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時間だけはある退職者が、ボケ対策にブログをやっています。

邪馬台国はどうなってしまったのか

 以前に、邪馬台国は九州に有ったと思われる、という話をしました。 

yokositu.hatenablog.com

今回は、「魏志倭人伝」以降、忽然と歴史の流れの中に消えてしまったかに思える邪馬台国が、その後どうなったのか、という話です。

当時の中国の状況

 本題に入る前に、邪馬台国のその後に大きく関係していると考えている、当時の中国の状況について話したいと思います。

邪馬台国朝貢した、を継いだ王朝が西晋です。
その西晋陳寿が、「魏志倭人伝」を書きました。
西晋も、御多分に漏れず、代を重ねるうちに徳を失い、国力が衰退し滅亡しました。
ただし、王族の一人が中国南部に逃れて東晋を建てています。

西晋が滅亡した後の中国北部は、五胡十六国時代と呼ばれる、多くの勢力が入り乱れる、大動乱時代に突入することになります。

朝鮮半島にも影響が

 当然、西晋の支配地であった朝鮮半島北部地域も、混乱に巻き込まれることになります。

支配者層の中にも、東晋に逃れた者、侵入してきた勢力と手を結ぶ者等、いろいろある中で、交流のあった邪馬台国に亡命してきた者も、いたに違いありません。

 亡命してきた者が、当時の倭人との文化度の違いから重用され、ほどなく、重要な地位を占めることは、あり得る話だと思います。
何といっても、卑弥呼の時代から約500年前に、すでに始皇帝の「キングダム」の時代で、その差には歴然としたものがあった訳ですから。

それでも、心配事が。そして東へ

 そうなってもまだ、彼らには、心配事があったはずです。
大陸の混乱が、海を渡ってこないかという事です。
今のままでは、彼我の軍事力の差から、ひとたまりも無い、と考えたに違いありません。

そして考えたのが、東遷を行うことだったのではないでしょうか。
瀬戸内海を通して、行き来はあったはずで、東に何があるかは把握していたはずです。
そのことから、瀬戸内海の最も遠い東の端の地域に移り、大陸からの脅威に備えようとしたのだと思います。

そして、大和政権となった

 上で触れた、西晋の滅亡による五胡十六国時代の始まりは309年です。
当然、その後に亡命と東遷が起こったことになりますから、一般に言われる、謎の4世紀に、邪馬台国は九州から畿内に東遷したと考えられます。
東遷していて、朝貢どころではなかったために、中国側に記録がなく、謎の4世紀となったのだと思います。

つまり、邪馬台国は無くなったのではなく、畿内に移り、後の大和政権となったのです。


 もっとも、「邪馬台」が「大和」に変化した訳ではなく、もともと倭人が「やまと」と発音していたものを、中国人が「邪馬台」と書いただけで、変わっていないのではないかと思っているのですが。

 
  ではでは

TVで放送される海外ドラマ・アニメに英語字幕を。

 英語学習用に、TVで放送される海外ドラマ・アニメに英語字幕を付けてもらえないでしょうか、という話です。

海外ドラマ・アニメでの英語学習

 英語学習を、DVDや動画配信サービスを使って、海外のドラマ・アニメで行うことは、一般的になって来たといっていいと思います。

その方法は、人によって様々ですが、多くの場合、概ね次のような段階を踏みます。
  1.日本語音声、または英語音声+日本語字幕で、内容を把握する。
  2.英語音声+英語字幕で、使われている英語を確認する。
  3.英語音声のみで見る。

TV放送で足りないのは英語字幕

 地デジ、BSで海外のドラマ・アニメ、特に英語で製作されたものが、2か国語放送されることが多くなってきました。
加えて、字幕放送(日本語)がされることも、多くなってきました。

後は、英語字幕があれば、と思ったわけです。

各放送局の方々、お願いします。

各放送局の方々、どうでしょうか。
日本国民の英語レベルの底上げに、資すると思うのですが。
それに、英語学習好きは、多いですよ。

特に、1日の中で、当該の番組の放送が多い局は、英語学習も出来るチャンネルということで、訴求効果も結構あるのではないかと思うのですが。


英語字幕が標準になってくれればと、と愚考するものです。

 

 ではでは

 

