東日本大震災について考えた話です
3月11日
今年も3月11日がやってきました。
もうなのかまだなのか、東日本大震災から今年で12年だそうです。
個人的には、直接被害を受けたという事は無かったのですが、あの時受けた衝撃はまだはっきりと思い出すことが出来ます。
まだまだ自分たちの生きている世界について、知らないことの方が多い事を、思い知らされまた。
先日も、何十年ぶりかで映画「日本沈没」を観たのですが、その地震のシーンを最初に見た時に、これはいくらなんでもやり過ぎなんじゃないかと思った記憶が有るのですが、今回はこんなものだったかなと思ってしまいました。
それ程に、我々の想像力の貧困さをまざまざと見せつけられた出来事でも有りました。
以前の記事
そんなことも有って、このブログでも、防災関係の記事をいくつか書いて来ました。
全てでは無いですが、思いつくだけ挙げてみると。
といった感じで、基本的には地震などの災害に遭った時のための事前の対策、といった話が多いでしょうか。
いくら防ごうとしても
というのも、特に地震に関して言えると思うのですが、いくら発生確率を計算しようが、巨大な防潮堤を始めとする防災施設を作ろうが、根本的に地震そのものとそれによる被害を防ぐ事は出来ないと思うからです。
例えば、南海トラフ地震については、マグニチュード8~9クラスの地震の30年以内の発生確率が70~80%という事になっていますが、これにどれほどの意味が有るのでしょう。
最近になって、この数字自体の根拠が怪しいという話もあるようですが、それ以前に確率が100%でない以上、地震が起きても、起きなくても間違っていないということですよね。
あの熊本地震の発生確率は、1%未満と見積もられていたようですし、確率に関係なく起きる時には起きると考えておくべきでしょう。
防災施設も、東日本大震災を観れば分かるように、その被害は簡単に我々の想像力を超えてきますから、超えて来た時の事を考えておくべきでしょう。
ところで、東日本大震災の後に作られた巨大な防潮堤は、南海トラフの津波被害が予想される地域には作らないんですかね。
まあ、そんなことをやっていると、日本列島の周りをぐるっと防潮堤で守らなければならないことになりますが。
あまり住みたいとは思わないですが。
という訳で、力を入れるべきは、起きてしまった後にどうするかを、みんなで考えて、みんなで共有するという事ではないでしょうか。
あの光景は、同時代を生きていた者として、忘れないようにして、活かしていかなければいけないと思っています。
ではでは