プロの存在と人生について考えてみた話です。
プロの仕事は面白い
前回の記事で、「プロ」と名のついている仕事について、共通点として、いずれも基本的な生活を維持するのに必要で無い事を生業としている点について書きました。
その、生活を維持するのに必要で無い事ですが、それでもやるのだから、人によって好き嫌いはあるでしょうが、いずれも、やること自体が面白い事だという共通点もある様に思われます。
面白い事やって、稼げるわけですから、私だって野球をやってお金を貰えるものだったら貰いたいものです。
こういう事を言うと、まあ大抵は、プロの厳しさが分かっていないという話になる訳です。
面白いが厳しい
確かに、戦力外通告をされたプロ野球選手の話が、毎年オフシーズンになると色々と喧伝されますし、賞金で生活できるのは、プロゴルファーのごく一部だという話もよく聞きます。
最近では、藤井2冠の人気で注目を集めるプロ棋士に関して、奨励会を突破できずに、「プロ」になる夢を断たれる人達の話も知られるようになりました。
その通りではあるんですが、これよく考えると、決して野球、ゴルフ、そして将棋そのものが厳しいと言われているわけでは無い事が分かります。
いずれも、参加できる人間に制限を作り、その中での競争が厳しい事になっている訳です。
そもそも、やること自体が厳しいものを子供が喜んでやる訳は無いわけで、これらをやることは本来楽しい事のはずなのです。
ここでは触れなかった、その他のプロに関しても、同じことが言えると思います。
では何が厳しいのかと言うと、その楽しい事をやってお金を稼ぐという構図が厳しいということになるのではないかと思います。
楽しい事やってお金がもらえるのならば、上に書いた私のように、やりたいと思う人間は少なくない筈で、その結果として競争が激しくなるというのは、分かり易い構図だと思います。
人生の厳しさは
ところで、以上の事は、私たちの人生の捉え方にも関係しているのではないかと思うのです。
現代の社会で私たちが生きていくというのは、一部のお金の心配をしなくてもいい人達は除いて、多かれ少なかれ同じような構図ではないかと思うのです。
「プロ」の場合のように分かり易いものばかりでは無いですが、結局の所、何かをしてお金を稼ぐ構図には違いが無いわけです。
「プロ」とは違って、全てが面白いからという訳では無く、生きていくために必要だからという事も、少なくない訳ですが。
いずれにしても、何をやるかという事よりも、それによりお金を稼ぐのが厳しいというわけです。
これこそが、生きる事が厳しく感じられる、最も大きな原因という事では無いでしょうか。
であるとするならば、「プロ」の在り方との比較で考えると、実は生きていくこと自体は厳しい事では無く、それどころか楽しいものであるかもしれないという事になります。
人生は、生きているだけで、楽しいものかもしれないのです。
とは言っても、現実には、お金が無いとそれはそれで厳しいことになるのは、明らかなんですよね。
何とかなりませんかね。
ではでは