邪馬台国への旅程改ざんの詳細

 以前に、以下の記事で、「魏志倭人伝」における、邪馬台国への旅程の改ざん疑惑について話しました。

yokositu.hatenablog.com

 今回は、その旅程改ざんの内容を、少し具体的に検討した話です。

 

 

邪馬台国への旅程

 まず、検討の対象となる、「魏志倭人伝」に記された、邪馬台国への旅程を、示します。

   帯方郡
    ↓
   南へ、東へ、水行、7000余里、狗邪韓国に至る
    ↓
   海を渡る、1000余里、対馬国に至る
    ↓
   南へ、海を渡る、1000余里、一大国に至る
    ↓
   海を渡る、1000余里、末廬国に至る
    ↓
   東南、陸行、500里、伊都国に至る
    ↓
   東南、100里、奴国に至る
    ↓
   東、100里、不弥国に至る
    ↓
   南、水行、20日、投馬国に至る
    ↓
   南、水行、10日、陸行、1月邪馬台国に至る
    ↓
   邪馬台国

魏志倭人伝」にヒントが

 上記の以前の記事では、旅程の最後の、南、水行、10日、陸行、1月が、いくらなんでも非常識だという事で、作者陳寿による、改ざんだと考えました。

その後、「魏志倭人伝」そのものの中に、もっと明白に、改ざんを窺わせる内容があることに、気が付きました。

それは、旅程の記載に続く部分の冒頭で、以下に原文、訳を示します。
原文
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

女王国より以北は、その戸数、道里の略載が可能だが、その他の旁国は遠く隔(絶)たっており、詳しく得ることができない。

これは、素直に解釈すれば、女王国即ち邪馬台国までは、その戸数と道里を、概数で記載することが可能だということですよね。
であれば、使者が作成した元の報告には、上記の旅程もすべて、道理、すなわち里数で記載されていたに違いない、という事になります。

何処を改ざんしたのか

 という事で、改ざんしたのは、

   南、水行、20日、投馬国に至る
    ↓
   南、水行、10日、陸行、1月、邪馬台国に至る

の、2つの旅程だと考えられます。

先ず、20日、10日、1月は、全て何らかの里数だったはずです。
方角の南は陳寿に、邪馬台国を南方の大国に見せかけたいとの、目的があった訳なので、改ざんの結果とも言えそうですが、もともと南だった可能性も、排除できません
それに対して、水行、陸行は、特に改ざんする理由もない訳ですので、元のままと考えられます。

という訳で、元の旅程は、

   方角、水行、???里、投馬国に至る
    ↓
   方角、水行、???里、陸行、???里、邪馬台国に至る

となります。


 現状は、残念ながら、ここまでということで、邪馬台国はここだと、ピンポイントで示すことはできません。
もうチョットなんですけどね。


 ではでは

「魏志倭人伝」の正式名称から分かること

 「魏志倭人伝」の正式名称について考えると、陳寿の改ざん疑惑に対する、状況証拠が見えてくる、という話です。
yokositu.hatenablog.com

 

 

魏志倭人伝」の正式名称

 「魏志倭人伝」は、正式には魏志」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人といいます。

魏の正史である、「魏志」の第30巻の、烏丸鮮卑東夷伝の中の倭人の条(項目といった意味です)を、「魏志倭人伝」と通称している訳です。


烏丸鮮卑東夷伝倭人条とは

 烏丸鮮卑東夷伝倭人条の内、烏丸、鮮卑は、北方の民族名です。
東夷伝は、東方の民族について記述したもので、夫餘・高句麗・東沃沮・挹婁・濊・韓・倭が含まれます。
その中の倭に関する部分が、倭人条となります。

東夷伝の東夷とは、単に東方を指しているわけではなく、古代中国において、東西南北4方位の異民族を蔑称して、東夷(とうい),西戎(せいじゅう),南蛮(なんばん),北狄(ほくてき)と呼んだことによるものです。

つまり、烏丸鮮卑東夷伝で、魏の北狄、および東夷の国に関して、纏められているという事になります。


西戎,南蛮についての記述は

 では、西戎,南蛮の国に関しては、どのように纏められているのかというと。

なにも無いのです。
西戎伝,南蛮伝といったものは、「魏志」には存在すらしていません

西晋王朝を開いた、司馬氏に徳があることを示すために、陳寿は「魏志」を書きました。
その司馬氏は、前王朝の魏時代に、中国東北部及び朝鮮半島北部を治める立場にありました。
そのため、司馬氏と関係の深かった、北方と東方の国に関する記述のみで、西方と南蛮に関しては、書くことすらしなかったと思われます。


