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農耕と弥生時代

 農耕と弥生時代について考えた話です。

 

 

日本での農耕社会

 以前の話で、石器時代に起きた、狩猟採集生活から農耕社会への変化について考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

その中で、日本については、自然が豊かであるために、農耕社会への移行が起こり難かったと考えました。
農耕のような労力を必要とするようなことをしなくても、狩猟採集で十分に生活が、しかも定住生活が可能だったからです。

一般的に日本では、弥生時代から、農耕社会が始まったと考えられています。
さらに、上記のような理由や、遺跡などの発掘による研究などから、大陸から九州地方に伝播したと考えらています。

ただし、ここで言っているのは、農耕社会の伝播であり、稲作そのものは、縄文時代にも知られていたようです。

クニの始まり

 前回の記事で、農耕社会の始まりによって権力も生じたと考えました。

 

yokositu.hatenablog.com

 

ところで、弥生時代は、概ね紀元前1000年ごろから始まったと考えられているようです。
紀元前1000年頃といえば、中国では殷から周に王朝が変わる時代です。

ひょっとしたら、殷から周へと王朝が変わる混乱を避けた集団が、九州にやって来たのかもしれません。
ただし、稲作は中国南部で行われており、北部を中心とした殷、周とは関係ないという説もあるようです。
いずれにしても、その時代に農耕が入って来たという事は、中国では権力システムが確立しているわけで、当然権力層も入ってきたはずです。
農耕の技術を持った人々だけではなく、それを統べる権力システムも同時に入って来たと考えるのが自然だと思います。

そして彼らが定住して、権力システムを中心とした、稲作による集落を形成した。
それを、現代の我々は、クニと呼んでいるわけです。

争いの始まり

 弥生時代の遺跡の調査から、人口が増加していったことが分かっています。
素直に考えれば、稲作による豊富な食料の供給によると考えるのが自然でしょう。

人口が増えれば、さらに土地が必要となります。
結果、クニ同士が争う事になったと思われます。
何しろ、権力側から見れば、自らがコントロール下に置いている土地や、人々、すなわちクニが無くなれば、自らの生存が危ないわけですから。

さらに、中国から来たのであれば、当然戦うための技術も持っていたはずです。

その結果、弥生時代の遺跡からは、集落の周りに濠をめぐらせた環濠集落や、武器の傷をうけた痕跡のある人骨などの、争いの形跡が数多く見つかています。


 つまり、弥生時代には、農耕だけではなく、権力と争いも日本に入って来たのです。
こうして考えると、倭国大乱は、起こるべくして起こったとも言えるのかもしれません。


 ではでは