お釈迦様が悟りを開いた後に関する話です
前回の記事
前回の記事は、お釈迦様が悟りを開いたのは、瞑想の中でデフォルト・モード・ネットワークが働いた上で、何らかのきっかけによりひらめいた結果だったのでは無いかという話でした。
今日は、そう考えると、お釈迦様が悟りを開いた後の行動の理由の説明がつくのではないかという話になります。
教え広めることに消極的
そのお釈迦様ですが、悟りを開いたのち、かなりの期間それを教え広めることに消極的だったという話があります。
その理由としては、あまりにも常識に反する内容なので、教えても無駄だと考えられたという話が伝わっています。
しかし、教えても分からないからというのは、理由になっていないと思いませんか。
しかも、考え直すきっかけが、仏法の守護神梵天に繰り返し説得されたためという事になっています(梵天勧請)。
さすがにこの辺りは、後世の創作という感じがします。
後付けの理由付け
最終的には布教をしているわけで、あえてこんな話を作る必要はないと言えばない訳です。
どうやら悟った直後に教え広めることを躊躇したという事実があって、良く知られた話だったという事だったのでしょう。
それが布教に影響しないように後付けで理由を考えたのが、梵天勧請だったと考えれば納得がいきます。
さすがに、おまえら凡人に教えてもどうせ分からないだろうから、無駄な事はしないよ、というのはまずいですよね。
なぜ躊躇したのか
お釈迦様は、6年の苦行の後の瞑想により悟りを開いた訳で、悟りに関しては深く考えていたと言う事で良いでしょう。
そして、私の考えでは、瞑想中にデフォルト・モード・ネットワークが働き、何らかのきっかけによりひらめいたという事になります。
ところが、悟りに関してひらめいた瞬間に、それが言葉で説明が出来ないものだと分かったという事なのではないでしょうか。
せっかく苦労を重ねてここまで考え求めてきた挙句、答えが手に入ったはいいが、それは言葉で説明できないもので、教えることができない、だから教えない、という事だったのです。
教えられないものを教えるには
何とかならないかと考えるのに必要な時間が、教えを始めるまでの期間だったのではないでしょうか。
それを後世の人は、梵天勧請の話にしたという事でしょう。
その結果たどり着いたのが、その物自体について説明が出来なくても、それに至る方法は教えることが出来るという結論だったのです。
そして行われたのが、かつて苦行を共にした5人に対して行われた最初の教えである初転法輪に始まる教えだったのではないでしょうか。
これが、初転法輪での教えが、四諦と八正道という専ら悟りに至る方法論だった理由だったのでしょう。
ところで、最初に躊躇したというのは本人しか知らないはずなので、弟子あたりに問わず語りとかで話したという事なのでしょうか。
ではでは