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お釈迦様とひらめき

お釈迦様とひらめきについて考えた話です。

 

 

前回の記事に続き

 前回の記事では、天才のひらめきとデフォルト・モード・ネットワークの関係について考えてみました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

デフォルト・モード・ネットワークを働かせるだけではなく、それ以前に対象について深く考える事も必要では無いかと考えました。

今回の記事は、そういったひらめきの話が、お釈迦様が悟りを開いた話に通じるところが有るのではないかという話になります。

お釈迦様の悟りまで

 何はともあれ、初めに、お釈迦様の悟りに至るまでをおさらいします。

お釈迦様は、紀元前5世紀ごろの北インドに王子として生まれました。

王族としての恵まれた生活の中で、避けられぬ老病死について悩み、その解決のための真理を求めて出家します(いわゆる「四門出遊」です)。

出家をしたお釈迦様は、その後6年にわたって苦行を行ったのですが、苦行で体を痛めつけても、真理にいたることは無いと思い至りました。

そのため、苦行を中止してブッダガヤの菩提樹のもとで瞑想に入り、「悟り」に至るのです。

ひらめいたのではないか

 この話を、前回の天才のひらめきの話に当てはめてみましょう。

先ず、出家してから6年間は苦行を行ったわけですが、その間何も考えずに修行していたという事は有り得ず、当然答えを求めて考え続けていたはずです。

そして、苦行に見切りをつけた後、瞑想を行う事によって悟りに達します。

すると、天才とひらめきの話との対比からすると、瞑想の中でひらめいたのではないかと考えられることになります。

瞑想とデフォルト・モード・ネットワーク

 瞑想の形式には色々とありますが、その多くで共通に出てくる方法論として、頭の中の雑念を無くしてその時に起きている目の前の事柄、例えば呼吸など、に集中するというものがあります。

ただ、雑念を無くせといわれても、容易でないのはご存知の通りです。

考えないようにすればするほど、雑念が湧いてきます。

それに対しては、無理やり消そうとはせずに、浮かんできた考えを客観的に観察したうえで、集中に戻るといったことが推奨されます。

考えてないのに浮かんできて、それを客観的に観察するという事なので、その雑念を生み出したのはデフォルト・モード・ネットワークと考えられそうです。

瞑想は、意識的にデフォルト・モード・ネットワークを働かせる方法論と言えるかもしれません。

きっかけでひらめいた

 ところで、前回の記事で書いたように、ひらめきが起きるには、ニュートンの場合のリンゴのように何らかのきっかけも必要になります。

以前に記事で書いたように、悟りにも、きっかけが必要らしく、お釈迦様にもきっかけが有ったようなのです。

 

yokositu.hatenablog.com

 

 

yokositu.hatenablog.com

 

やはり、お釈迦様は、瞑想によりデフォルトモードネットワークを働かせたことで、悟りに関するひらめきを得たのではないかと思われるのです。


 結局、深く考える事なく瞑想だけを行うだけでは、悟りを開くことは困難だという事になりそうです。
勿論、瞑想を行う事に意味が無いわけでないことは言うまでもないのですが。


ではでは