クラシックについて考えた話です。
年末の第九
今年も12月になってしまいました。
あっという間にまた年末になってしまったのですが、年末になると、恒例のと頭につく行事がいくつも思い浮かびます。
第九の合唱というのも、いくつもある年末の風物詩の一つと言っていいでしょう。
それ以外にも、年末年始にはクラシック関係の行事、番組が多いように思います。
と、分かったような振りで入っていますが、個人的にはクラシックってよく分からないんですよね。
漠然と、昔の西洋の音楽というぐらいでしょうか。
クラシックとは
改めて調べてみると、
バロック音楽、古典派音楽、ロマン派音楽に当たる1550年頃から1900年頃の音楽であるが、それ以前のものも、それ以後のものも、同じ流れに属する音楽は今日あわせてクラシック音楽と呼ばれることが多い。また、古典派時代の宴席用音楽、ロマン派時代のウインナワルツなど、純粋に観賞用としてつくられたわけではない実用音楽も、今日ではクラシック音楽と呼ばれている
引用元:クラシック音楽 - Wikipedia
クラシックとは結局のところ、16世紀から19世紀を中心とした時代に様々な地域で流行した西洋音楽の集まりといったところでしょうか。
演歌も
ところで個人的には演歌な人なのですが、演歌も日本という地域で、戦後になってから流行った音楽と言えるかと思います。
演歌が、極めて日本的な音楽であることは確かです。
しかし、海外で全く聞かれていないかというと、そんなこともありません。
よく、海外の人による演歌のコンテストなんかも行われているように、意外と知られているようです。
やはり、音楽は世界共通の言語なのでしょうか。
とはいっても、海外の人が驚くほど上手に「舟歌」を歌っても、どこか違うなと思ってしまうのですが。
音楽的な技巧だけではない土地に根差したようなものが、そこにはあるということでしょうか。
日本人によるクラシックは
上で見たように、クラシックもある地域のある時代に流行ったものであるのならば、同じようなことが言えるのではないでしょうか。
どれだけ楽譜通りに上手く演奏しても、作られた地域の人たちが聞くと、何か違うと思うということはないのでしょうか。
毎年のように日本人の演奏家が、世界各地のコンクールで入賞したというニュースが流れます。
勿論、そのテクニックは間違いのないものでしょう。
その上で、その地域以外の出身者の演奏はどう捉えられているのしょう。
海外の人の演歌を聞く時のような感じなのでしょうか。
日本人を含むその地域以外の人による演奏は、上手いけどどこか違うと思われているのかもしれません。
例えば、ブーニンのショパンは、上手いけど違うと思われたような気がするのですが。
そうなると、日本人は、クラシックを本当に分かるということは出来無いのかもしれません。(そんな必要はないのかもしれないですが。)
やっぱり日本人には演歌だ、という話でした。
ではでは