縄文という見方について考えて見た話です。
土偶について
何らかの祭祀を執り行っていた人物を、人形として形作る事で、その力を常に身近に置いておこうとしたものでは無いかと考えました。
その話の中で、様々な形態がある点については、今の祭りにも多様性がみられることを根拠として挙げました。
土偶は多様
その時にも引用した変遷図が下のようなものでした。
引用元:土偶 | 新美術情報2017
改めて見ると、その多様性の大きさに驚かされます。
ところで、この変遷図は縦軸が、土偶の発見された地域を表し、下の中部・東海から最上部の北海道まで北上する形で表示されています。
横軸は、発見された時期を表し、左の縄文草創期から右端の弥生前・中期までの順で並べられています。
縄文草創期から晩期までの縄文時代は概ね1万3000年間!!と考えられているようです。
つまり土偶と一括りにされているものは、ほぼ日本列島の東半分で1万3000年に渡って作られたものになる訳です。
であるならば、変遷図にあるような多様性は有って当然でしょう。
むしろ、同じようなものしか発見されていなかったら、そのほうが驚きでしょう。
縄文という括り方
これらを、縄文という概念で一括りにして考えるから分かり難くなるのではないでしょうか。
例えば私は、縄文時代と言えば「火焔型土器」の時代だという感じを強く持っていました。
ところが、「火焔型土器」は、縄文中期の新潟県の信濃川流域地域を中心に多く発見される、時期的にも地域的にも限定されたもののようなのです。
縄文時代に、皆が皆作っていたわけでは全然ないのです。
それを基に、縄文人の精神的ななにかを反映しているとかいっても、説得力なさそうですよね。
せいぜい、ある時代と地域に住んでいた人々の精神的な何かを反映している、という程度では無いでしょうか。
日本列島という地理的な広がりと、1万3000年という時間的な長さの中で、縄文として一括りには出来ないと思うのです。
まあ私が、ちゃんと縄文時代について調べもせずに、印象で考えていたというだけの話ではあるんですけども。
ではでは