これは、かなり見え見えですよね。
もうちょっと、上手に糊塗しても良かったんじゃないかと、思うんですが。
まあ、正史とはそういうものだ、とも言えるんですけどね。


 ではでは

サッカーにも一発逆転を

 サッカーにも、一発逆転のシステムを取り入れたらどうかという話です。

 

 

どちらかとい言えば、サッカーよりも野球が好き

 最初に白状しておきますが、私は、観戦専門ですが、どちらかと言えば、サッカーより野球が好きです。

巷間言われているような、農耕民族だからなのか、サッカーの攻守入り乱れて、連続してゲームが動いていくのが苦手なんですね。
野球だと、次の一球は何を投げるのか、バントか、ヒットエンドランかとか、色々と考える余裕があって、またそれが面白いんですよね。
サッカーには、考える暇がない。

まあ、これは、多分に私がスピードについていけない、というだけだという事も有ることは否めないですが。

サッカーがチョットと思う点

 それ以上に、チョットと思う点は、サッカーがあまり得点が入らないという事です。
そのため、ゲーム終盤で、3点差でもあれば、ほとんどその試合は決まったようなものですよね。(奇跡があることも、否定はしません。)

野球だと、3点差があっても、9回に満塁ホームランで逆転といったことが、ままあるわけで、これがまた堪らない訳です。

サッカーにも満塁ホームランを

 そこで、サッカーも、最後までハラハラドキドキ出来るように、複数得点のシステムを、取り入れたらどうかと思うのです。

方法は、色々考えられるとは思いますが、ここはシンプルに、ゴールネットに複数得点のゾーンを作るのはどうでしょうか。
ある特定の部分にボールが入れば、2点、3点、そして4点にもなる、とするのです。

それじゃあ偶然の複数得点もあり得るんで、チョットという事であれば、バスケットの3ポイントシュートのように、シュート位置のゴールからの距離という考え方も良いかもしれません。

これで、終盤3点差があったとしても、一発のシュートで4点取って逆転、といったことが可能になる訳です。

得点も多くなって、一番面白いのは8対7の試合だ、何て言われるようになったりするかもしれません。


 ではでは

邪馬台国が7万戸は、いくらなんでも多すぎないか

 以前の記事で、邪馬台国への旅程は、「魏志倭人伝」の作者陳寿が改ざんしたのではないか、という話をしました。

yokositu.hatenablog.com

今回は、それに関連して、戸数に関しても怪しいのではないか、という話です。

 

 

7万戸はいくらなんでも多すぎないか

 「魏志倭人伝」の記述によると、邪馬台国には、7万余戸があったということになっています。
1戸当たり、4人とすると、28万人余り。
さらに、邪馬台国までの旅程の国の戸数も併せて合計すると、15万戸余りとなり、60万人余りとなります。

これが、どのくらいの数字かというと。
平城京の人口は、概ね10万程度だと考えられているようです。
ということは、邪馬台国は、平城京の3倍程度の規模だったことになります。

また、旅程中の、奴国は2万余戸、投馬国が5万戸余で、それぞれ平城京の、1倍と2倍程度の規模となります。

つまり、平城京、またはそれ以上の規模の国が、ゴロゴロしていたことになります。
今まで、発掘されていないのは、あり得ないですよね。

ちなみに、吉野ケ里遺跡の推定人口は、5千人程度です。

さらに、当時の日本の人口については、考古学の成果を踏まえて、様々に推計がされていますが、概ね50~70万人といった数値のようです。
これは、明らかにおかしいですよね。

やはり陳寿が怪しい

 以前の記事で触れたように、陳寿は、西方の大月氏などの大国に匹敵する、東方の大国から朝貢があった事にする必要があった訳です。
そのため、旅程だけではなく、その規模に関しても改ざんしたのだと思います。

改ざんといっても、厳密に数字を合わせる必要もなかったと、考えられます。
私は、単純に各国の戸数を10倍したのではないかと思っています。

そうだとすると、各国合計で約6万人余りと、それなりの数字になるのですが。
それでも、邪馬台国は3万人弱と、どうかなという規模になるんですけどね。


 ではでは

 

