天才とひらめきについて考えた話です。
前回の記事に続き
前回の記事は、NHKーBSPの「ヒューマニエンス40億年のたくらみ」という番組の「”天才”ひらめきのミステリー」という回にゲスト出演した将棋のプロ田中寅彦九段の話から、将棋も囲碁と同じように芸術かもしれないと考えた話でした。
今回の話は、一応番組の内容がらみの話になります。
番組の内容の一部について考えていたら、最後の最後で意外な人物に繋がりました、という話になります。
もっとも、その人物はある意味天才とも言えるので、意外では無いのかもしれませんが。
とにもかくにも、先ず番組の内容から考えてみます。
デフォルト・モード・ネットワーク
近年になって、人間の脳は、ものを考えている時よりも、風景をぼんやり眺めている時のような、従来は働いていないと考えられていた時に、実は活発に活動していることが分かってきました。
これを、「デフォルト・モード・ネットワーク」といいます。
また、この状態の時にアイデアが出やすいという事も分かってきました。
このことと、天才のひらめきに関係が有るのでは無いかというのです。
アルキメデスとニュートン
その例として、アルキメデスとニュートンが取り上げられました。
入浴中に「浮力の原理」をひらめいたアルキメデスと、庭でリンゴが落ちるのを見て「万有引力の法則」をひらめいたニュートンの、いずれもリラックスして、ボーッとした状態だったともいえるという訳です。
なるほどといった感じはします。
京都に有る「哲学の道」も、そういった方面から説明出来るのかもしれません。
散歩している時には、何かを考えているようで、何も考えていないというのは、ありがちですからね。
ただボーッとするだけでは
それでも、この話にはもう少し考えなければならない点が有ると思うのです。
早い話が、風呂に入るなり、庭を眺めたり、近所の道を散歩したりして、だだボーッとするだけで、天才的なアイデアがひらめくので有れば、そこら中に天才があふれていそうなものです。
だいたい、風呂であれば、私も毎日のように入っているわけで、とっくに天才と呼ばれてもよさそうなものですから。
残念ながらとういか当然というか、現実はそうはなっていません。
必要な要素
考えるに、その他にも必要な要素が有るのでは無いかと思うのです。
それは、アイデアがひらめいた問題について、それ以前から考えていたという事です。
アルキメデスは、王様から王冠の真偽を判定するように求められていましたし、ニュートンは、なぜ惑星が太陽の周りを回っているのか考えていました。
いかに天才でも、何もない所から魔法のように、「浮力の法則」や「万有引力の法則」が頭の中に浮かんで来た訳では無いのです。
勿論、問題について考える事が出来る程度の知識も必要です。
その上で、その事について考え抜いていたという事です。
そして、ボーッとしていた時に、デフォルト・モード・ネットワークが働いてひらめきが訪れたという訳です。
考えも無しに風呂でボーッとしている私には、ひらめきは訪れないという事です。
という事なんですが、ここまで考えて、ある人物の話に関係しているのではないかと思ったのです。
それは、お釈迦様です。
という訳で、次回はお釈迦様の悟りとひらめきについてです。
ではでは