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信長の幸運

信長には、ある幸運が有ったのではないかという話です。

 

 

桶狭間の頃

 前回までの前後編の2回の記事で、戦国時代は、初期、中期、後期の3期で考えられるんじゃないかと書いて来たわけですが、その中で、桶狭間の戦いの前後以降が後期になると考えました。

 

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先ず、その桶狭間の戦い(1560年)の頃の全国的な勢力図をご覧下さい。

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引用元:1560年頃の戦国大名勢力-戦国探求

 

その後の歴史を知っているので、この状態から始めた織田信長はやっぱり凄いというほかないです。

しかし、何も知らずにこれを見たら、この後に、織田氏が全国に覇を唱えるとは考え難いでしょう。

まあ、斎藤氏は義父の家だから良いとしても、東には、今川、武田、北条、上杉とそうそうたる面々が顔をそろえていますし、西には、離れているとはいえ、中国の覇者毛利がいるわけですから。

これらの大大名の中から、最終的な勝者が出て来ると考えるのが普通だと思います。

そこが、織田信長の天才たる所以だと言われると、それで話は終わってしまうのですが。

そんな信長の非凡な能力ももちろんあったとは思いますが、それ以外にも、彼にとって幸運な面が有ったのではないかというのが今回の話になります。

関係者生没年

ここで、関係者の生没年を見てみましょう。

織田信長 1534年生(1582年没)
武田信玄 1521年生(1573年没)
毛利元就 1497年生(1567年没)
北条氏康 1515年生(1571年没)
今川義元 1518年生(1560年没)
上杉謙信 1530年生(1578年没)

これを見てわかるのは、上杉謙信以外は、いずれも、信長よりも一世代前の親の世代の武将だという事です毛利元就に至っては、祖父の世代です)。

彼らは、いずれも、私が前回までの記事で考えた、1500年ごろからの経済の回復を背景にした、各地域での覇権争いの中で育ってきた世代だということになります。

そして、上の地図に示されているような領土を獲得した、成功した人たちなのです。

上杉氏以外は、親の世代がまだ現役だったという事になります。

なおかつ、人生五十年と言われていた時代に有って、桶狭間の戦いの時点での彼らの年齢の40代以降というのは、現代と違って、人生の終わりを意識する年齢だったはずです。

事実、同世代の上杉謙信と、桶狭間の戦いで打ち取られた今川義元は別にして、それ以外は、その後の10年前後でいずれも病没しています。

信長の幸運

 一般に、ある程度成功して老年に達したものが、新たに事を起こすよりは、守りに入ることはよくある事です。

つまり、その領国の規模からいって、織田信長よりも、天下に近かったと見えるこれらの有力戦国大名は、実は、それほど天下を取る事に目が向いていず、領国に目が行っていたのではないかと思うのです。

そして、その事が、織田信長のその後の行動を、結果的にやり易くしていたのではないかというのが私の仮説です。

桶狭間以降、これらの大名の次世代が前面に出て来るまでの、約10年間が、幸運にも(偶然にも?)信長に与えられた形になった訳です。

それを生かした信長は、やはりすごいという事ではあるんですけどね。

例えば、今川氏は、桶狭間の後で、次世代の氏真が出て来るのですが、あっという間に武田と徳川に潰されてしまったことを見ても、信長の非凡さが光ります。


 それにしても、桶狭間の戦いから小田原征伐までが30年という事は、今ならば、平成の時代に全てが起こったという事で、恐るべき密度の濃さです。


ではでは