こんな中学英語ベースの参考書が欲しい

 毎年のように英語にトライして、毎度同じように中途半端になっている私が、おこがましくも、こんな中学英語ベースの参考書があったらいいなと、リクエストする話です。

 

 

中学英語でいいらしいので

 英語を学ぼうとして先ず悩むのが、何をどれだけ、どんな順番でやればいいのか、全体像がよく分からないということなんですよね。
それで、あれこれと試しては挫折することになってしまうんですよね。(個人的な意見です。)

そんな中、いろいろと見聞きすると、中学英語で十分だという話がよく出てきますよね。
まあ、ペラペラになるわけではないけど、ベースとしては、十分だよと。

ならば、中学の英語教科書で勉強すればと、思ったわけです。

英語教科書は不親切

 やる気満々で、どこの会社のものにするかとか、入手方法とか、いろいろと調べ始めたんだけど。
出版元のサイトで、サンプルなんかを見ているうちに、これはちょっとダメだなと。

これは、はるか昔に、私が中学生だった頃にもそうだったと、おぼろげに思い出したんですけど。
中学生向けの英語教科書は不親切なんですよ。
先生が教えることが前提、ということもあるかもしれないですが、とにかく説明が少ない。
これを読むだけで、英語が理解できるとは思えない。

それを読むだけで、その教科の内容が理解出来ないって、教科書としてどうよ、と思うんですけど。

こんな参考書が欲しい

 という訳で、こんな参考書が欲しいです。

最初の章は、発音にあてる。
次章以降、4ページ1セットとして、まず最初の2ページに、見開きで、左ページに教科書の本文、右ページに日本語訳とします。
残りの部分で、単語、熟語、文法等を載せます。
単語、熟語は、本文、日本語訳と同じページでもいいかも。

本文と日本語訳、単語、熟語と意味については、行を揃える。
これによって、いわゆる瞬間英作文、単語、熟語の暗記等を、やり易くします。
音読にも、支障はありません。

文法は、出来れば、文法の部分だけを通読出来て、全体像が分かるような、内容とする。
逆に、既存の文法書の内容をベースに、並び順を、教科書に合わせた上で、例文を教科書の本文としてもいいかも。

音源は、CDでつける。

こんな感じにすれば、文法とともに、音読、瞬間英作文、文脈での語彙の習得、ヒアリング、シャードーイングなどの、巷間、良いといわれている学習法を、やり放題です。

しかも、中学英語教科書というバックグラウンドつきで、安心感もある。

教科書ガイド?

 ご存知のように、「教科書ガイド」という、本文、訳、単語、文法等の載っている書籍が存在します。

しかし、惜しいかな、いわゆる教科書のあんちょこであるため、それ単独で学習するようには作られていません。
特に、本文以外の解答や補充問題等は、必要ないかと。

「教科書ガイド」を出している出版社ならば、それなりに素材が揃っていると思うので、こんな参考書どうでしょうか。

 

 ではでは

 

 

「魏志倭人伝」の作者は、なぜ旅程を改ざんしたのか

 今回は、「魏志倭人伝」の作者は、なぜ旅程を改ざんしたのか、についての話です。
これは、以前の話の続きとなります。

yokositu.hatenablog.com

 

 

魏志倭人伝」とは。作者とは。

 改ざんしたと疑われているのは、西晋陳寿という人物です。

西晋は、ご存知三国志の三つの国、魏、蜀、呉のうちの、魏の後を継いだ王朝の名前です。

そうです、魏です。
魏志倭人伝」の魏です。
つまり、陳寿は、一つ前の王朝の歴史書を書いた訳です。

魏志倭人伝」とは
 「魏志倭人伝」は、魏志の中の倭人に関する項目といった意味です。
魏志は、上にもあるように、魏の国の歴史をまとめたものです。
中国で、正史と呼ばれているものの1つです。

 正史は、時の王朝が、一つ前の王朝の歴史についてまとめたものになります。
なぜ、一つ前の王朝の歴史をまとめるのか。
これには、中国の世界観が関係しています。

正史をまとめる背景

 中国では、天に居る天帝が、全てを治めていると考えます。
その天帝が、人間の中からのある人物を選び、地上を治めるように命じます。これを、天命といいます。
天命を受けたものが、その正当性を持って、王朝を開き統治します。

最初の代は、天命を受けるほど徳があっても、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉もあるように、代を経るにつれ徳を失っていきます。
すると、天帝は、再び徳のある人物を選び直し、あらためて(革めて)命を下します。
これを、革命といいます。
この革命により、王朝が交代すると考えます。

