「源氏物語」第一部の書かれた時期についての話です。
藤原道長の不可解な行い
「紫式部日記」に、次のようなくだりがあります。
局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿にたてまつりたまひてけり。
引用元:紫式部日記 (渋谷栄一校訂) - Wikisource
一般的に、道長が紫式部の部屋をこっそり探して、隠しておいた物語を持ち出し、「内侍の督の殿」妍子(道長の二女)に渡した、と解釈されています。
物語は、「源氏物語」と考えられています。
このくだりの少し前に、藤原公任が紫式部に対して「この辺りに若紫は居られませんか」と声をかけた話が出て来ます。
それほど、人口に膾炙した物語を、道長ほどの地位と権力を持った人物が、娘のために手に入れるのは、それほど困難だったとは思われません(というか、私の考えでは、道長が広めたんですけどね)。
ましてや、紫式部の部屋から、こっそりと持ち出す必要は、全く無かったはずです。
道長は、なぜそんなことをしたのでしょうか。
第一部二系統説
「源氏物語」第一部が、現在読まれているような順序ではなく、紫上系と玉鬘系の、二系統からなっているとする説があります。
二系統は次のようになります。
紫上系17帖
桐壺、若紫、紅葉賀、花宴、葵、賢木、花散里、須磨、明石、澪標、絵合、松風、薄雲、朝顔、少女、梅枝、藤裏葉
玉鬘系16帖
帚木、空蝉、夕顔、末摘花、蓬生、関屋、玉鬘、初音、胡蝶、蛍、常夏、篝火、野分、行幸、藤袴、真木
二系統の関係については、
- 紫上系の巻だけをつなげても、光源氏が栄華を極めるところで終わる物語として読める。
- 紫上系の登場人物は、紫上系・玉鬘系のどちらの巻にも登場するのに対して、玉鬘系の登場人物は玉鬘系の巻にしか登場しない。
- 玉鬘系は、源氏物語全体のストーリーと絡まないという短編的・外伝的性格を持つ。
等のさまざまな理由から、まず紫上系が執筆され、玉鬘系はそのあとに、一括して挿入されたものである、とする説があります。
道長の持ち出したもの
そうであるならば、道長が、紫式部の部屋からこっそり持ち出したものについて、一つの仮説が浮かび上がります。
先ず、紫式部は、宮中に出仕する前に、紫上系17帖を完成していたと考えます。
元々は、これが「源氏物語」だったのです。
それを、道長が読んで、外戚としての権力を知らしめることに、利用出来ると考えた訳です。
そして、出仕した後に、玉鬘系16帖を書いたのではないでしょうか。
中宮彰子に、新たな光源氏の話を求められたか、ひょっとしたら、懐妊した中宮彰子のために書いたという可能性もあるかもしれません。
いずれにしても、玉鬘系16帖の出来上がったのが、道長が忍び込んだ直前の時期だったと考えれば、色々と符合しそうです。
つまり、道長の持ち出したものは、出来上がったばかりの、玉鬘系16帖だったのです。
持ち出した話のすぐ前の部分で、出産の終わった中宮彰子が、内裏に帰る前に、物語の御冊子を作る様子が出て来ますが、この物語も出来上がったばかりの、玉鬘系16帖だと思われます。
中宮彰子は、この時の経験があったので、後に、紫式部の娘大弐三位に、第二部、第三部を書かせることを思いついたのかもしれません。
ではでは