曜変天目茶碗について考えた話です。
曜変天目茶碗
TVで曜変天目茶碗を久しぶりに見ました。
曜変天目茶碗は、言わずと知れた国宝の茶碗です。
中国で、南宋時代(12世紀~13世紀ごろ)に作られたと考えられており、完品は世界に3つしかないとされます
その完品3つは、全て日本に有ります。
引用元:∞(無限大)分の3!MIHO MUSEUM 大徳寺龍光院 『国宝曜変天目と破草鞋』 国宝 龍光院 曜変天目をついに見た。そして、国宝曜変天目 三碗同時期公開の衝撃。 | Kazz zzaK(+あい。)
一度観たことが
曜変天目茶碗については、40年程前(恐らく)に3つの内のどれかの実物を観た記憶が有ります。
観たのは確かだと思うのですが、どこで、どのような形で見たのかは一向に思い出せません。
観たことだけはしっかりと覚えているんですけどね、全く記憶の仕方は不思議なものです。
「器の中に宇宙が見える」とも言われているのですが、芸術オンチの私には響かなかったようで、これといった驚きは無かった事だけは覚えていたりします。
興味深い点が
そんな曜変天目茶碗ですが、興味深い点が2つほどあります。
一つ目は、上にも書きましたが、中国で作られたものにもかかわらず現在の中国には完品が存在せず、日本にしかないという点です。
二つ目は、その作り方が分からないという事です。
これら2つの点から考えると、どうやら曜変天目茶碗は、狙って作ったものでは無く、偶然の産物で、しかもその出源頻度は非常に低かったのではないかと考えられそうです。
加えて、中国ではその評価は高くなかったという事も言えそうです。
評価が高ければ、当然歴代の皇帝の収集物の中に残っていなければ可笑しいのです。
どれほど再現性が低く、作るのが困難で有っても、皇帝が所望している程のものとなれば、全力でその作り方を探ったはずです。
それでも作り方を解明出来なかったとしても、偶然出来たものが献上されたはずです。
それがただの一つも無いわけですから、中国では必要とされていなかったのだと考えられます。
なぜ日本で
そんな曜変天目茶碗が、なぜ日本でこれ程評価され、国宝にまでなっているのでしょうか。
それは「曜変天目茶碗が茶の湯で茶器として使われたから」だ、と言うのが私の考えです。
曜変の評価は室町時代には定まっていたようで、織田信長も「天下第一の名碗」とも言われるものを一つ所有していたとされます。
残念ながら、本能寺の変で失われたようです。(この時までは、4つあった事になります)
以前の記事で、この当時の戦国大名を中心に好まれた茶の湯について、マウントを取るためのものだったのではないかと考えました。
端的に言うと、「名物」と呼ばれる茶道具が評価の尺度だったという事です。
そういった風潮の中で、珍しい唐物に対する需要が高まっていたのは間違いのないところでしょう。
それに合わせて買い付けて来たのか、偶然紛れ込んでいたのかは分かりませんが、曜変を持った天目茶碗がもたらされたという事では無いでしょうか。
そして曜変を持った天目茶碗は「大名物」となり、今現在は「国宝」となったという訳です。
まあ、芸術的に素晴らしいからだと言われればそれまでですが、芸術オンチの私としては理屈をこねて見たかったという話でした。
ではでは