京都関連の番組を見て考えた話です。
年末年始に
この年末年始にも、TVで京都関連の番組をいくつか見ました。
基本的に京都を取り上げた番組は季節に関係なく有るのですが、特に年末年始は伝統的な行事を取り上げ易いのか、毎年色々と見掛けるように思います。
もっとも今年は、大河ドラマの影響で家康絡みの歴史物が多かったせいで、例年ほどでは無かった感じですが。
それでも、家康絡みでも二条城の番組になると、やはり京都ということなのがさすがというところでしょうか。
今日は、そんな番組をボーッと見ていて思いついた話になります。
圧倒的な集積
京都関係の番組が多いのは、上に書いた理由以外にも番組が作り易いという点も見逃せないと思います。
何しろ、多くの伝統的な分野で、その質、量ともに圧倒的な集積が京都には有る訳で。
多くの寺社仏閣を始めとして、和菓子、祇園等の花柳街、西陣等の服飾、等々枚挙にいとまがありません。
これらを組み合わせる事により、いくらでも番組のシナリオを作ることが出来る訳ですから。
しかも、映像的な見栄えもバッチリですしね。
集積の理由
その圧倒的な集積はなぜなのかと問えば、千年以上に渡って都で有ったからだという答えが帰ってくるでしょう。
その事に異議を差し挟む気は全くありません。
ボーッと番組を見ながらそんなことを考えていたのですが、その時にこれでは何も説明になっていないなと思ったのです。
そもそも都だとどうして集積が起こるのでしょうか。
天皇のお膝元だからというのはどうでしょう。
これも良く考えると、都だからというのを言い換えたにすぎません。
共通点は
こういった時の常套手段は、このブログでも何回か出て来た、事象の共通点を探すという方法です。
その共通点を説明出来る法則を考えるわけです。
では、寺社仏閣、和菓子、祇園等の花柳街、西陣等の服飾の共通点はなんでしょう。
色々考えられる中で、誤解を恐れずに言えば、いずれも絶対に必要というものでは無いという事ではないでしょうか。
別にそれぞれの物に価値がないとか言っているわけでは無いので、誤解の無い様に。
極端な言い方をすれば、いずれも人間の生命を維持するためには、特に必要の無いものだという意味です。
求める人達が
では、特に必要でないものがなぜ有るのか。
それは、そういったものを求めた人達がいたからという事になります。
当然それは、生きていくために必要では無いので、生きてくためでは無かったはずです。
そう、今日、明日をどう生きのびるかといった事を考えなくても良い支配者層の人達がいたからではないでしょうか。
都だから、そういった人々がいつもいますからね。
彼らの要望に応えるために、千年以上にも渡って様々なものが生み出された結果が、現在の圧倒的な集積になったという訳です。
再び誤解を恐れずに言うと、彼らの暇つぶしに付き合った結果という事が言えるかもしれません。
コタツの心地よい暖かさにボーッとしていたら思いついた話でした。
ではでは