です

 

 

現状は全て外国製

 今時のスマホは、iPhoneiOSとAndroidOSを搭載したもので、ほぼ占められています。

最近これに、Huaweiが開発中のHarmonyOSが参入するとかしないとか、話題になっています。

いずれにしても、全て外国製です。

もうチョット日本勢にも頑張ってほしいですよね。

iPhone

 iPhoneが初めて発表された時は、ちょっとした衝撃でした。

何しろ、ほぼ画面のみで、テンキーなどは一切無かったんですから。
最初見たときに、どうやって通話時に使うんだろうと、思ったことを、覚えています。

キー入力の替わりに、画面をタッチしたり、フリックとか、今じゃ当たり前ですけど、そうかその手があったか、とやられた感が強かったです。

現状OSの特徴

 その後に台頭してきたAndroidOSも、細かい違いはあるにせよ、基本的な考え方は同じと言っていいでしょう。

HarmonyOSについても、開発中なので確定的なことは言えませんが、最近の情報を見る限り、同じ方向を向いているようです。

これらのOSの共通点は、スマホを道具として扱っているという事だと思います。
道具としてのスマホを、いかに機能的に使うかに力が向いている。

まあ、スマホは道具で間違いないと言えば、間違いないんですけども。

単なる道具ではないスマホ

よくiPhoneで、直感的に操作できるという事が言われます。

でもですよ、使ったことのない人間が、電源を入れて立ち上がった画面を見て、直感的に使えるかと言うと、そんなことは無いですよね。

機能的に徹するあまり、ある程度、道具としての基本的な操作が分かっていないと使えなくなっています。

もっと、スマホと協調して利用していく形にするのはどうでしょう。

立ち上がった画面は、もっとシンプルに

  したいものを、押してください。
      電話を掛ける
      メールの読み書き
      写真を撮る
      その他

ぐらいでいいのではないでしょうか。

後は、SiriのようなAIで、使い方のサポートをするとともに、簡単な話し相手になるようなことも、出来るようにします。
好きな名前で、呼びかけが出来るようにします。

外出時はともかく(周りがみんな喋ったら、うるさいですからね。)、室内では、会話で全て出来るようにすればいいと思います。

スマホを、単なる道具ではなく、共感の対象にするのです。
使っていくうちに、個性が出てくるようにしても良いかもしれません。

まあ全く新しいOSは難しいでしょうから、インターフェースの改良という事になるのでしょうが。


 共感の対象となるスマホの進化バージョンに、ボディを作れば、レプリカントが出来るかもしれません。


 ではでは

ヒトはなぜ知能を獲得したのか

 我々ヒトが獲得した、知能に関しての話です。

 

 

始まりは直立二足歩行

 最初に、Wikipediaの項目「ヒト」からの引用を、読んでみてください。

直立二足歩行によって、ヒトは体躯に対して際立って大きな頭部を支える事が可能になった。結果、大脳の発達をもたらし、極めて高い知能を得た。加えて上肢が自由になった事により、道具の製作・使用を行うようになり、身ぶり言語と発声・発音言語の発達が起き、文化活動が可能となった
引用元:ヒト - Wikipedia 

 これ、よく聞く話ですよね、直立二足歩行をすることになったことが、全ての始まりだったというものです。
その後、脳が大きくなり、空いた前肢で道具を利用し、言語を操るようになったという訳です。

それを基にした、次のような図をよく見ると思います。

f:id:t_arata:20190821202843j:plain

引用元:【第83回】今、人類学がおもしろい! サルからヒトへ、そして現在もなお進化し続ける人類の謎|シュトゥットガルト通信|川口マーン惠美|cakes(ケイクス)

 

恐竜も直立二足歩行

 直立二足歩行と言えば、恐竜もそうですよね。

しかもヒトが直立二足歩行を始めたのが、約700万年前とされているのに対して、恐竜の歴史は1億数千万年にも及びます。

もし、直立二足歩行することにより、知能を獲得することが出来るのならば、恐竜も文明を発達させていなければなりませんよね。

いやいや、実は、今でも地底に恐竜人として生き残っている、というのは、耳の無い猫型ロボットの存在する平行世界の話で、この世界ではそんなものは発見されていません。

ヒトと恐竜の違いは

 以前の記事で、恐竜は木の上で生まれたのではないか、と書きました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

ヒトも木の上で直立二足歩行を獲得した、というのは十分にあり得ることだと思います。

同じ様に木の上で直立二足歩行を獲得した恐竜とヒトが、その後違った道を歩んだのは、地上に降りた時の条件の違いによるのではないか、というのが私の仮説です。

最近の説では、ヒトは、約260万年前から始まった氷河期により、北アフリカ熱帯雨林が草原に置き換わる過程で、地上に降りることを余儀なくされたと考えられています。
樹上生活に適応したヒトには、存亡の危機だったと考えられます。

この、形質の変化による進化では対応できない、急激な環境の変化による存亡の危機に、道具を利用することにより適応したのではないでしょうか。

ヒトは、存亡の危機に瀕したときに、たまたま直立二足歩行を獲得しており、前肢が利用できる状態にあった事で、知能を獲得することになった訳です。

それに対して、恐竜は、鳥盤類、竜脚類、獣脚類の3類が別々に地上に降りたと考えられます。
これは、降りることを余儀なくされたわけではなく、生存可能な環境に進出した結果のように思われます。