正史は、いかに前王朝が徳をなくし、新たに命を受けた現王朝が取って代わったかを、その歴史を通して示し、それにより、現王朝の正当性を知らしめるために、書かれます。

なぜ改ざんしたのか

 という訳で、現王朝西晋の正当性を示すために、陳寿魏志を書きました。

ところで、西晋を開いた司馬氏は、前王朝の魏時代に、中国東北部及び朝鮮半島北部を治める立場にありました。
そのため、陳寿は、司馬氏の徳あることを示すために、司馬氏が治める地域に隣接する、倭人邪馬台国朝貢を行ってきたことを、魏志の中に、倭人伝として記述したのです。

さらに、邪馬台国が、西方の大月氏等の朝貢国と同等の、中国東方の国だと見せかけるために、旅程を改ざんし、実際よりも南に存在するようにしたのだと思います。
これは、もちろん、司馬氏の徳が、それほどの国を朝貢に来させるほど、高いと見せるためです。


 以上が、「魏志倭人伝」における、邪馬台国への最後の旅程、南に水行10日、陸行1月が、改ざんされていると考える理由です。

 

 ではでは。

 

買い物難民対策は、こうしたらどうでしょう

 テレビで、買い物難民のニュースを見ました。
幸いにも、私の家の近所には、まだスーパーなどが揃っているので、そんな事はないのですが、それらが無くならないとも限らないので、他人事ではありません。

そこで、買い物難民対策はどうしたらいいのか、ちょっと考えてみました。

 

自動運転車があれば

 まあ確かに、AIによる自動運転が可能になれば、個人用か、乗合かは別にして、自動運転車で買い物に行ったり、運んでもらったりすることにより、解消できそうですよね。
でも、だからと言って、それまで何もしないでいい訳ではないですよね。

移動スーパーはどうよ

 今回見たニュースの中でも、移動スーパーが取り上げられていました。

軽トラの荷台を改装した車に、品物を積んで売りに行くものです。
基本的には、ルートを設定し、毎回決まった時間に、決まった場所で店を開きます。
商売だけではなく、ちょっとした相談相手になったりすることもあるようです。

なかなか良さげですよね。

ただ、問題は、対象とする人口そのものが少ないと、経済的に成り立たないということでしょうか。
ありていに言えば、やる人の生活が成り立つだけの、売り上げが立たないと、移動スーパーも難しいということです。

こうしたらどうでしょう

 つまり、移動スーパーをやる人の生活が成り立てばいい訳です。

そこで、公務員に、移動スーパーを運用してもらうことにします。
といっても、新たに運用要員を採用する訳ではありません。
そんなお金、どこに有るんだって話ですからね。

すでに働いている、現行の職員のローテーションで、運用してはどうかと思うのです。
職員数、買い物困難地区の数等によって、決めることになるかと思いますが、何か月かに1度、本来の業務を離れ、1日移動スーパーを運用することにするわけです。
車両は、公用車として運用する。

住民のニーズを、きめ細かく吸い上げることも出来そうですよね。
また、将来的に、自動運転が実用化されて、必要が無くなっても、業務が減るだけで、失業者が出ることもない。

これどうですかね。

 

 ここまで書いて気が付いたんですけど、この考え方は、そのままコミュニティーバスにも使えますよね。

 

 ではでは

 

 

 

 

邪馬台国の場所は、〇〇の何処かだ

 邪馬台国に関する最大の問題は、何と言ってもその場所が特定できないということだと思います。
そこで、色々と見聞きしてきたものの中で、私が納得できた説を基にした、ここじゃないかなあ、という話です。

 

なぜ場所が特定できないのか

 先ず、話の前提として、なぜ場所が特定できないのかを、簡単に説明させてもらいます。

邪馬台国は、3世紀に日本にあった国です。
中国の歴史書魏志倭人伝」に、その朝貢の事実、至るまでの旅程、風俗等が記載されています。
ならば、場所もすぐにわかりそうなものなのですが、その「魏志倭人伝」に書かれている邪馬台国までの旅程に問題があるのです。

中国からの使者の報告の記録を基にしたと思われる、その旅程によると。
先ず、朝鮮半島から、壱岐対馬を経由して、福岡周辺の北部九州に上陸します。
いくつかの国を経由して、最後に邪馬台国に到着する訳ですが。
問題は、その最後の行程が、南に水行10日、陸行1月となっているということなのです。

