戦国大名と天下統一について考えた話です。
前回の記事から
前回の記事でも書きましたが、本ブログでは家康は、最初から天下統一を考えていたわけでは無なく、結果としてそうなったんではないかと考えています。
記事を書いた後もそのあたりを色々と考えていたのですが、この天下統一を考えていなかったという見方が、戦国大名の基本的な立場では無かったかと思えてきました。
という訳で今回は、戦国大名は基本的に天下統一なんか目指してはいなかったのでは無いかという話です。
なぜ天下統一なのか
そもそもの話、なぜ戦国時代の大名は天下統一を目指していたという話になるかと言えば、最終的に家康が徳川幕府を開いたからという事になります。
結果がそうなのだから、それに向けてみんなが動いていたはずだという訳です。
それに加えて、家康へとつながる三英傑の残り二人、信長、秀吉も、それぞれ、信長は「天下布武」を目指していましたし、秀吉はそのものズバリ「天下人」と呼ばれていたというのもありますし。
その為、戦国時代の全国の大名は、天下を統一するために戦をしていたというイメージが強いのだと思います。
かくいう私も、少し前まではそう思っていました。
それよりも家
しかし、改めて考えて見ると、戦国時代の話として良く知っているものは、どちらかと言えば天下を狙うと言うよりも、それぞれの家を守るための行動だったと考えると分かり易いのでは無いかと思うのです。
信長の「天下布武」にしても、最近では「天下」とは今日を中心とする地域の事だと考えられていますし。
以前の記事でも書いたように、晩年の信長は、「天下」を手に入れた後は、終活に向かっていたと思われ、決して全国を制覇する気はなかったのではないかと思われるのです。
戦国時代は
ところで、戦国時代の原因について以前の記事で取り上げています。
シュペーラー極小期が原因の天候不順による農業不振により、経済破綻が起き統治システムに綻びが生じたのが、戦国時代の原因だと考えました。
そして、その混乱からの回復過程が、戦国時代と聞いて思い浮かべがちな、桶狭間以降の流れだったのです。
その回復過程で、全国の戦国大名が天下統一を目指して争ったという訳です。
実際には各大名が、それぞれの家の存続をかけて争っていたのが戦国時代だったのです。
農民から立身出世した秀吉も、最後に願ったのが豊臣家の存続だったのは皮肉ですが。
ではでは