加えて、地上で巨大化したことや、広範囲な生息域を見ても分かるように、その存続期間を通じて、滅亡に瀕するような過酷な環境変化には直面せずに済んだと考えられます。

恐竜には、道具を使う必要は無かった訳です。

恐竜の絶滅が、隕石衝突による短時間の出来事ではなく、氷河期によるような比較的時間の掛かるものであったなら、地上は恐竜人のものだったかもしれません。


 ヒトについては、滅亡の寸前までいった時に、黒い直方体の物体に触れることによって道具を使う事を覚えた、という可能性が無いわけではないですけどね。


 ではでは

 

カメラによる監視社会を防ぐには

 カメラの普及による監視社会化について、考えてみた話です。

 

 

カメラの進化

 最近、防犯カメラやドライブレコーダーの映像により、容疑者が逮捕されることが多くなってきたような印象が有ります。

この先、技術が進めば、当然のように全ての人が、ボディカメラを付ける時代が来ると考えられます。

各人の目線で、一日中映像を、音声込みで記録するようになるはずです。

仕事や、趣味の写真は別にして、SNS用の映える写真などは、常に記録している動画から、切り出すものになるかもしれません。

さらに、防犯カメラやドライブレコーダーは、増えることはあっても、減ることは無いでしょう。

監視社会化

 そうなっても、現在の、ほぼ全ての人がスマホなどのカメラ機能を日常的に持ち歩いている状況と、それほど変わらないように思えます。

しかし、これらが、全てオンラインでつながるとしたらどうでしょう。
控え目に言っても、プライバシー丸裸の世界が出来上がりそうですよね。

最近よく聞く、5Gが本格的に普及すれば、それほど大袈裟な話でもないようです。
もし、5Gでダメでも、技術の進歩は止めようがないので、いずれそうなるでしょう。

何とか回避する方法を考えなくてはなりません。

分散化で防止

 私は、分散化が、一つのポイントになるのではないかと考えています。

生の映像データを、ネット上に流すのを、止めるのです。

防犯カメラ、ドライブレコーダースマホ、そしてボディカメラ等の、全ての映像データを、各家庭または組織が持つ専用の記憶装置に記録することにします。

記憶装置は、ネットには繋がっているが、アクセス出来る機器の制限、暗号化等で、外部からのアクセスを排除します。

5G以降の技術を使えば、全ての記録をリアルタイムにすることも可能なはずです。

データを読み出すには、顔認証等の認証システムにより、本人確認を行うことにして、アクセスログを摂ることにします。
これにより、不正使用を抑制します。

所有者は、必要に応じて、データをこの装置から取り出して、SNSなどに使うことになります。
その後のプライバシーに関する問題は、現状と同じという事になります。

犯罪捜査に使用する際は、全て裁判所の許可が必要という事にします。

ドラマなんかでありがちな、防犯カメラの映像をリアルタイムに切り替えながら、犯人を追跡するといったことは、出来なくなります。
そんなレアケース(というか、あるのか)より、プライバシーですよね。


 分散化がデフォルトになれば、結構大きな市場が出来ると思うんですけど、メーカーさんどうですか。


 ではでは


  

UFOは何をしているのか

 今回は、UFOについて,チョット考えた話です。

 

 

何をしているのか

 前の記事で、アメリカ政府がロズウェル事件で、UFOに関するものを回収していた可能性を考えてみました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その中で、陰謀説で語られる、アメリカ政府と宇宙人との間の密約は、まだ成立していないと考えました。

今のところ、世界征服世界の統一をしようという国もなさそうなので、アメリカ以外の国との密約もなさそうです。

だとするならば、何のために、あちこち飛び回って、様々なことをやっているのでしょう。

まるで観光客

はるばる、光年で測るほどの距離を越えて来ているのに、
 火山の中に秘密基地を作る
 道端の電柱の陰から覗く
 キャトルミューティレーション
 誘拐事件
等々、どうしてそんなことをするんでしょうか。

それに、比較的頻繁に目撃される場所が有る点も、気になります。

が、これらのことは、彼らが観光に来ているとすると、説明がつくような気がするんですよね。

火山の中の秘密基地は、宿泊施設。
目撃される場所に偏りが有るのは、ツアーのコースになっているから。
たまに目撃される、母船と考えられる巨大なUFOは、クルーズ船
道端の電柱の陰から覗いたのは、羽目を外した(現地の生命体との接触は禁じられていると考えられるので)ツアー客、または未熟な幼体の悪戯
キャトルミューティレーションは、グルマンの暴走
UFOによる誘拐事件は、地球人を知性体とは認めていない、至上主義の観光客の仕業。(もちろん、許されていないので、被害者は、記憶を消された上で、密かに返される。)

宇宙人でない可能性

 ここまで、UFOに乗っているのは宇宙人という事で、話を進めてきましたが、宇宙人でなくてもこの話は成り立ちそうです。

例えば平行宇宙の生命体、または異次元の住人(超獣は出現していないので、ヤプールではないようです。)、でもいいわけです。

そうだとすれば、火山の秘密基地も、単なる宿泊施設ではなく、マグマのエネルギーを、平行宇宙、または異次元との移動に使う、エネルギー源として利用するためのものとも考えられます。

UFOの突然姿を消すかのような飛び方も、納得できるものになります。

宇宙人がわざわざやって来ていると考えるより、こちらの方がありそうだと思うんですけど。


 ちなみに、メンインブラックのような人たちはいないと思います。
一部の人間がそんな力を手に入れたら、中二病でなくとも、世界征服世界の統一をしようとするはずですからね。


 ここまで、お付き合いいただきまして、ありがとうございます。
信じるか、信じないかは、あなた次第です。


 ではでは