これ、素直に考えれば、九州を縦断して、さらに南方の洋上に、邪馬台国があることになってしまうわけです。

どこだと考えられているのか

  現状、場所にかんしては、九州説と畿内説が二大勢力と言っていいでしょう。

主に、旅程中の距離などを色々と考察して九州内に収まるとするのが、九州説。

最後の行程の南にというのが、東の書き間違いだとして、瀬戸内海を通って大阪付近に至ると考える、畿内説。

ちなみに、南方洋上を素直に考えて、邪馬台国は、琉球や台湾、はてはフィリピンにあったという説もあるみたいです。

南に水行10日、陸行1月は変

 以上の話のなかで、私が問題にしたいのは、最後の行程が、南に水行10日、陸行1月となっているという点です。
これ、変だと思いませんか。

魏志倭人伝」によれば、多くの国の間での争い(倭国大乱)を収めるために、卑弥呼邪馬台国の女王として共立したとなっています。
その国が、往復で3か月近くもかかる場所に有るというのは、おかしいと思いません?

まあ、百歩譲って、遠くに有ったとしましょう。
そうすると今度は、邪馬台国までの間のことが何も触れられていないのは、変じゃないですか。
荒野と海しか無かったとは考えにくいですよね。

邪馬台国の場所は

 最後の行程の部分は、「魏志倭人伝」を書いた人物が、改ざんしたんじゃないですかね。

基になった記録には、最寄りの国からの、方角とそれなりの距離が書いてあったと思います。
それを、「魏志倭人伝」を書くときに、南に水行10日、陸行1月と改ざんした。
それによって、邪馬台国の場所が南方洋上という変なことになってしまった。

実際には最寄りの国の周辺に有ったと考えられるので、邪馬台国の場所は、九州の何処か、概ね北部か中部じゃないかと思うんですが、どうでしょうか。

 

 まあ、唐突に、作者が改ざんと言われても、都合よすぎて、にわかには納得できないとは思いますが。
魏志倭人伝」の作者が、なぜ改ざんしたのか、については長くなるので、また今度ということで。


 ではでは。

 

DNAは設計図じゃなくて、システムROM?

 DNAは、よく例えられる「設計図」ではなくて、プログラムの書き込まれた「システムROM」じゃないのかという話です。

 

イントロンはゴミじゃなかった

 これまでは、遺伝情報はDNA全体の2%のエクソンと呼ばれる部分に存在し、残りの98%はイントロンと呼ばれ「何の働きもしないゴミ」と考えられて来ました。

ところが、「NHKスペシャル シリーズ 人体II遺伝子」によれば、そのイントロンの中にも、様々な情報が有ることがわかってきたようなんですね。
 例えば、鼻の高さ
 例えば、禿やすさ
 例えば、耳の大きさ
等々。
その情報を使うと、顔のモンタージュも驚くほど似たものが出来るようです。

 DNAはシステムROMだと思えば

 そんな内容を見ながら、「DNAはシステムROM」と考えると、コンピューターとの比較で、色々と考えられるんじゃないかと思いつきました。

すなわち

 1塩基が、1Bit(4値)
 エクソンが、サブルーチン、関数
 イントロンが、プログラム本体

と考えると、

 イントロン中の情報は、単独で存在するのではなく、プログラム中のパラメータ。
 これまでの遺伝子に関する研究は、サブルーチン、関数の機能の解析。
 全塩基配列の決定は、メモリのダンプリスト作成。

などと考えられるんじゃないかと。

 次はリバースエンジニアリング

 すると、次の段階は、複数の塩基からなる命令セットの作成と、それに基づく逆アッセンブルということになるのでしょうか。

でも、命令セットが分かるためには、CPUのハードのことが分からないと厳しいものがありますよね。
じゃ、CPUに相当するのは、何がどう働いているのか。その他のハードは?etc.

これって、ある種のリバースエンジニアリングですよね。

 


 個人的に、遺伝子関係の話は、部分的な働きの話が多くて、体を作って維持するという全体像との関係が、もやもやとしがちなんですけど。

以上のような視点から見れば、面白そうじゃないですか。

次のブレークスルーは、ハード設計、プログラミングのような視点から出てくるかも。

 

 ではでは。